『進駐軍クラブから歌謡曲へ 戦後日本ポピュラー音楽の黎明期』(みすず書房)の著者、東谷護さん取材。東戸塚駅前で待ち合わせし、東谷さんの運転で周辺の米軍施設(ハウス)などを案内していただく。カメラマンの森カズシゲ君とツー・スリーの村松さんも同行。東谷さんによると同時多発テロの影響もあってか、米軍の警備は以前より厳しくなっている……とのことなので森君には満面のスマイルでゲートに近づいてもらい何ヶ所かゲート周辺等を撮影。しかし、警備兵は気さくだったが、ハウスで飼われている犬にはずいぶん吼えられた。
1時間30分ほど周辺を撮影した後、次の仕事が待つ森君と別れ、東谷さんの案内でさらに八景島シーパラダイス方面に向かう(東谷さんはオフだったのでほとんどドライブ状態)。
シーパラの近くの横浜テクノタワーホテル ファミールで東谷さんにお話を伺う。終戦直後、日本各地にできた進駐軍クラブ(進駐軍の慰安のためのミュージックホール)に係わった日本人従業員、ミュージシャンたちと、それに始まる戦後日本ポピュラー音楽の変遷。東谷さん曰く、「これから研究が始まる」とのことなので、『進駐軍クラブから歌謡曲へ』は、東谷版戦後日本ポピュラー音楽史の序章とも言える、とりあえず現時点での報告書。大学の講師も務める東谷さんはガチンコな研究者なので基本的には論文ということになるのだけれども、きわめて読みやすい文章になっている。
9月号では東谷さんの盟友で、今回の取材のきっかけを作ってくれた翻訳家の安田昌弘さんに同書のレビューしていただくので、このインタビューはひとまず東谷さんの著作の入口になればいいと思っている。
取材後、東谷さんからご丁寧にもメールを頂く。ホントにドライブのようになってしまいましたが、ありがとうございました。
陽もすっかり落ちて、あんまり有り難味のない(外見ても真っ暗だし)シーサイドラインに乗って金沢八景駅まで。駅前の八景島食堂(八景食堂?だったかな)に入る。入ったのが19時45分で20時閉店ということでおばちゃんにプレッシャーをかけられ、急きたてられるようにメシ。この店は(昭和30、40年代頃を舞台にしたような)映画のロケにでも使えそうな面白い建物だった。
1時間30分ほど周辺を撮影した後、次の仕事が待つ森君と別れ、東谷さんの案内でさらに八景島シーパラダイス方面に向かう(東谷さんはオフだったのでほとんどドライブ状態)。
シーパラの近くの横浜テクノタワーホテル ファミールで東谷さんにお話を伺う。終戦直後、日本各地にできた進駐軍クラブ(進駐軍の慰安のためのミュージックホール)に係わった日本人従業員、ミュージシャンたちと、それに始まる戦後日本ポピュラー音楽の変遷。東谷さん曰く、「これから研究が始まる」とのことなので、『進駐軍クラブから歌謡曲へ』は、東谷版戦後日本ポピュラー音楽史の序章とも言える、とりあえず現時点での報告書。大学の講師も務める東谷さんはガチンコな研究者なので基本的には論文ということになるのだけれども、きわめて読みやすい文章になっている。
9月号では東谷さんの盟友で、今回の取材のきっかけを作ってくれた翻訳家の安田昌弘さんに同書のレビューしていただくので、このインタビューはひとまず東谷さんの著作の入口になればいいと思っている。
取材後、東谷さんからご丁寧にもメールを頂く。ホントにドライブのようになってしまいましたが、ありがとうございました。
陽もすっかり落ちて、あんまり有り難味のない(外見ても真っ暗だし)シーサイドラインに乗って金沢八景駅まで。駅前の八景島食堂(八景食堂?だったかな)に入る。入ったのが19時45分で20時閉店ということでおばちゃんにプレッシャーをかけられ、急きたてられるようにメシ。この店は(昭和30、40年代頃を舞台にしたような)映画のロケにでも使えそうな面白い建物だった。