6月21日(水)
我が家の農業は、採卵鶏養鶏と、水稲が主の出発だった。移住した地区は、強い粘土質の土地で、畑は少なく、田んぼが中心の地域でだった。雨が降れば、ぐちゃぐちゃ、乾けばガチガチになるような土質で、水はけも悪く作業は大変だった。米つくりの最初の数年は、友人たちの援農や、田植えツアー的に都市からの応援を得ての、手で植える田植えと、手鎌による稲刈りの、人海戦術による、作業だった。多いときは、10数人もで、田んぼに並んでの、にぎやかな田植えや稲刈りを行った。しかし、それでは、農業を主にする生活からは程遠く、中途半端な状態が続くことになっていた。
それでも、中古の機会を世話してもらったり、機械を借りての仕事を増やし、少しづつ機械も増えていった。人とのつながりも増え、少し遠いところに、まとまった畑を借りれるようになってから、米と卵と野菜のセットを消費者に直接、宅配便で届ける提携農業を、少しづつ増やし、それを中心にする農業へ進んでいき、今に至っている。
2023年。移住して、40年になる。この40年は、農業の変化の、ものすごいスピードを実感し、体感した、40年となった。