6月29日(木)
【7月にもならないのに、もう完全に夏突入だ。暑くちょっと動くと汗、身体が重くだるい。カラカラ畑では何もやる気がせず、畑の片づけを少しやっては休みを繰り返し、一日を終わらす。そんな毎日で、いいんだろうかと思うが、気持ちも乗らない。】
田植え機は、ほとんどすべて、乗用田植え機に入れ替わった。移住した当時は、田植え機が普及するころだった。ごく一部を除き、二条植えの歩行型田植え機が主だった。ぼちぼちと四条植えの機械が見られるようになったころだった。基盤整備の完了は、四条植えを一気に加速し、六条植えの大きな機械も散見した。しかし、いずれの機械も、水の入った泥田を、歩かなければならず、機械の操作はかなりの重労働だった。当地の水田は、重粘土質で、深い田んぼが多いので、大型の乗用田植え機の普及は遅れ気味だった。しかし、基盤整備から年数がたち、耕土も落ち着いてきたことと、農機具メーカーの技術進歩もあり、順次切り替えてゆく農家も出てきた。乗用田植え機が、一気に増えたのは、コンパクトな、四条植えの田植え機が比較的安価で発売されたからだろう。それまでは、六条が主だった。その後、五条植えや、八条植えも見られるようになり、今では、歩行田植え機は、見ることができなくなった。
最初のころは、田植え機で植え終わった後、何日も田んぼに入り、補植をする農家がほとんどだった。欠株を補い、植え付け本数が少ない株には、何本かの苗を補い、機械での作業以上の日数をかけ「差し苗」をしていた。その後、コメ価格と、労力、さらに、補植の増収効果への疑問、労力減、経営の代替わり、窓などの影響で、補植する風景は変わってきた。機械で植えることのできない田んぼの四隅のみ、ちょこっと補植して終わり。あるいは、四隅すら、植えずにそのままにしておく、そんな田んぼが多くなった。
本当の機械化で、田んぼの中を歩くことはなくなった。