mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

ブルガリアのネセバル

2016年11月21日 | 旅行記
 「今日はネセバルの旧市街観光です。≪黒海に突き出た半島の港町で、長さ400メートルの細い道により陸地とつながれ、海に囲まれた天然の要塞。≫と評されています。これは、本当に楽しみですね。」

 という書き出しで始まる町は、ルーマニア・ブルガリア大周遊の旅行で旅行5日目に訪問したブルガリアの「ネセバル」という町です。
 この日は、前日にネセバルに宿泊しましたから、9時30分に徒歩で出発して街を散策して、午後から次の宿泊地シューメンに向かいます。

 まず、朝のネセバルの様子をご覧いただきましょう!

 <ネセバルのホテルSOL MELIA BAY MAREにて>


 <静かに波が打ち寄せる夜明けの黒海>


 上の写真は、朝食をいただく前にホテルの近所を散策した時のものです。
 ところで、ネセバルはどんな町なのでしょうか?

 ネセバルは、黒海に突き出した半島の港町です。長さ400メートルの道で陸地につながれ、海に囲まれた天然の要塞です。交易の拠点、また、戦略上重要な場所として争奪戦が繰り返されてきました。
 ネセバルの歴史は古く、紀元前2000年ころまでさかのぼります。
 その後、様々な歴史に彩られていますが、ここでは省略します。
 なお、1983年にその歴史的建造物と街並みがユネスコの世界遺産に登録されています。

 実際にこの街に近づきますと、「なるほど!」と同感したくなります。
 何に同感したのかといいますと、「黒海に突き出した半島の港町で、長さ400メートルの細い道で陸地とつながれ、」という部分です。
 残念ながら、陸地側から細い道の写真が撮影できなかったのですが、島から撮影した写真がありますので、ご覧ください。

 <考古学博物館から撮影した陸側の模様>


 もちろん、陸側から撮影した写真もあるのですが、正面の塔のような建物に邪魔をされて肝心な「細い道」が写っていません。

 <陸側から撮影したネセバルの様子>


 島に上陸してからカメラを左右に向けて撮影しますと、左方向に城壁のような丸い大きな壁が、右方向にはこの街が世界遺産であることを示す看板がありました。

 <城壁のような丸い壁>


 <世界遺産の看板>


 この島に上陸してからは、まず、入口にある考古学博物館でネセバルの歴史の説明を受け、また、17世紀のイコン画を見学しました。
 そして、考古学博物館を出て歩きはじめたのですが、この島は、北東方向に細長く寝ている形で、目測で東西に1キロメートル、南北に300メートルぐらいの丸みを帯びた四角い形の島になっています。

 私たちが歩き始めた通りは、セメンブリアという通りですが、この通りには土産物店、ホテル、教会などがあり、島の中心地のような賑わいでした。

 <大きな樹木には何が?>


 私たちは、このにぎやかな通りに植えてある木々を眺めながら、そして、首を上に向けて大きな声を出しながら歩いていました。
 何を見ていたのか?ですが、「ギャーギャー」と大きな声で鳴いている鳥がいたものですから「何という鳥なのか?」という話題になったのです。

 こうして、歩いて行きますと、セメンブリア通りがYの字に分かれる場所に出ますが、私たちは、右の狭い通りを歩き始めました。
 その先には「ステファン教会」があり、私たちが最初に案内された教会でした。

 <ステファン教会>


この教会は、11世紀の建設で、その後、16~18世紀に何度か修復されて今日に至っているそうです。最も古い部分は、南東から見た丸い部分だそうで、上の写真の反対側でしょうか?
 なお、室内の司教座にあるというフレスコ画は19世紀の傑作と評されているそうです。
 私たちは、正面の門から中庭に入りましたが、室内に入っていませんので、フレスコ画を見ることはできませんでした。

 <中庭から見たステファン教会>


 <ステファン教会の正面>


 <ステファン教会の南東から見た最も古い部分>


 この教会を後にしますと、数分で次の見学先である「全能者ハリストス聖堂(Nessbar Pantocrator13~14世紀)」と「聖バラスケヴァ聖堂(Church of Sant Paraskeva Nesebar 13~14世紀)」が見えてきました。
 両教会とも「レンガ色・アーチ状の美しい造り」となっていますが、本日は、これにてネセバルの話を「打ち止め」にさせていただきたいと思います。

 それでは これにて失礼いたします。