今年の桜は例年に比べて遅い、と言われていましたが、ようやくぼくんちのあたりも満開になりました。
例年というのは、ここ数年というニュアンスだけれど、平均というと何年前からの統計なんだろう。。
30年ほど前までは小学校の入学式がちょうど桜がきれいに咲く時分だったのだけれど、それは古すぎるのかしら?
ついこのあいだのことのように思っているおかあさん。。
それにしても、さくら、さくら、なんでこんなに胸がときめくのでしょう。
若いころは、ちっともどきどきしなかった、たった40年ほどの前なのに。。
でも、その若いころになんだか妖しい気分になったのが大阪の高津神社。
先週、憧れの人でもある朗読の先輩が朗読とオカリナの会をその神社でするというので、オカリナをやっているFちゃんをお誘いして、お花見もしてきました。
坂口安吾のお話がすてきでした。
会場は二階にあり、窓から下にある建物の黒い屋根に桜が映えてとても美しくて、桜はこういうのもありと発見。
たった一度しか訪れたことのない神社だったのに、なぜか、ああ、こんな石段だった、そうそう、こんな感じと、物忘れのひどいわりによく覚えていました。
夜桜、その神社に一歩踏み入れた時、なんか妖しい感じがしたのでしたが、今回は昼間、しかも親しいお友だちといっしょだったからでしょうか、明るくて何も感じませんでした。
13歳年上の姉は3人姉妹の中では(もちろん、おかあさんはそのころはまだまだ論外)ちょっときれいで、よくもてていたようです。
のちに結婚する義兄とのデートの時はいつでもくっついて、遊園地や動物園に連れて行ってもらっていました。(見張り番だった)
帰りに心斎橋のミツヤや不二家で甘いものをごちそうしてもらったこと、その義兄からプレゼントされた『十五少年漂流記』(彼の読み古したものでしたが)はいまだに懐かしく、はっきりと覚えています。
義兄は高津神社の近くに勤めていて、多分、なにかの用事で大人になったおかあさんは、その会社に行き、帰りにちょうど桜の時期だったのでいっしょに夜桜を見に回ったのだと思います。
その義兄も姉も、もう、この世にはいません。
桜はなぜか、亡くなった人のことを思い出すものだそうです、ね。
桜の妖しさが感じられる大人に、じゅうぶんになってしまった、と思います。
そのお宅はその時期だけライトアップされるのです。
それも普通のライトでなくオレンジ色でしたから、木の上から妖気が漂っているようでした。
私もmomosuke様がおっしゃるように、
桜の妖しさが感じられる大人だったということでしょうか。
おうちに桜のあるのがうらやましいですが、虫などの手入れが大変で、だんだん少なくなってきていますね。
そういう我が家も越してきたときには桜があったのですけれど。
桜って、不思議ですねぇ。
nampooさんも妖気を感じられましたか。
でも年々楽しみなのは 年のせい(?_?)
こちらは まだまだなので満開に喜びました。
とても良い時間を ありがとう♪
好き好き、大好き。繰り返し読みました。このひとの作品では、いちばんかな。
いま、こっちは雨はたしたことないけれど、風が凄いの。だいぶ、散っちゃいそう。このはかなさが、ポイントなのかな。
私もそんな思い出があれば桜がもっと好きになった
でしょうが、思い出は何もないのです。
だから、大人になりすぎた今頃に、桜が大好きで
お弁当もって子供のようにるんるんとして桜を
みています。
momoさんやnampooさんのようにすてきな思い出が
あると、桜もまた妖しく一段とすてきなのにな..
その時々の気分によって、見える風景が違ってくるような気がします。
今年の我が家近くの桜はにっこり顔でした。やはり花より団子かなぁ。
もも君、ごめんなさいね。リンちゃんのようにお呼ばれしないのにいつも勝手におじゃましちゃって。
夜中に満開の桜の下を歩くと、確かに不思議な気分になることがありますね。
桜の魔力でしょうか。
それにしても、美人姉妹なんですね。
デートに妹同伴とは健全なデートだなぁ♪
こちらは、ちょうど満開になりましたが、やはり、花に嵐です。
寒かったですけど、お付き合いくださってありがとうございました。
ところは神社の社務所、花は七分咲き、朗読された方々もお上手で、聞き惚れてしまいました。
今日はこちらも雨がひどかったです。
花に嵐、でも、まだ開ききっていないので花吹雪とまではいかないようですよ。
桜はいつも下から眺めるもの、と思っていましたが、黒い屋根を背景にした図もいいものでした。
花にまつわる思い出、それぞれですね。