6月18日(日)
【一日、共同作業。午前中は宮薙ぎ。午後は寺の草刈り、清掃。刈払機を背負い、疲れる。実働は、3時間ほどのものだが。】
移住してすぐに、米つくりは始まった。土地購入時に世話になった農家の紹介で、10aほどの田んぼを借りることになった。同時に、水道工事店でのアルバイトも紹介され、その世話で、中古の耕運機も購入した。全く経験のない耕運機、田んぼを耕すことも、代掻きのことも初めての経験。知らない上の怖いもの知らずで、いろいろ失敗も多かった。近所の農家にも助けられ、見よう見まねでの米つくりだった。
畑は家の敷地で、500坪くらいから始める。杉の間伐材を柱に、小さな鶏小屋も自作した。20羽ほどの雛を購入して、採卵鶏の飼育も始めた。やはりしばらくは、全く農業収入はなく、配管職人の収入と、自作による農業施設つくりと、中古農機での、田畑作業がしばらく続くことになる。田んぼや畑は、少しばかり遠かったり、段々の棚田だったりだが、二年目からは、5~6反ほどを耕作することになった。鶏も、100羽くらいの飼育になり、少しは、農業収入もできるようになった。
しかし、とても、生活できるほどでなく、職人の賃金が主だった。田植えと、稲刈りの農繁期には、まとめて休み。それ以外は、週に4~5日は配管工、2~3日は農業に従事。重労働や、機械を使う作業を主にやった。鶏の世話と、畑の日常管理は連れ合いと、分業体制ができ、長いことそれは続いた。