みゆみゆの徒然日記

日本の伝統芸能から映画や本などの感想、
心に留まった風景など
私の好きなことを綴っているブログです♪

アフリカの美展

2009年08月02日 | アート・イベント
 昨日のMOA美術館の薪能では美術館の展示は見られないのですが、先に美術館に入場していれば、一般席に早く入れる(自由席だから場所をとりやすい・・)からという理由もあるし、せっかくの機会だからということで展示も見てきました。

 アフリカンアートといっても、エジプト文明・・とかではなく、アフリカ大陸中央部の国の民族の美術品に影響を受けたピカソらの作品や、神事などに使うような彫像や仮面など。ミュージカルのライオンキングを彷彿とさせるような柄(舞台はアフリカだから当たり前か)も。あちらの仮面は能面とはまったく違うよね、顔の造りもと思いました。ま、違うのはアフリカだけではないけれど。ジブリアニメに出てくるような物体とかもありました。


 併設展は縄文から江戸後期までの日本の美術品が展示されていたのですが、正直なところ、やっぱり私はこちらの方が好きだし落ち着く・・・のはやっぱり私は日本人だなということも再確認。埴輪の顔もアフリカのお面とは作りが違ってやっぱり日本人っぽい顔だ。焼き物の善し悪しなどはお茶をやっておりませんので、まったくわかりませんがね・・・ちょっとは勉強しようかしら<お茶。一番印象に残ったのは、鶏頭の屏風でした。

第25回MOA美術館 薪能 1日目

2009年08月01日 | 能・狂言
 毎年8月1・2日に行われるMOA美術館の薪能に今年も行ってきました。無料で楽しめるというイベントですので、ここ数年毎年足を運んでおります。でも雨天だと無料の一般客はモニター鑑賞。今年は祥人さんのお能がかかるので、モニターは嫌だなぁ・・と思っていたし、雨女の私はいつも以上に当日の天気予報を気にしていました。数日前は確率は80%だったけど、今日は良い天気で開催決定!でも開演前にちょっと雨が降って・・・やっぱり私は雨女~と思ったけど、大丈夫でした。今までこれほど「雨降るな!」と念じたことはなかったかも(爆)


能 『熊野』 読次之伝、村雨留
 舞囃子の部分も道行の部分のお稽古もしたり、熊野のご当地とご縁がある関係で勝手に親しみを感じている曲のひとつですが・・・意外にも生の舞台でちゃんとお能として見るのは初めてでした。
 平宗盛の寵愛を受けている熊野(ゆや)は、故郷池田の宿の母親が重病だという知らせを受けるも、宗盛の許しを得ることができず故郷に帰ることができません。清水寺の花見の席で舞を舞うように命じられた熊野は、舞の途中で降ってきた村雨が散らした桜の花に、母の命を重ね「いかにせん都の花も惜しけれど、馴れし東の花や散るらん」という歌を詠みます。その歌に心を打たれた宗盛は熊野を故郷に返してやります。というお話。
 中之舞も村雨留という小書きがつくと、中之舞が常よりも早く終わります。なので余計に熊野の早く帰りたい・・という気持ちが伝わってきますね。でもこういうものは幽霊が出てきてどうこうというお話ではないし、綺麗だし、わかりやすいですよね。だからこそ人気曲なんでしょうけど。でも、サシ・クセの部分がカットされていたのが残念。ここの詞章が綺麗で好きなんだけどな~・・。そういう演出もあるんでしょうか?勉強不足ですみません。
 ちなみに『熊野』関連の謡跡の記事がありますので、よろしければご覧ください→熊野の長藤

シテ:山階彌右衛門
ツレ:武田友志、ワキ:村瀬純 ワキツレ:村瀬堤
笛:槻宅聡 小鼓:大倉源次郎、大鼓:亀井広忠


狂言 『成上り』
 鞍馬寺に参詣するために主人が太郎冠者に太刀を持たせていると、太郎冠者は太刀を持ったまま寝てしまいます。そこへすっぱ(泥棒)が現れて、青竹と変えてしまい、いつの間にか太刀が青竹に変わっていて・・・というストーリー。いろいろなものが成り上がることを主人に話して、太刀も青竹になる・・・なんてばかげた言い訳をする太郎冠者のアホらしさ(?)が狂言にでてくる太郎冠者のよいところでしょうか。

シテ:野村万蔵 アド:吉住講 小アド:野村扇丞


能 『葵上』 梓之出
 はい、今日はこのために熱海に参りました(笑)つい2週間前にも祥人さんの舞台を見たばかりですが、今日の祥人さんも執念深く怖い女性の役で、後シテは般若です。ですが、『道成寺』よりも、こちらはより高貴な身分ですからやっぱり違いますけど。
 『葵上』の題名である葵上は『源氏物語』の登場人物で光源氏の正妻。ですが、この曲のシテ(主人公)は六条御息所です。葵上という登場人物は出てこず、物怪に憑かれ病床に臥している葵上の象徴として小袖が正先に置かれます。物怪の正体を暴こうと照日の巫女が梓弓を弾くと、元皇太子妃でかつて源氏の愛人であった六条御息所の生霊が現れます。
 このときは辺りも暗くて、薪能は音がスピーカーから伝わってきますからね、そういうのが嫌だな~とついつい思ってしまうのですが(無料で見ているくせに偉そうなことをいうな!ですが・・・)、でも雰囲気はこのシーンにぴったりですね。暗闇に光るかがり火が加持祈祷を彷彿とさせて、さらに御息所の心情にぴったりのような。普段の能楽堂とは違う自然の織り成す演出効果を感じることができました。(まあ、能楽堂が一番適した環境だとは思いますが。)源氏の心変わり、葵上の妊娠、車争いで破れたことなどいろいろなことが重なり、嫉妬と恨みのために生霊となってしまうのです。そして、葵上の枕元で後妻打ち(うわなりうち)をする枕之段は物語性も高く好きなのですが、やっぱり祥人さんの表現力はすごいですね。小袖に扇を打ち付けるのが怖い!でも、教養深い元皇太子妃としてのプライドもあるのでしょう・・・そんな自分を恥じる一面もあるのが、この曲がというか御息所の生霊が怖いだけではなく哀れでもある点。「枕に立てる破れ車、うち乗せ隠れ行かうよ、うち乗せ隠れ行かうよ」で、着ていた唐織を外して担ぎ自分の姿を隠しながら去っていくのは、葵上も破れ車に乗せて連れて行く・・のだけれど、自分の恥ずかしい姿も隠したいのかな・・・と思ってしまいます。
 後シテは般若の面をつけて、鬼の形相となった御息所の生霊が現れます。『道成寺』とは違い、こちらは鬼の形相といえど、まだ人間ですからね、横川の聖とのバトルは迫力満点ですし、怖いのですが、その怖さの中にもどこか人間ぽさも感じるのです・・・。これは以前見たときにも感じたことですけれど・・・。今回すごいなとうなってしまったことがあります・・・。祈り伏せられて、成仏した生霊。その瞬間、それまで怖い表情だった般若の面の表情が、安堵感に包まれたように見えたのです。(遠いからオペラグラスで観察していました・・・^^;)生霊となった自分を恥じてはいるのでしょうけれど、救われた感を感じました。やっぱり祥人さんってすごい・・・そう思わざるを得ない舞台でした。


 以前、前半のクライマックス部分の「枕之段」のお稽古をしたことがありました。ちょうどそのときに初めて『葵上』を見て、能っておもしろい!と強く思ったのです。物語性にも富んでいるし、打っていて楽しかった曲です。また久々に打ちたくなってしまいました。葵上を打つ・・のではなく鼓をね(笑)


シテ:関根祥人
ツレ:角幸二郎 ワキ:村瀬純 ワキツレ:村瀬慧
笛:槻宅聡  小鼓:大倉源次郎 大鼓:亀井広忠 太鼓:金春国和

 でも今日はお天気がよくて本当よかったです。『熊野』『葵上』のどちらもお稽古をしたり、好きな曲だったので、充実した1日でした。もちろん今日も関根祥人師の舞台に酔いしれることができたことに感謝します。あ、自分もお稽古がんばらなくては・・・。