「笠岡市史第三巻」 笠岡市史編さん室編 平成8年 ぎょうせい発行
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笠岡の米騒動については、正確な動きは分からない。
『岡山県郡治誌』によると、
8月13日午後8時ごろ、
「笠岡町民は町内の寺院に集合して、その数600名700名に及び、
警察署長の説諭に服さず、米商7戸を襲って米の廉売を強要して瓦礫を投げて表戸を破壊するなどの暴行をして
午前5時に引き揚げた」とある。
『岡山県警察史』にも、
同一記事が載っている。
『岡山県史近代Ⅱ」によると、
8月13日午後12時「群衆約150名其家に押し寄せ、門戸を乱打して之を開かしめたるうえ、店内乱入し素麺・うどんの廉売を強要し、
更に其肥料商を襲い白米の廉売及び金員の寄付を迫り之を承諾」させた。
小田郡神島内村、同外村では、
両村精錬所煙害地被害民が、米価高騰を機として大挙して工場長・副工場長宅を襲撃せんと、
15日夜9時ごろ日光寺の梵鐘を乱打し、鴨野に集合し、(山陽新報8月19日)
群衆2.000人がこれに加わり喧噪となった。
工場側は数百名を出して警戒、笠岡警察署も現場に急行し、鎮撫に努めたので群衆は解散したと記されている。
山陽新報8月25日の記事、
「笠岡町では8月13日、さっそく白米廉売を始めた。
笠岡町は、町の事業として白米一升20銭にて廉売すること、これが救済基金1万円は、町内有志よりの寄付金をもって充当することに決せり。
小田郡笠岡町にては、米騒動も平穏に服し、戎座(のちの大和座)にては、21日より演劇し、付近の村落にては盛んに盆踊りの行われて活気を呈せり」としている。
8月13日から21日まで、なぜ新聞に書かれなかったか。
それは岡山県警察著長名で「掲載一切禁止、掲載したる場合は直ちに差押」禁令を出していたからである。
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笠岡の米騒動については、正確な動きは分からない。
『岡山県郡治誌』によると、
8月13日午後8時ごろ、
「笠岡町民は町内の寺院に集合して、その数600名700名に及び、
警察署長の説諭に服さず、米商7戸を襲って米の廉売を強要して瓦礫を投げて表戸を破壊するなどの暴行をして
午前5時に引き揚げた」とある。
『岡山県警察史』にも、
同一記事が載っている。
『岡山県史近代Ⅱ」によると、
8月13日午後12時「群衆約150名其家に押し寄せ、門戸を乱打して之を開かしめたるうえ、店内乱入し素麺・うどんの廉売を強要し、
更に其肥料商を襲い白米の廉売及び金員の寄付を迫り之を承諾」させた。
小田郡神島内村、同外村では、
両村精錬所煙害地被害民が、米価高騰を機として大挙して工場長・副工場長宅を襲撃せんと、
15日夜9時ごろ日光寺の梵鐘を乱打し、鴨野に集合し、(山陽新報8月19日)
群衆2.000人がこれに加わり喧噪となった。
工場側は数百名を出して警戒、笠岡警察署も現場に急行し、鎮撫に努めたので群衆は解散したと記されている。
山陽新報8月25日の記事、
「笠岡町では8月13日、さっそく白米廉売を始めた。
笠岡町は、町の事業として白米一升20銭にて廉売すること、これが救済基金1万円は、町内有志よりの寄付金をもって充当することに決せり。
小田郡笠岡町にては、米騒動も平穏に服し、戎座(のちの大和座)にては、21日より演劇し、付近の村落にては盛んに盆踊りの行われて活気を呈せり」としている。
8月13日から21日まで、なぜ新聞に書かれなかったか。
それは岡山県警察著長名で「掲載一切禁止、掲載したる場合は直ちに差押」禁令を出していたからである。