みゆみゆの徒然日記

日本の伝統芸能から映画や本などの感想、
心に留まった風景など
私の好きなことを綴っているブログです♪

あれから一ヶ月

2010年07月23日 | 雑感~ひとりごと
 関根祥人さんが亡くなってから1ヶ月が経ちました。あまりにの突然の訃報からの一ヶ月は、あっという間でした。
 訃報を知った直後は、あまりにもショックが大きすぎて、今まで私はこんなに落ち込むことがあったか?というくらい落ち込んでいましたし、お能に触れたいと思えませんでしたが、最近ようやく元気も出てきましたので、今年NHKで放送された祥人さんがシテの『土蜘蛛』の映像を先日見ました。やっぱりカッコイイんだよな~とか、何で死んじゃったんだろう・・・なんて思うと、涙がぽろぽろと出てきました・・・。後シテの土蜘蛛の精が蜘蛛の糸を投げまくる切り組の場面で・・・。泣くような話ではないのに・・・。祥人さんの魅力の一つでもある直立したまま後ろに倒れる仏倒れも綺麗で・・・。ああ、これも祥人さんの生の舞台で観たかったな・・・。言い出したらキリがないけれど・・・。

 舞台は基本的にその場限りのもの。映画のように同じものを何度も繰り返し見ることはできません。同じ役をその後演じることがあっても、前と同じというものではありません。そしてそこが魅力でもあるところです。もちろん今の世の中では映像として記録されているものもたくさんあります。彼の場合は先日見た『土蜘蛛』以外の舞台映像もありますし、そのほかにもドキュメンタリー映画や昨年出版された写真集なども残っています。やはりそれだけこの能楽界において花のある人だったと思います。舞台と映像は別物ですし、もちろん本物の舞台が断然良いのは当たり前のことですが、彼が亡くなった後もずっと映像として見ることができることは、ありがたいといえばありがたいことです。でも、今はまだ映像を見ても切なくなるばかりです。
 そして、映像として残っていないものでも、祥人さんの舞台の思い出は自分の心の中に鮮明に残っています。そして、これからもずっと・・・。


 先日、毎日新聞のサイトに祥人さんを悼む記事がありましたので引用させていただきます。
悼む:能楽師観世流シテ方・関根祥人さん=6月22日死去・50歳
 ◇力強さと華やかさ--関根祥人(せきね・よしと)さん=急性大動脈解離のため6月22日死去・50歳
 葬儀は、主宰の第16回「花祥会」が観世能楽堂で予定されていた3日、東京の護国寺で行われ、約1300人が列席した。弔辞で狂言方和泉流の野村萬・能楽協会理事長は「観世流においても能楽界においても明日を担うべき支え」と、早すぎる死を惜しみ、父で観世流シテ方の重鎮、祥六さんは「子供のころから何事も一生懸命にやりました」と、その生き方を表現した。

 学習院高等科時代はサッカー部に所属し、国体の高校選抜にも選ばれるほどの高い身体能力は、能舞台でも発揮された。能楽評論家の西哲生さんは「力強さと華やかさを保ち、曲趣を生かした演技が抜群でした。とりわけ昨年7月の『花祥会』で上演し、観世流すべての小書をつけた『道成寺』の鮮烈な演技は格別でした」と称賛する。

 「花祥会」では祥六さんと長男の祥丸さんの3代による「石橋」を舞うはずだった。親獅子が子獅子を鍛える姿が関根家の修業に重なると、昨年の初演で好評を博した作品だ。同会では「景清」のシテも予定されていた。盲目の武者で「体はほとんど動きませんが心は激しく動く。そういう曲に、内面のおもしろさを感じるようになりました」と取材で語っていた。言葉からは、いつも能への強い愛と能楽師たる誇りが感じられた。

 6月12日には上海の万博関連公演で「船弁慶(ふなべんけい)」の後シテを、同16日には観世能楽堂の「研究会」で「歌占(うたうら)」のシテをつとめた。急逝するその日まで、元気に弟子にけいこを付けていたという。

 その姿は、祥人さんを中心に、能の家である関根家を追ったドキュメンタリー映画「能楽師」(田中千世子監督)と、写真集「能楽師 関根祥六・祥人・祥丸 芸三代」(小学館スクウェア)でしのぶことができる。【小玉祥子】