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mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

ブルガリアのネセバル2

2016年11月22日 | 旅行記
 昨日はネセバルのステファン教会までをお伝えしました。
 今日はその次に訪問した全能者ハリストス聖堂と聖バラスケヴァ教会からお伝えします。

 <全能者ハリストス聖堂>


 それにしても、変ですね。聖堂の名前がハリストスではないのです。いくら小生が横文字に弱いといっても、「Nessbar Pantocrator」と書いてありますから、ハリストスとは読めません。素直に読めば、「ネセバル パントクラトール」ですね。
 そこでウキペディアで調べたのですが、全能者ハリストスのことを「ギリシャ語から、そのままパントクラトールと転写されることもある。」と説明していますので、「パントクラトール教会」といういい方でも間違いではなく地球の歩き方という雑誌では、この表示になっています。

 この教会は、第2次ブルガリア帝国のアレクサンダル皇帝時代の14世紀に建設された教会です。
 ご覧のように石とレンガが使われているようで、横縞模様の美しい建物です。

 <聖バラスケヴァ教会>


 13世紀につられた教会で、全能者ハリストス聖堂と同様に石とレンガで作られているのでしょうか?平屋のひっそりした建物です。

 <別角度からバラスケヴァ教会>


 この二つの教会を後にして軒に服装を並べている店などがある狭い通りを過ぎますと、ネセバルで最も古い教会「聖ソフィア教会」が見えてきます。
 場所は、ミトロポリスカという通りの突き当りで、島の中央付近になると思います。
 
 <服装の店>


 <聖ソフィア教会付近の建物>


 上の写真は、服装やペンダントなどの店が並ぶ聖ソフィア教会付近のものですが、これらの店は、2階部分が1階より大きい茶褐色の民族様式といわれる木造建築だと思います。

 <聖ソフィア教会>


 聖ソフィア教会は、5~6世紀のビザンツ帝国時代に建設されたといいますから、傷みが激しく写真のように外観だけでの廃墟となっています。
 なお、教会付近の建物写真でも分かりますように教会の敷地は、周りの土地より数段低くなっています。

 次は歩いて5分ぐらいの島の北東にある「聖母エレウサ教会」に向かいました。

 <黒海が見える通りを歩く>


 <右に曲がって見えた教会付近>


 上の写真は、海に突き当たる道路に向かうところで、その道路を右に曲がっていきますと、左側に大きな石積みの塔などとともに教会跡が見えてきました。
 ここで、教会跡といいましたのは、5~6世紀に建てられた教会が、海賊の襲撃や地震の影響で荒れ果てた姿になってしまい、海のハジリカと呼ばれる教会跡になってしまったからです。
  
 <朽ち果てた教会跡にて>


 この後は、昼食時間まで自由行動となりました。
 集合場所は、メセンブリア通りの突き当りにある公園ですから、方向音痴の私たちでも何とか行くことが出来そうです。

 この自由時間にどこを見たのか?ですが、かみさんなどの女性軍は、やはり土産物に興味があるようです。
 公園に戻る途中で見えた光景がありますので、二つほどご覧いただきましょう。

 <亡くなった方のお知らせ看板>


 <聖母マリア教会>


 この看板は、ネセバルの教会として現在も活動している聖母マリア教会?の外にあったものです。
 自由時間は、島の北東方向から南西方向に向かったと思いますが、歩いた通りには刺繍を売っている店もあり、こうした店を見ながら公園に向かいました。

 <刺繍の店>


 <公園に到着>


 レストランは、公園の隣にある「ZORNITZa」という店で、焼き魚(鱒)などをいただきました。
 こうして、ネセバル観光が終了しましたので、次の訪問地シューメンに向かいました。
 なお、ネセバルは、黒海に面していますので、漁業が盛んなようです。
 帰りのバス駐車場付近で魚が売られていました。

 <干物?>


 これにて、ネセバルの記事を終了します。
 なお、自由時間に見えた「聖母マリア教会」ですが、小生のホームページでは、建設年度や名前がこの記事と異なるものになっていますので、後ほど、正しいものを調べてみたいと思います。
 


ブルガリアのネセバル

2016年11月21日 | 旅行記
 「今日はネセバルの旧市街観光です。≪黒海に突き出た半島の港町で、長さ400メートルの細い道により陸地とつながれ、海に囲まれた天然の要塞。≫と評されています。これは、本当に楽しみですね。」

 という書き出しで始まる町は、ルーマニア・ブルガリア大周遊の旅行で旅行5日目に訪問したブルガリアの「ネセバル」という町です。
 この日は、前日にネセバルに宿泊しましたから、9時30分に徒歩で出発して街を散策して、午後から次の宿泊地シューメンに向かいます。

 まず、朝のネセバルの様子をご覧いただきましょう!

 <ネセバルのホテルSOL MELIA BAY MAREにて>


 <静かに波が打ち寄せる夜明けの黒海>


 上の写真は、朝食をいただく前にホテルの近所を散策した時のものです。
 ところで、ネセバルはどんな町なのでしょうか?

 ネセバルは、黒海に突き出した半島の港町です。長さ400メートルの道で陸地につながれ、海に囲まれた天然の要塞です。交易の拠点、また、戦略上重要な場所として争奪戦が繰り返されてきました。
 ネセバルの歴史は古く、紀元前2000年ころまでさかのぼります。
 その後、様々な歴史に彩られていますが、ここでは省略します。
 なお、1983年にその歴史的建造物と街並みがユネスコの世界遺産に登録されています。

 実際にこの街に近づきますと、「なるほど!」と同感したくなります。
 何に同感したのかといいますと、「黒海に突き出した半島の港町で、長さ400メートルの細い道で陸地とつながれ、」という部分です。
 残念ながら、陸地側から細い道の写真が撮影できなかったのですが、島から撮影した写真がありますので、ご覧ください。

 <考古学博物館から撮影した陸側の模様>


 もちろん、陸側から撮影した写真もあるのですが、正面の塔のような建物に邪魔をされて肝心な「細い道」が写っていません。

 <陸側から撮影したネセバルの様子>


 島に上陸してからカメラを左右に向けて撮影しますと、左方向に城壁のような丸い大きな壁が、右方向にはこの街が世界遺産であることを示す看板がありました。

 <城壁のような丸い壁>


 <世界遺産の看板>


 この島に上陸してからは、まず、入口にある考古学博物館でネセバルの歴史の説明を受け、また、17世紀のイコン画を見学しました。
 そして、考古学博物館を出て歩きはじめたのですが、この島は、北東方向に細長く寝ている形で、目測で東西に1キロメートル、南北に300メートルぐらいの丸みを帯びた四角い形の島になっています。

 私たちが歩き始めた通りは、セメンブリアという通りですが、この通りには土産物店、ホテル、教会などがあり、島の中心地のような賑わいでした。

 <大きな樹木には何が?>


 私たちは、このにぎやかな通りに植えてある木々を眺めながら、そして、首を上に向けて大きな声を出しながら歩いていました。
 何を見ていたのか?ですが、「ギャーギャー」と大きな声で鳴いている鳥がいたものですから「何という鳥なのか?」という話題になったのです。

 こうして、歩いて行きますと、セメンブリア通りがYの字に分かれる場所に出ますが、私たちは、右の狭い通りを歩き始めました。
 その先には「ステファン教会」があり、私たちが最初に案内された教会でした。

 <ステファン教会>


この教会は、11世紀の建設で、その後、16~18世紀に何度か修復されて今日に至っているそうです。最も古い部分は、南東から見た丸い部分だそうで、上の写真の反対側でしょうか?
 なお、室内の司教座にあるというフレスコ画は19世紀の傑作と評されているそうです。
 私たちは、正面の門から中庭に入りましたが、室内に入っていませんので、フレスコ画を見ることはできませんでした。

 <中庭から見たステファン教会>


 <ステファン教会の正面>


 <ステファン教会の南東から見た最も古い部分>


 この教会を後にしますと、数分で次の見学先である「全能者ハリストス聖堂(Nessbar Pantocrator13~14世紀)」と「聖バラスケヴァ聖堂(Church of Sant Paraskeva Nesebar 13~14世紀)」が見えてきました。
 両教会とも「レンガ色・アーチ状の美しい造り」となっていますが、本日は、これにてネセバルの話を「打ち止め」にさせていただきたいと思います。

 それでは これにて失礼いたします。


マヨネーズの保存は冷蔵庫?

2016年11月19日 | 食・レシピ
 <大好きな餃子>


 最近、寒さが厳しくなってきましたので、畑に行く回数が減ってきましたが、これから収穫するものに「ジャガイモ」があります。
 9月に植え付けたものですが、今年の出来はどうかな?と案じています。
 
 そのジャガイモを使った料理といえば、春に収穫したジャガイモに突起のような芽が出てきましたので、「これを何とかしたい!」と思い、料理本を見ながらサラダを作りました。
 このジャガサラダは、ジャガイモやニンジン、キュウリ、玉ねぎなどがあれば簡単に調理できて、しかも、美味しいのですから、思いついたら作りたい料理です。
 このサラダづくりに欠かせない材料がありました。
 今日のテーマのマヨネーズです。

 また、スマートフォンで何気なしに見た「海外の反応」みたいなネットを見ていましたら、日本のマヨネーズがとても美味だというようなことを報道?していました。

 マヨネーズといえば、卵と油ですから、小生は、カロリーを気にしてあまり食べないようにしていたのですが、最近は、オメガ3の亜麻仁油を使ったり、コレステロール0などといった健康志向の商品が出回っているそうです。

 まぁ、そんなことぐらいは皆さんご存知だと思いますが、先ほど、昔の本を読んでいたら、マヨネーズのことが出ていたのです。
 本のタイトルは、「頭にやさしい雑学読本」という竹内均先生が監修された本で、その19番目に書いてありました。

 題して、「マヨネーズは室内保存でいいの?」です。こういうものは、早く答えが知りたいものです。
 答えは、あなたの予想通り「YES」です。

 その解説がありますので、引用します。

 ふりかけでも、塩でも、醤油でもとにかくなんでも冷蔵庫に入れておけば安心だと思っている人もいるようですが、実は冷蔵保存しない方がいいものもあります。
 マヨネーズもそのひとつ。卵黄と酢と塩、植物油を加えて乳化して作るマヨネーズは、室温10~30度Cくらいのときが一番乳化状態が安定していて、それ以上でも 以下でも不安定になって分解しやすくなります。分解すると、塩、酢、卵が別々になって、酢の殺菌力が全体にいきわたらなくなり、油も酸化されていたみがはやまってしまうのです。
 というわけで、マヨネーズは、日が直接当たらない所に保存するのがいちばん。夏場、冷蔵庫に入れる場合は、冷えすぎないように、最下段に袋詰めするなどの方法をおすすめします。
 なお、マヨネーズの殺菌効果は強力で、ある病原菌にマヨネーズをつけたら、数十時間で死滅したという実験報告があるくらいです。

 というものですが、そういえば、我が家でもマヨネーズを冷蔵庫に保存していますので、早速、戸棚の中にでも保存替えしたほうがよさそうです。
 今日は、餃子にしようかな?
 

ブルガリアのカザンラク(トラキア人の墓)

2016年11月18日 | 旅行記
 昨日は、歴史と美しい街並みのプロブディブについてお伝えしましたが、今日はこの街に続いて見学したカザンラクという街にある「トラキア人の墓」などをお伝えします。
 プロブディブからカザンラクまでは、まず北に向かって進み、「カルロボ」という街で東に曲がって進むというコースで長いバスの旅になりました。
 でも、約2時間でカザンラクにあるレストランで昼食をとることができました。
 レストランには、13時15分頃到着したのですが、レストランに到着する前の約1時間走ったところで見えた黄葉の景色をご覧ください。

 <ルーマニアの黄葉>


 日本の秋とは違い、ブルガリアもルーマニアも紅葉ではなく、樹木の葉が黄色に変わる「黄葉」が多いようです。
 さて、次は昼食の模様ですが、これは省略します。

 ところで、皆さんは「カザンラク」という地名を聞いたことがありませんか?
 この街にはブルガリアの有名な植物があるのです。
 その植物は、バラですが、「カザンラク」とは、バラを加工する際に使う「銅の釜」を意味しているそうですから、これだけでも、この街がバラで有名だ、ということが理解できると思います。
 春のバラ祭りには、ヨーロッパや日本から大勢の観光客が訪れます。
 そこでは、イタリア、セルビア、マケドニア、トルコなどの舞踏団が煌びやかな民族衣装をまとって音楽舞踏を演じたり、世界中の人々が手をつないで踊るなど、バラを祝した鮮やかな行事が開かれます。
 このように、カザンラクは、バラ祭りで有名なところですが、バラ以外にもバラ博物館や民族博物館などもあり、そして、私たちが訪問した世界遺産の「トラキア人の墓」がありますで、バラの季節ではなくとも訪れてみたいところです。

 私たちは、10月の訪問でしたからバラ祭りの季節ではなかったのですが、この街でトラキア人の墓を見ることができました。

 <トラキア人の墓があるトュルベト公園>


 <同じくトュルベト公園>


 トラキア人の墓は、トュルベトという公園にあり、ご覧のように階段を上っていきましたので、公園は、小高い丘の上にあるということだと思います。
 暫く進みますと、建物が見える広場のようなところに出ました。

 <さらに前に進んでいきます>


 <すると、管理棟が見えてきました>


 トラキア人の墓は、この先にありました。墓の入口は、両側を樹木が囲んでいるためか?謎めいていて、大いに興味をそそられてしまいました。

 <入口に進む>


 <入口の拡大図>


 中は、「きわめて保存状態が良い」という紀元前4世紀後半から3世紀頃に描かれたフレスコ画がありました。
 フレスコ画は、戦闘場面や葬送儀礼の様子を色鮮やかに描いたものですが、狭い丸い空間に絵が描かれていて、これが紀元前に描かれたものだというのですから、驚きでした。

 <フレスコ画>


 <同じくフレスコ画>


 <同じくフレスコ画>


 紀元前4~3世紀にこのような文化的な生活を営んでいたのですから「大したものだ!」と感嘆してしまいました。

 このトラキア人の墓の見学は、約1時間でしたが、帰り道の土産店で地元の子供たちとつかの間の交流ができました。
 ブルガリアの子供たちの笑顔が印象的なひとときでした。

 <土産物店>


 <笑顔の子供たち>


 この後は、この日の宿泊地ネせバルに向かったのですが、途中のトイレ休憩のガソリンスタンドで私たちが見学できなかった「バラ」が咲いていました。

 <バラの歓迎?>


 ここから2時間ぐらいかかりますが、次の訪問地、ネせバルに出発です。
 ホテル到着までの光景などをご覧ください。

 <秋色のブルガリア>


 <同じく>


 <宿泊ホテルのソル・メリア・ベイ・マーレ>


 <部屋から夕刻の景色が>


 ところで、このホテルで夕食をいただいたのですが、驚いたことがありました。
 何と、夕食の場所がエレベータ前の通路だったのです。
 こういうことも旅のアクセントになって、懐かしい思い出ですが、詳しくは、小生のHP、「mugufumi夫婦の海外旅行」をご覧ください。

 では、これにて失礼いたします。

 








ブルガリアのプロブディブの続き

2016年11月17日 | 旅行記
 昨日に続き、ブルガリアのプロブディブについてお伝えします。
 昨日は、聖コンスタンティン・エレナ教会のことを申し上げて終わってしまいました。
 この教会は、街の見どころとなっている(地域)民族博物館の庭からノッポの鐘楼が見えていますが、昨日、その写真を掲載してしまいました。
 この後、民族博物館の中を見学してから、聖コンスタンティン・エレナ教会に向かいました。
 そして、私たちは、昨日、掲載しました教会の門に迎えられたのです。

 <聖コンスタンティン・エレナ教会の入口の門>


 教会の外壁に描かれているという花や鳥などのフレスコ画を見て、教会の隣にはイコン・ギャラリーがありました。

 <教会外壁のフレスコ画>


 <同じくフレスコ画>


 このフレスコ画は、かみさんが撮影したもので、ホームページには掲載していませんでした。(このブログを作成していて発見したものです。)

 聖コンスタンティン・エレナ教会から出ますと、周囲には、緑豊かな美しい景観が広がり、私たちを歓迎しているようでした。
 その光景の一つが、次の写真で、イコン・ギャラ―でしょうか?

 <イコン・ギャラリー?>


 教会の周囲には、緑に覆われた石畳とユニークな建物などが街並みと調和して、美しいメロディを奏でているようでした。

 <教会を出たところの光景>


 <同じく近くのボヤジエスハウス>


 この緑に包まれた美しい建物は、「ボヤジエスハウス」という19世紀の屋敷で、かっては医者の邸宅でしたが、現在はブルガリアを代表する画家「スラトュ・ボヤジエフ」の作品を集めたギャラ―になっています。

 <ラマルティンの家>


 この箱形の赤い家も教会の近くにありますが、フランスの詩人、「アルフォンス・ラマルティン」が1838年に、ここで3日間、過ごしたことから名前がついた「ラマルティンの家」です。
 そして、ローマ劇場に向かって歩いて行きますと、次々と興味をそそられる光景が待っていました。

 <通りに見える建物は?>


 <このユニークな建物は?>


 というように、ローマ円形劇場に向かって歩くますと、美しく楽しい光景が次々と現れました。
 
 <ローマ円形劇場付近の光景>


 <同じく!階段がありました>


 そして、円形劇場が見えてきますと、近くには赤い実がついた樹木がありました。

 <なんでも美しいく見える?>


 次の写真で、私たちがローマ円形劇場の上部、つまり客席の上から劇場に入ったことが分かると思います。

 <ローマ円形劇場>

 
 <ローマ円形劇場の舞台>


 この舞台に行くには、急こう配の階段を下ることになりますが、足がもつれたものですから「俺も年だな!?」と自覚したものです。
 ところで、この円形劇場は、その名のとおり、「ローマ時代の半円形の劇場跡で、遠くにロビト山脈が見える抜群のロケーションとなっている。」と説明されています。
 また、「現在も野外劇が行われていて、近くに音楽アカデミーがあって、時々クラシック音楽が聞こえてくる。」といいますが、私たちが訪問した時にも、音楽を演奏していたのかも知れません?
 なお、音楽アカデミーは、ローマ円形劇場の上に写っている赤い屋根の建物だと思います。

 <部隊の拡大写真>


 <劇場からの帰路に見えた陶器売り場>


 劇場から再び、バスが待っている場所までプロブディブの旧市街を散策しました。その間、アレクサンダル・バテンベルグ通りを歩きながら「聖処女教会」や「ジャマヤ広場とジャーマヤ」、「ローマ競技場跡」などの光景を楽しむことができました。

 <アレクサンダル・バテンベルグ通り>


 <聖処女教会>


 <ジャマヤ広場とジャーマヤ>


 <ローマ劇場跡>


 ジャマヤ広場付近には、このような歴史的な建物などがズラリと並んでおり、「プロブディブの2000年の歴史が一堂に会している。」という説明がありました。
 最後に、プロブディブは、6000年に及ぶ歴史があり、街のあちこちから遺跡が発見されているのでしょうか?その現場のようなところを見ることができました。

 <遺跡の発掘現場?>

 
 これにて、プロブディブから失礼します。