ももすけの日記

きゃあと言ふ声あちこちで穴まどひ
ああ面白かったと言って死ねたらいいな

中越地震

2004年12月23日 22時37分00秒 | 日記
今晩、ぼくのおかあさんはいつもより早くお風呂に入っていました*(温泉)*

テレビでは2ヶ月たった中越地震の被災者の雇用問題などを言っていました。

長岡の温泉旅館の従業員が全員解雇されたのです。
女将さんは宿泊の予約をしていた人たちに、旅館が使用できなくなったのでと断りの電話をしていました。

でも、直接お客と話をしていて、逆に再建する気になってきたそうです。
8月の長岡まつりには間に合わせたいと。
一度出かけてみたいと思ったのはぼくのおかあさんだけではないでしょう。

中学の陸上の県予選が迫っていました。みんなが自宅を出て避難所生活をしている中、子どもたちが自発的に練習を始めていました。

そういう報道を見ていて、こちらも元気をもらっています*(ラブリー)*

だけど、その番組の途中に”中越地方、震度4”のテロップが流れていたのは、なんということでしょうか。。。

12月22日

2004年12月23日 00時06分00秒 | 日記
きょうはぼくのおにいちゃんのお誕生日でした*(ケーキ)*
といってもおにいちゃんはもうこの家を出て12年にもなります*(びっくり2)*

冬至が誕生日、と思っていたので昨日が冬至だったのを忘れていたんだ。

1年4ヶ月でおにいちゃんになり、お誕生のころにはスタスタ歩いていました。

小学校の時、ランドセルを忘れて帰ってきたことがありました。次はランドセルを背負っているけど、中が空っぽでした*(びっくり1)*

赤ちゃんの時、なかなか言葉が遅かったので”ママ”"パパ”と呼ばせていました。
それが中学に入学したとたん「パパママは格好悪いから”お父さん”"お母さん”にする」と宣言したのです*(グッド)*

ミーハーのおかあさんが受けるだけ受けたら?なんて、そして東京見物がてら受験した大学に受かってしまって、それからどんどん大人になったみたいだね。

もう十分に結婚していていい年齢だけれど、おかあさんはおばあちゃんにもなりたくないみたいだ。。

おねいちゃんが美味しいケーキを買ってきていたのでさっき食べました。暖かい部屋の中で*(家)*
おにいちゃんは一人さびしく、今ごろおうちに帰ってきている頃でしょう*(ツリー)*

紅白歌合戦♪

2004年12月21日 21時45分00秒 | 日記
今、テレビで過去の紅白歌合戦の名場面集とかいうのをやっているよ*(テレビ)*

NHKもなんだかだとタイヘンそうだけど、やっぱり大晦日はテレビを見る機会があれば「紅白」を見てしまいます。

氷川きよしも可愛いけど、舟木和夫の「高校3年生」坂本九ちゃんの「見上げてごらん夜の星」それから、それから~*(星)*

ふぁ~、きょうはおうちのなかの大掃除なんかを始めたので腰痛です。
暖かいので、仕事ははかどりましたが。

やっぱり、森進一がいいなぁ~~*(音符)*
越路吹雪~~*(音符)*
美空ひばり~~~*(音符)*

そうだったんだぁ*(びっくり1)*
きょうは冬至。
ぼくのおにいちゃんのお誕生日はいつも冬至なんだけど、今年は閏年だったんだね。
一日中、おうちにいたものだからすっかり忘れていました。

柚子湯もかぼちゃも無かったけど、まぁ牡蠣フライでも元気になれるわ~*(ニヤ)*

Cafeの日記

2004年12月20日 13時34分00秒 | 日記
ぼくがこのCafeに迷い込んで、”ここなら誰にも知られずに本音をさらけ出せる。しかも、読んでもらいたい人だけには知らせることが出来る”と大発見してからもう2年と少しになるんだ*(びっくり1)*

リニューアルになって、過去の日記がすぐ読めるようになったね*(笑顔)*
もうぼくは以前のようにノートには書いていない。だから、このCafeが消滅するか、ぼくが退会すると日記も消滅してしまう。

CDにでも記録してみよう、なんて考えてちょっと試してみたけど、ネットにつながっているのって一度自分のPCに保存しなければならないのかしら?音楽のCDみたいに簡単にはいかないんだ*(初心者)*

ま、ぼくの日記なんか保存してもぼく以外には興味のないことだし、それに子供のころからの日記も処分してしまったんだった。。。

でも、ひとさまの日記を読むのはたのしい*(笑顔)*
ぼくはベッドの中で本を読むのが一番落ち着くんだけど、パソコンはベッドの中で読めないから残念だよ。今度壊れたら、またノートパソコンにしようと思う*(ラブリー)*

清めの塩

2004年12月18日 23時21分00秒 | 日記
お葬式に行くと会葬御礼の品といっしょに塩の小袋が入っている。
そういえば、最近、気にもとめなくなったのはそれが無くなってきているからかもしれないね。

<仏教では死を穢れとうけとめることはありません。「死もまた我等なり」生死するいのちを精いっぱい生きていく事こそ人間としての生き方であると示しています>

明治に生きた清沢満之という仏教学者、といっていいのかな、僧侶であり先生でもあった人だそう。

最近になって、死を問い直し清めの塩の廃止に仏教会が取り組み始めたそうです。

この方のことははじめて今朝の新聞の記事で知ったのだけれど、ぼくも前から「塩」のことは疑問に思っていたんだ。
第一、清めの塩を使ったことはない。

その清沢さんは若くして病気で死と向き合っておられ、30代終で亡くなっているそうです。
今ぼくは生死に関わる病気でもないけれど、やはり、いつも「死」のことは頭にあるんだ。

年のせいかもしれないね。
ところで、飲み屋さんの塩は今でもあるのかしら*(はてな)*