徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

博多取材③(7月22日)

2005-07-23 16:57:20 | LB中洲通信2004~2010
20時30分にエルガーラホールでの取材が終わり、せっかくなので名和さんと屋台でラーメン。その後1時間以上飲んでいたので屋台の兄ちゃんに急き立てられるようにされて屋台を出る。名和さんとは取材が決まり次第連絡するということで、そこから別行動へ。エルガーラで藤堂編集長と会えなかったのでオレは中洲のリンドバーグへ移動。
編集長と会えなければとりあえず飲むしかない。まず飲む。待つ。そして飲む。待つ。とりあえず飲む。おそらくもう今日の取材はない(今回の中洲物語の取材はない)と完全に気が緩み、酔っ払った午前1時過ぎ、編集長から中洲でバーを経営している元太平洋クラブ~ロッテの名選手・高橋二三男さんへの取材指令。高橋さん、取材ではご迷惑をおかけしました。

もう自己嫌悪。
昨日会計すんのも忘れた……。

博多取材②PIKADON PROJECT(7月22日)

2005-07-23 16:42:24 | LB中洲通信2004~2010
16時に博多のエルガーラホール入り、前回の取材でお世話になったグレパパ福岡事務所の中村鉄平さんに挨拶。黒田征太郎さんのライブペインティング イベント・PIKADON PROJECT『絵と音と~今ココに生きている」。鉄平さんから舞台監督を紹介していただき、名和さんは取材のセッティング。
客席が半分程度埋まった18時頃、MCのお姉さんに促されて、参加者の子供たちが白地のキャンバスに思い思いの絵を描いていく。さらに黒田さんと「JOY倶楽部アトリエ・ブラーヴォ」の青年3人が古謝美佐子都はるみの『黒い雨』が流れる中、キャンバスに絵と色を描きこんでいく。このパフォーマンスは感動的で、メモを取ったり、シャッターを押していないと泣きそうになる。たぶん客席にいたら泣いていた。

言葉ではなかなか言い表せないが(それが仕事だろっての)、「わかってしまった」のだ。

パフォーマンス前の黒田さんのスピーチの意味も、さらに6月号で黒田さんにインタビューしたときの内容も、すべてが伝わってきた。それぞれいろんな意味はある。黒田さんの行動はPIKADON、つまり反核を訴えるものだし、古謝さん、都さんの歌う『黒い雨』のモチーフは井伏鱒二のあの『黒い雨』そのものだろう。もちろんそれが前提ではあるけれども、大きなキノコ雲の絵の意味を越えて、歌詞の意味を越えて、色(絵)と声(音)のプリミティヴな感動があった。

休憩を挟んでハンデキャッパーの音楽集団「JOY倶楽部ミュージックアンサンブル」の演奏に合わせて黒田さんは文字通り踊りながら絵筆を走らせる。

黒田さんたちPIKADON PROJECTのパフォーマンスが表現しているのは「つながる」であり、「つづける」であり、「つたわる」である。福岡でもこのイベントが続くことを祈りたい。オレは東京でこの続きを見たい。

それにしてもオレたちも含めてだが、取材クルーの数が多かった。

博多取材①(7月22日)

2005-07-23 16:14:28 | LB中洲通信2004~2010
朝6時30分に起き、LB9月号残りの校正。これで校了。前日まったく博多取材の準備をしていなかったので(泥のように寝てしまった……)、思いつくものをバッグに詰め込んで、羽田へ向かう。8時30分、何とかチェックイン1時間前には到着し、カメラマンの名和さんと合流する。午前中には福岡空港に到着するが、具体的な日程は1件、エルガーラホールで行われる黒田征太郎さんのPIKADON PROJECTのみ。残りは現地でアポを取る予定。

荷物をホテルに預け、10月号SION特集用に、バグコーポレーションのTさんに紹介していただいた、熱烈なSIONファンの経営する酒場「NOIZ/NOIS」と居酒屋ふとっぱらのマスターに連絡。明日、明後日の取材の日程を組む。
しかし中洲物語用の取材はまだ未定……。