徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

ZEN

2006-11-11 01:07:52 | Works
野球体育博物館が楽しかったので、予定時間をオーバーしてしまった。急いでタクシーに乗って麻布観音の「曹洞宗大本山永平寺別院 長谷寺」に向かう。何とか時間ぴったりに到着。週に一回行なわれる座禅会の取材。実際の座禅会は毎週月曜日に行なわれるので、今回はオレと入江がモデルになって(後姿)イメージカット。
せっかくなのでとイメケン僧侶の方に頼んで入江に警策を打って頂いたのだけれども、取材用とは言え、どうも緩い。「ちなみに本気でやるとどんな感じですか?」と訊いて、試しに座布団を打って頂いたのだけれども、どう考えても三倍は強い勢いで打っていた……本物だ。こちらもいい経験になった。

ちなみに長谷寺にはエノケンや坂本九の墓石があり、小堺一機のお父さんが持ち帰った南極の石があるという、麻布らしいお寺である。

santana「milagro」、elmore james「the sky is crying~the legendary fire/enjoy sessions」、「chess pieces~the very best of chess」、earl hooker「blue guitar~the chief/age/u.s.a. sessions1960-1963」、nina simone「sings the blues」、fela kuti and the africa'70「na poi」「shuffering and shmiling/perambulator」購入

野球の懐

2006-11-11 00:38:28 | Works
午前中は、ちと作業とメール返信。午後から取材。

まずはKONAMI CUP アジアシリーズ 2006の初戦当日の東京ドームへ向かう。といっても今日はゲームの取材ではなくて、21番ゲート付近にある野球体育博物館の取材。毎年の野球殿堂入りのニュースで有名な、昭和34年に開館した老舗博物館。東京ドームに併設されているけれども、あくまでも財団の運営。

で、これは油断してました……先生、野球がしたいです。
王ジャパンのWBC、プロ野球の展示に始まり、野球の歴史、アマ野球の現在、そしてレリーフの並ぶ野球殿堂、さらにコアな野球ファンは野球版国会図書館とも言える資料室で野球関連書籍、雑誌を見るのもいい。これが、野球ファンだった記憶が四半世紀ほどない、オレにもものすごく面白かったのだ。
「漫画で見ていた」王さんが打法を開眼したあの日本刀があった。「オレも遊んだ」消える魔球の野球盤があった。「中継で熱くなった」WBCコーナーのスパイクの裏には、ペトコ・パークで行なわれた決勝戦後の表彰式で舞ったあの紙ふぶきがまだくっついていた。「写真で見た」ベーブ・ルースのあのジャンパーがそのままある。いやーやっぱり野球ってすごいわ、歴史あるわ、懐深いわ……と思いながら、取材担当のAさんの話を聞いていた。さらに、日本刀があるなら、応援団のトランペットがあってもいいじゃないか。数多あるであろう、プロ野球の、社会人の、学生野球の応援歌の歴史があってもいい。野球盤がオッケーなら、水島先生の野球漫画コーナーがあってもいいじゃないか。と、いろいろと想像してしまった。できることはいくらでもあるよね。それらが全部混在するのもスポーツ文化だ。ま、現状でも展示物は十分楽しいのだけれども。
館内撮影自由(個人使用限定)なのも、何だか嬉しかった。「子どもが展示物の前で記念写真を撮ることで記憶に残る」ということらしいのだけれども、どこへ行っても、何をしてもライセンス、ライセンスの世知辛い世の中で(例えばコレ)、これは素晴らしく、良い判断だと思う。

ただひとつ残念なことがある。野球体育博物館には維持会員という支援システムがある。会員は入口横に名前が記載されているのだけれども、個人会員があまりにも少ないのだ。驚いたことにプロ野球選手OBの名前も少ない。年会費(個人会員)1万円だ。1ヶ月にしてもたったの1000円以下だよ。張本勲さんの名前の横に自分の名前があったら誇らしいじゃないか。元ニッポン放送の深沢弘さんの横に自分の名前があったら嬉しいじゃないか。スポーツ文化ってそういうもんじゃないの。

自分が「そこ」にいたことを再確認することで、人は「それ」をもっと愛する事ができる。特別野球ファンでもないオレでも「野球の記憶」はある。そしてその記憶の欠片は野球体育博物館の中にあった。野球ファンならば野球体育博物館の維持会員になった方がいい。以前取材した日本科学未来館「友の会」に入会するのと一緒に、こっちの維持会員にもなろうかな…。

と、取材後熱く野球を語った取材班の3人、ひとりはFC東京サポ、ひとりは清水エスパルスサポ、もうひとりはスポーツに興味のない男なのであった。