ぼくのおかあさんのお母さんはもういません。平成元年でしたから、15年になるのですね。
若い頃は小説なんかを書いて文芸誌に投稿していた文学少女だったそうです。懸賞の時計が自慢だったそうですが、おかあさんは、そんなもの見たことありませんでした。
3つから5つ違いで7人も子供を産んで、でも、のほほほんとした母親でした。
おかあさんの友達はみんな、やさしそうなおかあさんね、と言ってくれました。それはそうです。一番末っ子のおかあさんが生まれたのは、45才のときですから、おばあちゃんみたいだったのでしょう。お勤めしているときのお弁当のきんぴらゴボウが評判で、その頃の友人と話題になることもあります。
でも、わがままでした。父とも、あんまり仲がよいようには見えませんでした。死んだら自分の実家のお墓に入りたいと言っていました。でも、死んでしまったらおしまい。ぼくのおかあさんも死んだら、お母さんと同じお墓に入りたいと思ってるけど、きっと、入れてはもらえないだろうね。お墓はどこでもいいや。なくってもいいし。。
転んだとき、老人でよくある大腿部の骨折から、亡くなるまでの3年間は寝たきりになりました。でも、呆けることなく、毎日、短歌や俳句を作っていたのは、しあわせだったと思います。ぼくの先代のももすけくんはおとなしい子だったから、紙袋に入れられて、病院へお見舞いに行ったそうなんだ。おばあちゃんは、とってもよろこんでいたなぁ。。。
若い頃は小説なんかを書いて文芸誌に投稿していた文学少女だったそうです。懸賞の時計が自慢だったそうですが、おかあさんは、そんなもの見たことありませんでした。
3つから5つ違いで7人も子供を産んで、でも、のほほほんとした母親でした。
おかあさんの友達はみんな、やさしそうなおかあさんね、と言ってくれました。それはそうです。一番末っ子のおかあさんが生まれたのは、45才のときですから、おばあちゃんみたいだったのでしょう。お勤めしているときのお弁当のきんぴらゴボウが評判で、その頃の友人と話題になることもあります。
でも、わがままでした。父とも、あんまり仲がよいようには見えませんでした。死んだら自分の実家のお墓に入りたいと言っていました。でも、死んでしまったらおしまい。ぼくのおかあさんも死んだら、お母さんと同じお墓に入りたいと思ってるけど、きっと、入れてはもらえないだろうね。お墓はどこでもいいや。なくってもいいし。。
転んだとき、老人でよくある大腿部の骨折から、亡くなるまでの3年間は寝たきりになりました。でも、呆けることなく、毎日、短歌や俳句を作っていたのは、しあわせだったと思います。ぼくの先代のももすけくんはおとなしい子だったから、紙袋に入れられて、病院へお見舞いに行ったそうなんだ。おばあちゃんは、とってもよろこんでいたなぁ。。。