6月13日(火)
小学校の高学年になるころには、農繁期休暇もなくなってきたのではないかと思う。中学では、休暇はなかった。中学か、高校に入るころには、魚野川の大規模な河川改修工事が始まり、我が家は、川の土手の内側になることになり、すぐ近くに新たに立て替えて、引越した。その時、我が家の畑を含み、川のすぐそばの河川敷のようなところにあった畑は、すべて国が買収した。畑はなくなった。家屋敷のちょっとした家庭菜園だけになった。
私自身、小学校の高学年になると、農作業の手伝いは気が進まなくなっていた。中学に入ると、部活をやることを口実に、ほとんど手伝わなくなった。泥まみれ、土汚れのきつい作業をやるのが馬鹿らしく、いやになっていた。そのころから、高校に入る、大学を受験したいと、農業や、農村、地方から離れ、都市に行きたいという気持ちが強くなっていた。
だから、この地方の農業が、どのような状態だったのかは、関心がなかったから、ほとんど記憶にない。だから、1960年代に入ったあたりからの魚沼地方の農村の実態についての具体的な記憶は全くと言ってよいほどにない。見向きもしなくなっていたといってよい。
だから、移住を決める1980年代初めまで、20年ほどは、何も見ていなかった、空白の20年間といってよい。