旧五街道、それは江戸を起点に整備された日本の幹線と言える道です。
そのうちもっとも有名と思われる東海道。以前より何度も紹介していますが、この道は江戸日本橋と京都三条大橋を結んでいました。
しかし、実際の利用はどうだったかというと江戸と大阪を結ぶ道という性格が強く、大阪高麗橋までを結ぶ京街道とセットで扱われていたようです。
そうなんです。東海道っていうのは江戸と京都だけの道ではないんです。現在の東海道本線も支線直通の列車が結構あったりしますし。
1920年に施行された「道路法」では旧東海道の役目を受け継ぐ形で国道1号線が指定されました。
「東京市ヨリ神宮ニ達スル路線」として國道1號が、途中まで重複する形で「東京市ヨリ鹿兒島縣廳所在地ニ達スル路線」として國道2號が、という感じで指定されていきました。
江戸から大阪、更にその先の山陽道、九州道を経て鹿児島に至る道よりも伊勢神宮に至る路線のほうが重要とされたことが良くわかるかと思います。
時代背景的に神道の聖地が最重要視された形ではありますが、それを抜きにしても昔から東海道から伊勢神宮に至る旅行は人気を集めていました。
一般人の旅行が規制されていた時代でも伊勢神宮参拝だけは許されていたため、神宮参拝を口実におでかけというのは結構あったみたいです。
不要不急のおでかけじゃなくて、これはどうしても欠かせない移動なんですよ~っていうのに似ている気がします。
そんなわけでして、旧東海道と密接な関係があるのが伊勢神宮へのアクセスを担った伊勢街道。ここを制覇するのが今回の目的です。
ついでに伊勢湾フェリーと豊橋鉄道サイクルトレインを駆使して伊勢湾一周してやろうと企んだわけです。どっかの誰かが東京湾一周ライドしてたのもありまして(笑)
今回のルートは道中のシェアサイクル展開エリアの少なさから、HELLOCYCLINGでもドコモバイクシェアでもどちらでも大差ありません。
せっかくなので、電池長持ち回生機能が付いた車両が導入されていてかつアクセスが容易な名古屋のカリテコバイクを利用することにしました。
ただ、最近は写真のような新型車が導入されてきているので注意です。乗ったことはありませんが回生ブレーキがついているほうがいいはずです。
ナナちゃん人形前まで行くと、ありました。ハンドル部にでっかいプラカバーがついているのが目立ちます。
FL充電個体をチョイスし、いざ伊勢神宮を目指します。
時刻は13:40。徳島からなので移動に時間を奪われるのが痛いところ。
あと、仕事終わり直工のため用意をして挑んだのですが、大事なカメラを自宅に忘れてきてしまいまして。残念ながら写真は全てスマホ撮影です…
伊勢街道の起点となる四日市の日永追分までは特にルートに拘りが無いので、とりあえず国道302号線に出て飛島から国道23号線を走ることにしました。
適当に名古屋高速万場線の下を走って西へ向かったのですが、岩塚にあの8番らーめんがあるなんて知りませんでした。今度帰省した時にでも食べてみようかなぁ。
万場周辺では佐屋街道と交差。東海道の脇街道ってことでここ佐屋街道も自転車で走りましたなぁ。
国道302号線に沿って南下、飛島を目指します。
最近名二環が全通しこのあたりの景色は大きく変わった気がします。実家からの生活圏内なので結構驚きの光景です。
国道1号線が国道302号線と立体交差するかの里交差点。私が子供の頃はただの平面交差だったんですが今や3重構造ですよ。
あと、国道302号線の起点ってかの里だったんですね。てっきり伊勢湾岸自動車道飛島ICとの接続地点かと思っていました。
富田とか南陽にも都市高速が通ったっていうのがかなり違和感の塊でした。
両茶橋を過ぎるともうすぐ飛島村。イオンモールが出来るまでは中川・港エリアのバスの行き先としてよく見かけた両茶橋も寂しくなった気がします。
ここは新田開発で出来た土地で、茶屋新田と名乗っていたものを東茶屋・西茶屋に分割しその境界にあることからこの名がついたみたいです。
茶屋と聞くと旧街道のお休み処かな?と思ったりしますがこの辺りは新田開発で出来た比較的歴史の浅い土地。開発者の屋号から茶屋と名付けられたそうです。
飛島大橋を渡ると日本一お金持ち名村、飛島村へ。
ここからは国道23号線をひたすら進みます。元々は国道1号バイパスとして開通した区間と、國道1號線として神宮に至る区間を引き継いだ国道23号線っていうのは結構東海道との関係が深い路線なのかもしれません。
毎回思いますが、国道23号線だと鍋田川が県境なのなんか拍子抜けするんですよね。
この先は三重県木曽岬町。よく見たら一回KISOZAKIから直した跡が見えますね。
木曽川大橋を渡って三重県の本土を目指します。キロポストの数字は374.8km。国道1号バイパスとして整備された区間では今でも日本橋起点の数字が振られています。
長島PAで魔材休憩。
四日市では貨物駅に留め置かれている多数のタンク車を観察。こういうのかっこいいっすよね。
四日市駅で快速みえ号を撮影。スマホでもなんとか流せますね。
あとはレッドベアさんも。かっこいいっす。
自転車東海道第一回の時に撮った構図でカリテコバイクを撮影。
お腹が減りました、給油。
18:19 日永追分
ここが東海道と伊勢街道の分岐点。ようやくスタート地点というわけです。
もう日が暮れてくる時間ですが、明日の負担を減らすためもう少しだけ。目標は鈴鹿です。
旧伊勢街道に交差する築堤。最初は鉄道廃線跡かなと思いましたがここは伊勢街道神戸宿の見附だったようです。
宿場の入口の警備とための石垣が今も残っているとは驚きました。
神戸の見附という名称からわかる通り、さっきの石垣を過ぎると伊勢街道最初の宿場である神戸宿となります。
かつては伊勢神戸駅を通ることから神戸支線と呼ばれていましたが、今では鈴鹿市駅・鈴鹿線にそれぞれ改められています。
このあたりは住宅街ですが、大きな常夜燈が残っているのは嬉しいものです。
伊勢鉄道線の拠点駅といえる鈴鹿駅。いかにも公団線って感じのコンクリ造りの駅舎がそびえています。
このあたりから飴がぱらついてきました。早く宿へ向かわねば…
近鉄名古屋線に沿う感じで国道23号線を進んでいきます。
19:51 快活CLUB鈴鹿白子店
ここで宿泊…と思っていたのですが、今時の快活では標準装備だと思っていた鍵付き個室・シャワーのない店舗であることが判明。
個室がないのは我慢できますがシャワーがないのは痛いです。雨に濡れていますし。
そんなわけで諦めてもう少し先へ進むことにしました。
とはいえこの先泊まれるところと言ったら12km先の津駅周辺くらいなもので、少なくともあと1時間ほどは漕がなくてはなりません。
磯山駅にて。
現在の白塚駅の近くの国道23号線上には、三重交通の「逆川」バス停が立っています。
昔伊勢電気鉄道が走っていた時には逆川駅ってのがこの近くにあったんですよね。
悲運の鉄道、伊勢電の廃線跡を辿るのも今回のサイクリングの目的の1つでした。
明るい時間に廃線跡を探索できるように、津より南は明日に回したというのもあります。
江戸橋の手前で伊勢街道は国道23号線から分かれます。
深く考えたことがなかったですが、江戸にあるわけでもないのに江戸橋って妙な名前ですよね。
解説書きによると、この橋を渡った先は紀州藩領であったため、江戸に旅立つ人の見送りもここまで、江戸への第一歩ということから名付けられたそうです。
江戸橋の西詰には大きな常夜燈が。ここでは伊勢別街道が伊勢街道に合流してきます。
伊勢別街道というのは東海道の京都方面から伊勢を目指す人のために設けられた道で、関と津を結んでいます。
関西本線に対して快速みえ号のルートが伊勢街道、亀山~津の紀勢本線が伊勢別街道みたいなイメージでだいたいあっているかと思います。
21:15 津駅に到着。あくまで本番は明日ですがそれでも70km近く走ってきたので疲れてないとも言えない感じです。
実は電池長持ち自転車を過信してアシストは切らず弱で利かせ続けてきました。それでも減少は25%のみで燃費がいい気がします。
この日は東横インで宿泊。明日に備えます。
〈翌日〉
津駅を出てすぐ、安濃川を渡ってすぐの場所で現れるこの道路。
国道23号線から信号無しで分岐するような裏道なのですが、それにしてはえらく幅が広いものです。
Googlemapで見ると、怪しいカーブと「近鉄道路」とご丁寧に道路名まで振られています。
怪しさ満点の「近鉄道路」は津駅のすぐ近くから始まり、緩やかなカーブを描いて海沿いを南下していきます。
もうお分かりでしょう。こちらはかつての近鉄線の廃線跡を再利用した道のため「近鉄道路」と名付けられています。
近鉄の路線であったことには間違いないのですが、今の近鉄に繋がる「参宮急行電鉄」に吸収されたのちは冷遇された悲運の鉄道会社「伊勢電気鉄道」の廃線跡です。
今回は概ね伊勢街道に沿って伊勢神宮を目指しているのですが、この面白い廃線跡をスルーするわけにはいきません。
幸い両社は比較的近接して並行しているので、廃線跡の道が通れない部分では伊勢街道に復帰して進んでいくことにします。
近鉄道路沿いに走ると、一部区間では三重交通のバスが運転されているようで「阿漕浦」「結城神社前」といったかつての駅名に倣ったバス停名が残されています。
雲出川を渡る手前で廃線跡の道路は行き止まりに、すぐ横を国道23号線が通っているので川を越える部分だけは廃線跡が放置されているようです。
それにしても、こんなにきれいに築堤や橋台が残っているんですね。
かつて鉄道が通っていたことが良くわかります。
ガーター橋は撤去されていますが、廃線跡に沿って水道管が通っているようで今でも鉄道があるかのように低い位置に防護工が設けられています。
ところで、築堤のすぐ脇にあったこちら。もしや伊勢電の社章かな?と撮影しておいたのですが、角が取れてきており読み取り困難でした…
雲出川を渡ります。廃線跡の橋脚は水道橋として現在も活用されています。
雲出川の南側は築堤や路盤が綺麗に撤去され、しばらくは名残を感じられません。
小野江を過ぎたあたりで再度廃線跡を走れるようになります。
三渡川を越える場所はポンプ場として活用されていますが、その敷地内にはかつての橋脚が残されています。
川のほうを見ても、橋脚の残骸が確認できます。
雲出川と異なり、ここの水道橋は少し隣に新たに橋脚を立てて架けられています。
米ノ庄の次は松江駅…と行きたいところですが、参宮急行電鉄に買収された直後に松ヶ崎駅が追加されています。
参急と伊勢電は津~松阪~伊勢神宮でバチバチに競合していたため両路線が交差するここに乗換駅なんて当初はなかったのですが、のちに買収され同じ会社になってから駅が出来ました。
松ヶ崎駅の真上には近鉄道路の立派な高架橋があり、今でも2路線の立体交差を感じることが出来ます。
7:38 新松阪駅跡の松阪市大黒田に到着。
駅を感じるものは残っていなさそうです。
お腹が減ったのでなか卯で朝ご飯を。
国土地理院の地図閲覧サービスで確認したところ、どうやらこの向かいの丸亀製麺の敷地あたりが昔の新松阪駅だったようです。
久々のなか卯朝食。オクラのネバとろごはん消えちゃったんですね。まあでも美味しかったです。
徳島にはないんですよ…最寄りは高松か関西空港。
RedBullでエナジーチャージをしてから再出発。
新松阪より先の区間は、参急に統合されたわずか4年後に廃止された区間。わずか11年しか鉄道が走らなかった悲運の路線だったりします。
花岡駅周辺は山越えなところがあります。鉄道が越えていた道にしては勾配がきつめな気がします。
徳和駅周辺からはすぐ1本裏を伊勢街道が並行するようになります。
櫛田川の手前でまたも廃線跡の道路は行き止まりに。この先は廃線跡は県道37号線鳥羽松坂線になっています。
川を越えるところはいいものの、その先では歩道が消滅するのでこの先は旧伊勢街道を辿って進んでいくことにします。
斎宮周辺では伊勢街道から近鉄山田線がよく見えます。
従是外宮三里 宮川二里半
いい感じの道標が残されています。
斎宮には宿場が設けられていたようで、いい感じの雰囲気が残ります。
宿場の終わりにはS字カーブ。桝形の名残でしょうか。
宮川を渡ります。
すぐ横には参宮線の宮川橋梁が並びます。板材ではなく鋼材を組み合わせた構造が時代を感じます。
宮川を渡った先では区画が改められている箇所も多く追うのが大変でしたが、なんとか筋向橋にやってきました。
奈良方面から伊勢に至る道は、名張・奥津を越えて松阪で合流する初瀬街道のほかに、高見峠を越えて相可経由のほぼ直線的に伊勢を目指す伊勢本街道がありました。
ここは後者との合流地点だったみたいです。どっちを選んでも峠はえぐそうですね…
9:46 伊勢電気鉄道の終点 大神宮前駅
以前に大神宮前~山田西口の廃線跡を歩いたことがあるので、よかったらそっちも読んでみてくだされ。
大神宮前駅から少し進むと、伊勢神宮外宮です。
今回は時間がかなり迫っているので参拝はこれだけ、外から手を合わせておきます。
このあと鳥羽から乗船予定の伊勢湾フェリーの時刻なんですが、次が12:10発でそれを逃すと15:10発。
通常であれば7往復設定されているところが4往復に減っているため結構間隔があいてしまっています。
現在時刻は9:50。出航20分前までに着かなければいけないことを考えると2時間しかありません。
外宮から鳥羽港まで二見浦周りでおよそ18km。
Google先生の徒歩検索だと「まっすぐ突っ切れば15km切れるで」なんて提示してきますが、あの伊勢道路を歩かせるとか狂気だと思います。
もちろん自転車でも、歩道が無く車線も狭いのに自動車がぶっ飛ばす堤防道路みたいな伊勢道路を走る気はなく。
鳥羽まで表定9km/hで行けばいいので普通に行けそうな気がしますが、表定9km/hって結構しんどいスピードなんですよね。
道中は山が多いとはいえ、市街地だと信号待ちも多く発生するのでそれを考慮すると結構急ぎ目で行く必要があります。
一旦伊勢市駅に立ち寄ってから
宇治山田駅の駅舎はやっぱりかっこいいなぁなんて思いながら鳥羽を目指します。
が、さっそく間違えました。鳥羽方面の標識を頼りに進んでいたら内宮・伊勢道路方面へ向かってしまいました。これは痛いタイムロス。
なんとか軌道修正し、参宮線の北側へ出ます。
参宮線のすぐ北側、県道102号線に沿って五十鈴川を渡ります。
が…なんですかこのあからさまな橋脚は。
あれ?伊勢電の廃線跡はもう終わったはずだし参宮線の線路付け替えでもあったのかな?と思いながら先を急ぎます。
五十鈴川を渡った先から、県道のすぐ裏を通る裏道が出現したのでこちらを走行。
県道側には歩道が無く、交通量もそこそこあるのでこういう道は助かります。
それにしても、この緩やかなカーブに加えてどの家も勝手口を向いているのは妙な光景です。
ここに関しては全く下調べしていなかったので、知らず知らずのうちに廃線跡を漕いでいたことに気付きびっくりしました。
道路の脇には「三交」の用地境界標が残ります。そう、ここは三重交通が運営していた神都線の1路線、二見線の廃線跡だったのです。
路面電車規格の車両を用いていたものの併用軌道区間は短く、二見線系統に関しては宇治山田を出て少し先の皇学館大学付近までだったようです。
夫婦岩をかたどった特徴的な駅舎を持つ二見浦駅の近くに終点の二見駅があったようです。
二見総合駐車場というやけに広い駐車場があったのであのあたりが駅跡かと思われます。
時間が無いので夫婦岩を拝むことはできず、入口の赤鳥居だけ見て先へ。
11:16 鳥羽駅
なんとか余裕を持って鳥羽までやってくることが出来ました。さすがに疲れました。
道中はアシスト弱~中を利かせて走行してきました。残45%と良いとも悪いとも言えない値。
でも電池は結構持つほうだと思います。名古屋~伊勢市の約110kmをアシスト利かせた状態で往復できるスペックっていうのはやばいですよ。
乗船予定の伊勢湾フェリーが見えます。駅としての最寄りは1駅先の中之郷駅。
シェアサイクルを電車に積んだことはありますが、フェリーで航送は初めてです。たのしみ。
自転車を積んでいざ伊良湖へ。
ちなみに乗船券の裏は広告スペースになっており、こんなところにも赤福が。
自転車ってこうやって乗せるんですね。不思議な光景です。
伊勢湾フェリーって意外と短く、55分で伊良湖に連れて行ってくれます。
自転車を飛ばして疲れた体に、伊勢市駅で調達しておいたこちら。RedFuku
伊勢エリアでしか購入できない2個入りの銘々箱です。
開けてみると、あれ、1個…?
自転車で輸送してきたせいでかなり偏っちゃっていますね。味には変わりないはずですが。
表定速度12km/h近くでぶっ飛ばしてきたため疲れた体に甘い赤福は効きます。
東海道池鯉鮒名物として知られる藤田屋の大あんまきなどに代表されるように、旧街道では体力消費を補うように甘い名物が誕生しました。
旧街道でこういうものが流行るのは結構よくあることなのですが、伊勢街道は特に餅菓子が発達しています。
Wikipediaのページにも「餅街道」の異名があることが紹介されています。そんなわけで一番メジャーかなぁって感じの赤福餅を買ってみたわけです。
あとは船内売店でたこ焼きを購入。レンチン料理でもこういうのが食べられるというのは嬉しいもんです。
1時間未満の短距離航路でもこれだけ提供してくれるのは素晴らしいと思います。
13:07 伊良湖に上陸。
さてここから自転車で名古屋まで帰らなければなりません。今日のところは岡崎か、最低でも豊橋あたりまでは進んでおきたいところです。
しかしここで問題発生。急激に天気が悪くなってきました。
伊良湖上陸時点ではパラパラ振っている程度だったのですが、直後にスコールのような雨が迫ってくることが分かっていました。
いやね、43mmってなんですか。
長くても1時間程度で収まりそうとはいえ、これはすさまじい雨が降りそうですね。
今思えば、ここで「さあ急いで出発だ!」なんてせず道の駅伊良湖クリスタルポストで豪雨をやり過ごしたほうが賢かったかもしれません。
正面に伊良湖ビューホテルを見ながら国道42号線を漕いでいきます。
約1時間フェリーで休憩したので体力は回復したはず。急いで漕いでやりますよ。
流石に、これはまずいですね。
豪雨だけならまだいいのですが、雷も比較的近くに連続して降りているようで地響きがしています。
こんな中、周りが開けていて障害物の少ない海沿いサイクリングロードを、雨に濡れた状態の電動アシスト自転車で駆けるなんてのは当たりに行っているようなもんです。
伊良湖岬から距離にして3kmも進んでいませんが、日出の石門駐車場で避難。公衆電話ボックスがあったのでここに籠っていることにしました。
大した距離進めたわけでもないので、やっぱ伊良湖で時間調整しておいたほうが良かったんですよね。
約25分雨宿りののち、小康状態になったのを見計らってサイクリングロードへ。
所々工事しているので並行する国道42号線へ迂回します。
さっきの豪雨は凄まじかったようで、濁流が土砂を攫って海に流れていっていました。
海水と土砂の境界ってこんなにはっきり見えるもんなんですね。
小康状態とはいえ雨は続いています。それに加えて道の結構な部分が流されたての土砂に覆われていて足元をすくわれます。
固まった砂と違って、水分を多量に含んでいるため減速装置として働いてしまい前につんのめりそうになりました。
あと石ころが多いのでガタガタ来ますしパンクも怖いところです。
足元も悪いですし、電池残量も余裕がないので渥美半島は基本的にアシストを切って走行しました。
サイクリングロードの一部区間では通行止めも発生するほどでした。
ただ国道42号線は何ら問題ないのでそっちを通っていくことにします。
15:39 田原駅方面との分岐店、大草交差点に到着。
ここから三河田原駅へ向かい、豊橋鉄道のサイクルトレインを利用して豊橋までひとっとび!
…とはいきませんでした。この日は平日。
サイクルトレインの対象列車は14時台までの列車。土休日なら終日対象だったんですが。
渥美半島らしさを感じるキャベツ畑と風力発電所を背景に。畑はまだ時期じゃないようですが。
16:23 豊橋市に入りました。
こんな感じで歩道もどうしようもなくぬかるんでいるんですよ。
気が付いたら足元はこんな状態に。あー…
豊橋市に入ったあたりで国道42号線から外れ、渥美半島を縦断して豊橋鉄道沿線の老津へ抜けました。
タイミングよくやって来た新豊橋行き。これに載せられれば楽だったんですが。
イオン豊橋南で休憩。
スガキヤのざるラーメン久々に食べましたがうまいですね。ゴマダレがよきです。
そんな感じで豊橋駅周辺に着くころには日も落ちてきました。
あとちょっと漕いで蒲郡あたりに泊まろうかなぁと考えていたのですが、
こんなメールが届いておりました。なんすかこれ。
ホームページには利用時間制限について特に記載が無く、2回目以降の最大料金の記載まであるために金さえ積めば2日借りても構わんと思っていましたが運営さん的には24時間以内に利用を想定しているようです。知らんやん…
ちなみにHELLOCYCLINGでも24時間を超えるとお知らせが届きます。
こちらには「はよ返せ」の文言はなく、返却忘れの防止が目的かと思われます。
とはいえ、こっちもあんまり長期間借りられると困ると思いますが。
そんなわけですので、運営さんの指示に従い「早急に」返却することにします。
国道1号線沿いを走っていきます。御油には五味八珍があるので是非とも寄っていきたいのですが諦めます。
20:43 岡崎城ではHELLOCYCLINGの車両と並べて記念撮影。
あと25%残っています。名古屋~津くらいの距離が漕げるってのが昨日判明しているのでそれほど節約しなくても行けそうです。
22:23 名古屋市に入りました。
星崎を過ぎ、都市高速の下を飛ばして進みます。
23:27 金山駅に到着。
初めは名古屋駅に返却しようと思いましたが、金山にも返却ポートがありますし、電池と体力の残量を考えてここで返却としました。
利用時間を表示するモニターのはずなのですが、年号でも表示しているんですかね…?
そんな感じで伊勢湾サイクリングでした。ちょっと疲れました。
道中の表定速度はえぐいことになっており、豊橋~名古屋なんて12.67km/h出しています。
アシスト付きとはいえさすがにこの速度は堪えます。
元々名古屋まで来るつもりだったのでホテルも名古屋でして、列車に乗って1駅やってきました。
おわり。
LINEスタンプお願いします
シェアサイクル紀行別冊、おすすめです。
お求めはメロンブックス及びBOOTHからどうぞ。
そのうちもっとも有名と思われる東海道。以前より何度も紹介していますが、この道は江戸日本橋と京都三条大橋を結んでいました。
しかし、実際の利用はどうだったかというと江戸と大阪を結ぶ道という性格が強く、大阪高麗橋までを結ぶ京街道とセットで扱われていたようです。
そうなんです。東海道っていうのは江戸と京都だけの道ではないんです。現在の東海道本線も支線直通の列車が結構あったりしますし。
1920年に施行された「道路法」では旧東海道の役目を受け継ぐ形で国道1号線が指定されました。
「東京市ヨリ神宮ニ達スル路線」として國道1號が、途中まで重複する形で「東京市ヨリ鹿兒島縣廳所在地ニ達スル路線」として國道2號が、という感じで指定されていきました。
江戸から大阪、更にその先の山陽道、九州道を経て鹿児島に至る道よりも伊勢神宮に至る路線のほうが重要とされたことが良くわかるかと思います。
時代背景的に神道の聖地が最重要視された形ではありますが、それを抜きにしても昔から東海道から伊勢神宮に至る旅行は人気を集めていました。
一般人の旅行が規制されていた時代でも伊勢神宮参拝だけは許されていたため、神宮参拝を口実におでかけというのは結構あったみたいです。
不要不急のおでかけじゃなくて、これはどうしても欠かせない移動なんですよ~っていうのに似ている気がします。
そんなわけでして、旧東海道と密接な関係があるのが伊勢神宮へのアクセスを担った伊勢街道。ここを制覇するのが今回の目的です。
ついでに伊勢湾フェリーと豊橋鉄道サイクルトレインを駆使して伊勢湾一周してやろうと企んだわけです。どっかの誰かが東京湾一周ライドしてたのもありまして(笑)
今回のルートは道中のシェアサイクル展開エリアの少なさから、HELLOCYCLINGでもドコモバイクシェアでもどちらでも大差ありません。
せっかくなので、電池長持ち回生機能が付いた車両が導入されていてかつアクセスが容易な名古屋のカリテコバイクを利用することにしました。
ただ、最近は写真のような新型車が導入されてきているので注意です。乗ったことはありませんが回生ブレーキがついているほうがいいはずです。
ナナちゃん人形前まで行くと、ありました。ハンドル部にでっかいプラカバーがついているのが目立ちます。
FL充電個体をチョイスし、いざ伊勢神宮を目指します。
時刻は13:40。徳島からなので移動に時間を奪われるのが痛いところ。
あと、仕事終わり直工のため用意をして挑んだのですが、大事なカメラを自宅に忘れてきてしまいまして。残念ながら写真は全てスマホ撮影です…
伊勢街道の起点となる四日市の日永追分までは特にルートに拘りが無いので、とりあえず国道302号線に出て飛島から国道23号線を走ることにしました。
適当に名古屋高速万場線の下を走って西へ向かったのですが、岩塚にあの8番らーめんがあるなんて知りませんでした。今度帰省した時にでも食べてみようかなぁ。
万場周辺では佐屋街道と交差。東海道の脇街道ってことでここ佐屋街道も自転車で走りましたなぁ。
国道302号線に沿って南下、飛島を目指します。
最近名二環が全通しこのあたりの景色は大きく変わった気がします。実家からの生活圏内なので結構驚きの光景です。
国道1号線が国道302号線と立体交差するかの里交差点。私が子供の頃はただの平面交差だったんですが今や3重構造ですよ。
あと、国道302号線の起点ってかの里だったんですね。てっきり伊勢湾岸自動車道飛島ICとの接続地点かと思っていました。
富田とか南陽にも都市高速が通ったっていうのがかなり違和感の塊でした。
両茶橋を過ぎるともうすぐ飛島村。イオンモールが出来るまでは中川・港エリアのバスの行き先としてよく見かけた両茶橋も寂しくなった気がします。
ここは新田開発で出来た土地で、茶屋新田と名乗っていたものを東茶屋・西茶屋に分割しその境界にあることからこの名がついたみたいです。
茶屋と聞くと旧街道のお休み処かな?と思ったりしますがこの辺りは新田開発で出来た比較的歴史の浅い土地。開発者の屋号から茶屋と名付けられたそうです。
飛島大橋を渡ると日本一お金持ち名村、飛島村へ。
ここからは国道23号線をひたすら進みます。元々は国道1号バイパスとして開通した区間と、國道1號線として神宮に至る区間を引き継いだ国道23号線っていうのは結構東海道との関係が深い路線なのかもしれません。
毎回思いますが、国道23号線だと鍋田川が県境なのなんか拍子抜けするんですよね。
この先は三重県木曽岬町。よく見たら一回KISOZAKIから直した跡が見えますね。
木曽川大橋を渡って三重県の本土を目指します。キロポストの数字は374.8km。国道1号バイパスとして整備された区間では今でも日本橋起点の数字が振られています。
長島PAで魔材休憩。
四日市では貨物駅に留め置かれている多数のタンク車を観察。こういうのかっこいいっすよね。
四日市駅で快速みえ号を撮影。スマホでもなんとか流せますね。
あとはレッドベアさんも。かっこいいっす。
自転車東海道第一回の時に撮った構図でカリテコバイクを撮影。
お腹が減りました、給油。
18:19 日永追分
ここが東海道と伊勢街道の分岐点。ようやくスタート地点というわけです。
もう日が暮れてくる時間ですが、明日の負担を減らすためもう少しだけ。目標は鈴鹿です。
旧伊勢街道に交差する築堤。最初は鉄道廃線跡かなと思いましたがここは伊勢街道神戸宿の見附だったようです。
宿場の入口の警備とための石垣が今も残っているとは驚きました。
神戸の見附という名称からわかる通り、さっきの石垣を過ぎると伊勢街道最初の宿場である神戸宿となります。
かつては伊勢神戸駅を通ることから神戸支線と呼ばれていましたが、今では鈴鹿市駅・鈴鹿線にそれぞれ改められています。
このあたりは住宅街ですが、大きな常夜燈が残っているのは嬉しいものです。
伊勢鉄道線の拠点駅といえる鈴鹿駅。いかにも公団線って感じのコンクリ造りの駅舎がそびえています。
このあたりから飴がぱらついてきました。早く宿へ向かわねば…
近鉄名古屋線に沿う感じで国道23号線を進んでいきます。
19:51 快活CLUB鈴鹿白子店
ここで宿泊…と思っていたのですが、今時の快活では標準装備だと思っていた鍵付き個室・シャワーのない店舗であることが判明。
個室がないのは我慢できますがシャワーがないのは痛いです。雨に濡れていますし。
そんなわけで諦めてもう少し先へ進むことにしました。
とはいえこの先泊まれるところと言ったら12km先の津駅周辺くらいなもので、少なくともあと1時間ほどは漕がなくてはなりません。
磯山駅にて。
現在の白塚駅の近くの国道23号線上には、三重交通の「逆川」バス停が立っています。
昔伊勢電気鉄道が走っていた時には逆川駅ってのがこの近くにあったんですよね。
悲運の鉄道、伊勢電の廃線跡を辿るのも今回のサイクリングの目的の1つでした。
明るい時間に廃線跡を探索できるように、津より南は明日に回したというのもあります。
江戸橋の手前で伊勢街道は国道23号線から分かれます。
深く考えたことがなかったですが、江戸にあるわけでもないのに江戸橋って妙な名前ですよね。
解説書きによると、この橋を渡った先は紀州藩領であったため、江戸に旅立つ人の見送りもここまで、江戸への第一歩ということから名付けられたそうです。
江戸橋の西詰には大きな常夜燈が。ここでは伊勢別街道が伊勢街道に合流してきます。
伊勢別街道というのは東海道の京都方面から伊勢を目指す人のために設けられた道で、関と津を結んでいます。
関西本線に対して快速みえ号のルートが伊勢街道、亀山~津の紀勢本線が伊勢別街道みたいなイメージでだいたいあっているかと思います。
21:15 津駅に到着。あくまで本番は明日ですがそれでも70km近く走ってきたので疲れてないとも言えない感じです。
実は電池長持ち自転車を過信してアシストは切らず弱で利かせ続けてきました。それでも減少は25%のみで燃費がいい気がします。
この日は東横インで宿泊。明日に備えます。
〈翌日〉
津駅を出てすぐ、安濃川を渡ってすぐの場所で現れるこの道路。
国道23号線から信号無しで分岐するような裏道なのですが、それにしてはえらく幅が広いものです。
Googlemapで見ると、怪しいカーブと「近鉄道路」とご丁寧に道路名まで振られています。
怪しさ満点の「近鉄道路」は津駅のすぐ近くから始まり、緩やかなカーブを描いて海沿いを南下していきます。
もうお分かりでしょう。こちらはかつての近鉄線の廃線跡を再利用した道のため「近鉄道路」と名付けられています。
近鉄の路線であったことには間違いないのですが、今の近鉄に繋がる「参宮急行電鉄」に吸収されたのちは冷遇された悲運の鉄道会社「伊勢電気鉄道」の廃線跡です。
今回は概ね伊勢街道に沿って伊勢神宮を目指しているのですが、この面白い廃線跡をスルーするわけにはいきません。
幸い両社は比較的近接して並行しているので、廃線跡の道が通れない部分では伊勢街道に復帰して進んでいくことにします。
近鉄道路沿いに走ると、一部区間では三重交通のバスが運転されているようで「阿漕浦」「結城神社前」といったかつての駅名に倣ったバス停名が残されています。
雲出川を渡る手前で廃線跡の道路は行き止まりに、すぐ横を国道23号線が通っているので川を越える部分だけは廃線跡が放置されているようです。
それにしても、こんなにきれいに築堤や橋台が残っているんですね。
かつて鉄道が通っていたことが良くわかります。
ガーター橋は撤去されていますが、廃線跡に沿って水道管が通っているようで今でも鉄道があるかのように低い位置に防護工が設けられています。
ところで、築堤のすぐ脇にあったこちら。もしや伊勢電の社章かな?と撮影しておいたのですが、角が取れてきており読み取り困難でした…
雲出川を渡ります。廃線跡の橋脚は水道橋として現在も活用されています。
雲出川の南側は築堤や路盤が綺麗に撤去され、しばらくは名残を感じられません。
小野江を過ぎたあたりで再度廃線跡を走れるようになります。
三渡川を越える場所はポンプ場として活用されていますが、その敷地内にはかつての橋脚が残されています。
川のほうを見ても、橋脚の残骸が確認できます。
雲出川と異なり、ここの水道橋は少し隣に新たに橋脚を立てて架けられています。
米ノ庄の次は松江駅…と行きたいところですが、参宮急行電鉄に買収された直後に松ヶ崎駅が追加されています。
参急と伊勢電は津~松阪~伊勢神宮でバチバチに競合していたため両路線が交差するここに乗換駅なんて当初はなかったのですが、のちに買収され同じ会社になってから駅が出来ました。
松ヶ崎駅の真上には近鉄道路の立派な高架橋があり、今でも2路線の立体交差を感じることが出来ます。
7:38 新松阪駅跡の松阪市大黒田に到着。
駅を感じるものは残っていなさそうです。
お腹が減ったのでなか卯で朝ご飯を。
国土地理院の地図閲覧サービスで確認したところ、どうやらこの向かいの丸亀製麺の敷地あたりが昔の新松阪駅だったようです。
久々のなか卯朝食。オクラのネバとろごはん消えちゃったんですね。まあでも美味しかったです。
徳島にはないんですよ…最寄りは高松か関西空港。
RedBullでエナジーチャージをしてから再出発。
新松阪より先の区間は、参急に統合されたわずか4年後に廃止された区間。わずか11年しか鉄道が走らなかった悲運の路線だったりします。
花岡駅周辺は山越えなところがあります。鉄道が越えていた道にしては勾配がきつめな気がします。
徳和駅周辺からはすぐ1本裏を伊勢街道が並行するようになります。
櫛田川の手前でまたも廃線跡の道路は行き止まりに。この先は廃線跡は県道37号線鳥羽松坂線になっています。
川を越えるところはいいものの、その先では歩道が消滅するのでこの先は旧伊勢街道を辿って進んでいくことにします。
斎宮周辺では伊勢街道から近鉄山田線がよく見えます。
従是外宮三里 宮川二里半
いい感じの道標が残されています。
斎宮には宿場が設けられていたようで、いい感じの雰囲気が残ります。
宿場の終わりにはS字カーブ。桝形の名残でしょうか。
宮川を渡ります。
すぐ横には参宮線の宮川橋梁が並びます。板材ではなく鋼材を組み合わせた構造が時代を感じます。
宮川を渡った先では区画が改められている箇所も多く追うのが大変でしたが、なんとか筋向橋にやってきました。
奈良方面から伊勢に至る道は、名張・奥津を越えて松阪で合流する初瀬街道のほかに、高見峠を越えて相可経由のほぼ直線的に伊勢を目指す伊勢本街道がありました。
ここは後者との合流地点だったみたいです。どっちを選んでも峠はえぐそうですね…
9:46 伊勢電気鉄道の終点 大神宮前駅
以前に大神宮前~山田西口の廃線跡を歩いたことがあるので、よかったらそっちも読んでみてくだされ。
大神宮前駅から少し進むと、伊勢神宮外宮です。
今回は時間がかなり迫っているので参拝はこれだけ、外から手を合わせておきます。
このあと鳥羽から乗船予定の伊勢湾フェリーの時刻なんですが、次が12:10発でそれを逃すと15:10発。
通常であれば7往復設定されているところが4往復に減っているため結構間隔があいてしまっています。
現在時刻は9:50。出航20分前までに着かなければいけないことを考えると2時間しかありません。
外宮から鳥羽港まで二見浦周りでおよそ18km。
Google先生の徒歩検索だと「まっすぐ突っ切れば15km切れるで」なんて提示してきますが、あの伊勢道路を歩かせるとか狂気だと思います。
もちろん自転車でも、歩道が無く車線も狭いのに自動車がぶっ飛ばす堤防道路みたいな伊勢道路を走る気はなく。
鳥羽まで表定9km/hで行けばいいので普通に行けそうな気がしますが、表定9km/hって結構しんどいスピードなんですよね。
道中は山が多いとはいえ、市街地だと信号待ちも多く発生するのでそれを考慮すると結構急ぎ目で行く必要があります。
一旦伊勢市駅に立ち寄ってから
宇治山田駅の駅舎はやっぱりかっこいいなぁなんて思いながら鳥羽を目指します。
が、さっそく間違えました。鳥羽方面の標識を頼りに進んでいたら内宮・伊勢道路方面へ向かってしまいました。これは痛いタイムロス。
なんとか軌道修正し、参宮線の北側へ出ます。
参宮線のすぐ北側、県道102号線に沿って五十鈴川を渡ります。
が…なんですかこのあからさまな橋脚は。
あれ?伊勢電の廃線跡はもう終わったはずだし参宮線の線路付け替えでもあったのかな?と思いながら先を急ぎます。
五十鈴川を渡った先から、県道のすぐ裏を通る裏道が出現したのでこちらを走行。
県道側には歩道が無く、交通量もそこそこあるのでこういう道は助かります。
それにしても、この緩やかなカーブに加えてどの家も勝手口を向いているのは妙な光景です。
ここに関しては全く下調べしていなかったので、知らず知らずのうちに廃線跡を漕いでいたことに気付きびっくりしました。
道路の脇には「三交」の用地境界標が残ります。そう、ここは三重交通が運営していた神都線の1路線、二見線の廃線跡だったのです。
路面電車規格の車両を用いていたものの併用軌道区間は短く、二見線系統に関しては宇治山田を出て少し先の皇学館大学付近までだったようです。
夫婦岩をかたどった特徴的な駅舎を持つ二見浦駅の近くに終点の二見駅があったようです。
二見総合駐車場というやけに広い駐車場があったのであのあたりが駅跡かと思われます。
時間が無いので夫婦岩を拝むことはできず、入口の赤鳥居だけ見て先へ。
11:16 鳥羽駅
なんとか余裕を持って鳥羽までやってくることが出来ました。さすがに疲れました。
道中はアシスト弱~中を利かせて走行してきました。残45%と良いとも悪いとも言えない値。
でも電池は結構持つほうだと思います。名古屋~伊勢市の約110kmをアシスト利かせた状態で往復できるスペックっていうのはやばいですよ。
乗船予定の伊勢湾フェリーが見えます。駅としての最寄りは1駅先の中之郷駅。
シェアサイクルを電車に積んだことはありますが、フェリーで航送は初めてです。たのしみ。
自転車を積んでいざ伊良湖へ。
ちなみに乗船券の裏は広告スペースになっており、こんなところにも赤福が。
自転車ってこうやって乗せるんですね。不思議な光景です。
伊勢湾フェリーって意外と短く、55分で伊良湖に連れて行ってくれます。
自転車を飛ばして疲れた体に、伊勢市駅で調達しておいたこちら。RedFuku
伊勢エリアでしか購入できない2個入りの銘々箱です。
開けてみると、あれ、1個…?
自転車で輸送してきたせいでかなり偏っちゃっていますね。味には変わりないはずですが。
表定速度12km/h近くでぶっ飛ばしてきたため疲れた体に甘い赤福は効きます。
東海道池鯉鮒名物として知られる藤田屋の大あんまきなどに代表されるように、旧街道では体力消費を補うように甘い名物が誕生しました。
旧街道でこういうものが流行るのは結構よくあることなのですが、伊勢街道は特に餅菓子が発達しています。
Wikipediaのページにも「餅街道」の異名があることが紹介されています。そんなわけで一番メジャーかなぁって感じの赤福餅を買ってみたわけです。
あとは船内売店でたこ焼きを購入。レンチン料理でもこういうのが食べられるというのは嬉しいもんです。
1時間未満の短距離航路でもこれだけ提供してくれるのは素晴らしいと思います。
13:07 伊良湖に上陸。
さてここから自転車で名古屋まで帰らなければなりません。今日のところは岡崎か、最低でも豊橋あたりまでは進んでおきたいところです。
しかしここで問題発生。急激に天気が悪くなってきました。
伊良湖上陸時点ではパラパラ振っている程度だったのですが、直後にスコールのような雨が迫ってくることが分かっていました。
いやね、43mmってなんですか。
長くても1時間程度で収まりそうとはいえ、これはすさまじい雨が降りそうですね。
今思えば、ここで「さあ急いで出発だ!」なんてせず道の駅伊良湖クリスタルポストで豪雨をやり過ごしたほうが賢かったかもしれません。
正面に伊良湖ビューホテルを見ながら国道42号線を漕いでいきます。
約1時間フェリーで休憩したので体力は回復したはず。急いで漕いでやりますよ。
— もとりゃま(*´﹃`*)ゞ (@motoryama7011f) September 3, 2021
— もとりゃま(*´﹃`*)ゞ (@motoryama7011f) September 3, 2021
流石に、これはまずいですね。
豪雨だけならまだいいのですが、雷も比較的近くに連続して降りているようで地響きがしています。
こんな中、周りが開けていて障害物の少ない海沿いサイクリングロードを、雨に濡れた状態の電動アシスト自転車で駆けるなんてのは当たりに行っているようなもんです。
伊良湖岬から距離にして3kmも進んでいませんが、日出の石門駐車場で避難。公衆電話ボックスがあったのでここに籠っていることにしました。
大した距離進めたわけでもないので、やっぱ伊良湖で時間調整しておいたほうが良かったんですよね。
約25分雨宿りののち、小康状態になったのを見計らってサイクリングロードへ。
所々工事しているので並行する国道42号線へ迂回します。
さっきの豪雨は凄まじかったようで、濁流が土砂を攫って海に流れていっていました。
海水と土砂の境界ってこんなにはっきり見えるもんなんですね。
小康状態とはいえ雨は続いています。それに加えて道の結構な部分が流されたての土砂に覆われていて足元をすくわれます。
固まった砂と違って、水分を多量に含んでいるため減速装置として働いてしまい前につんのめりそうになりました。
あと石ころが多いのでガタガタ来ますしパンクも怖いところです。
足元も悪いですし、電池残量も余裕がないので渥美半島は基本的にアシストを切って走行しました。
サイクリングロードの一部区間では通行止めも発生するほどでした。
ただ国道42号線は何ら問題ないのでそっちを通っていくことにします。
15:39 田原駅方面との分岐店、大草交差点に到着。
ここから三河田原駅へ向かい、豊橋鉄道のサイクルトレインを利用して豊橋までひとっとび!
…とはいきませんでした。この日は平日。
サイクルトレインの対象列車は14時台までの列車。土休日なら終日対象だったんですが。
渥美半島らしさを感じるキャベツ畑と風力発電所を背景に。畑はまだ時期じゃないようですが。
16:23 豊橋市に入りました。
こんな感じで歩道もどうしようもなくぬかるんでいるんですよ。
気が付いたら足元はこんな状態に。あー…
豊橋市に入ったあたりで国道42号線から外れ、渥美半島を縦断して豊橋鉄道沿線の老津へ抜けました。
タイミングよくやって来た新豊橋行き。これに載せられれば楽だったんですが。
イオン豊橋南で休憩。
スガキヤのざるラーメン久々に食べましたがうまいですね。ゴマダレがよきです。
そんな感じで豊橋駅周辺に着くころには日も落ちてきました。
あとちょっと漕いで蒲郡あたりに泊まろうかなぁと考えていたのですが、
こんなメールが届いておりました。なんすかこれ。
ホームページには利用時間制限について特に記載が無く、2回目以降の最大料金の記載まであるために金さえ積めば2日借りても構わんと思っていましたが運営さん的には24時間以内に利用を想定しているようです。知らんやん…
ちなみにHELLOCYCLINGでも24時間を超えるとお知らせが届きます。
こちらには「はよ返せ」の文言はなく、返却忘れの防止が目的かと思われます。
とはいえ、こっちもあんまり長期間借りられると困ると思いますが。
そんなわけですので、運営さんの指示に従い「早急に」返却することにします。
国道1号線沿いを走っていきます。御油には五味八珍があるので是非とも寄っていきたいのですが諦めます。
20:43 岡崎城ではHELLOCYCLINGの車両と並べて記念撮影。
あと25%残っています。名古屋~津くらいの距離が漕げるってのが昨日判明しているのでそれほど節約しなくても行けそうです。
22:23 名古屋市に入りました。
星崎を過ぎ、都市高速の下を飛ばして進みます。
23:27 金山駅に到着。
初めは名古屋駅に返却しようと思いましたが、金山にも返却ポートがありますし、電池と体力の残量を考えてここで返却としました。
利用時間を表示するモニターのはずなのですが、年号でも表示しているんですかね…?
そんな感じで伊勢湾サイクリングでした。ちょっと疲れました。
道中の表定速度はえぐいことになっており、豊橋~名古屋なんて12.67km/h出しています。
アシスト付きとはいえさすがにこの速度は堪えます。
元々名古屋まで来るつもりだったのでホテルも名古屋でして、列車に乗って1駅やってきました。
おわり。
LINEスタンプお願いします
シェアサイクル紀行別冊、おすすめです。
お求めはメロンブックス及びBOOTHからどうぞ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます