ジャッカ・ドフニとは「大切なものをおさめるところ」というような意味で、北方少数民族の文化を伝える資料館が網走にあったそうです。
今年2月に亡くなった津島佑子、今まで読んだことが無く、たった一度、もう30年くらい前に朗読の勉強会で数行を読んだくらい。
まだ、勉強会のテキストが用意されていなくて、各自好きなのを持ってきて先生の前で読む、というときにたまたま選んだものでした。
図書館できれいな本(装丁が)をぱらぱらと見て、文章のきれいさに、これ、と決めたのが津島佑子という作家。
勉強会のあと、その本の続きは読まずに返し、題名も記憶にありません。
厳しいことばかり言う朗読の先生「えらい、暗い文章やな」と。30人の受講生が年度末には3人になるくらいで、泣いて辞めた人がたくさんいました。(残った人はボランティアの使命感か、朗読が好きか、はたまた、私のような鈍感な人たち)
しかし、私はその暗い、かもしれないけれど、静謐というか落ち着いた雰囲気が好ましく思えたのでした。
そして先日、新聞の書評欄で津島佑子の名前を見て、図書館で借りて読みました。
図書館で借りると返さなければならないから、絶対、早く読めるのです。
ただ、装丁がきれいだと手許に置いておきたくなります。
なんか見たことあるなぁ、と探してみたら、40年以上前の(30年前とか、古い話ばかりネ!)マカオの写真。
読み応えのある小説でした。
遺作を読むのが面白いと思います。津島佑子さんは肺がんで亡くなっていますから当然、死とは向き合って完遂なさったと思われますが、ご自分の死のことをほのめかすようなことはひとかけらもなく、立派な大作を書きあがられていてさすがだなと思いました。
ちなみに、遠藤周作「深い河」、井上靖「孔子」、佐野洋子「死ぬ気まんまん」が私の本棚にありますが、こういう本の読み方もおもしろいでしょう。
好きな作家という思いがありましたが、作品は、『寵児』 『光の領分』『山を走る女』を読んだきりで、中期後期の作品は、『火の島』なんぞ十何年もツンドクのままでした。
今年2月に亡くなったこと、残念でした。遺作、読んで見たいです。
本は読んだ方が良いという思いで若い頃は読み
ある年齢からは話題作りに読み 今はなかなか読めません。
趣味は? 「読書です」とは言えません
もしかしたら本はアクセサリーかも(*^_^*)
いつも何か持っています。
この酷暑の中で、読書に集中することは
むずかしいですね。
クーラー漬けになってしまい、眠気に
誘われてしまします。深い河読みました。
遠藤周作さんは好きな本とそうでもない本
に分かれています。沈黙も重いけど好きでした。狐狸庵日記も大好きでした。
あのときも、亡くなる少し前だったような気がします。
津島佑子の遺作はどうやら「狩りの時代」という小説のようです。
最近の本の新聞広告で見たのですが、これも読んでみたいと思います。
首の手術以来、俯くことが苦痛でちゃんと座って本を読むことはありません。
新聞をさらさら~と見る程度。
本は横になって読むもの、になりました。
もちろん、平和が一番です。
しかも、寝ころんで、です。
一人で熱中症になって死んでたら、帰ってきた夫がびっくりしてはいけない、と。
遠藤周作、「おばかさん」という新聞連載小説を読んでいてちっともおもしろくありませんでした。
でも、「沈黙」や「死海のほとり」は別人かと思うほど。
ryoさんならではの、作家感がおありでしょうね。
きれいな本は手許に置いておきたいですよね。
でも、手許にあるといつでも読めると思って、いつまでも読んでいないのがあるのです。ほとんど、、かな。