これまでこのブログでは、アニメ版の『笑ゥせぇるすまん』リメイク版と旧版について書いてきました。
ことのついでなので、ここで漫画原作についても書いておきましょう。
作者は、いうまでもなく藤子不二雄A先生。
今さらですが、作品の内容を紹介します。
セールスマンでありながらお金は一切いただきませんという怪人・喪黒福造が「ココロのスキマ…お埋めします」と称して満足を与える。しかし、それには条件があって、欲におぼれた客が約束を破ると、その報いを受ける……というのが、だいたいの筋書きですね。
人間の欲深さとそれに対する報い……が主題ということになると思いますが、しかし、そう単純にまとめてしまえるような作品でもありません。喪黒福造というのは、メフィストフェレス的な存在で、最初から破滅させるつもりでいるとしか思えないような場合もあります。
「あれほどいったのに……」みたいなことを喪黒福造はよくいいますが、そんなにいってたっけなあ、と思うことも少なくありません。
約束を破った場合でも、いや、この状況じゃしょうがないだろ……と思うこともあります。
でも、たとえいくらツッコミどころがあろうと、そんなことはおかまいなしに、有無をいわさずドーンとくる。
『笑ゥせぇるすまん』というのは、そういう作品なんですね。
先日読んだ青崎有吾さんの『体育館の殺人』という小説にも、喪黒福造の名前が出てきました。
あの作品に出てくる探偵役はアニメオタクで、いろんな現代アニメの話をしていて私にはさっぱりわからないんですが、そんな彼があるとき喪黒福造の名前を出し、そこだけわかるんです。もう、そういう世代を超えた存在になってるんです。
思えば、この漫画が『黒ィせぇるすまん』として最初に発表されたのは、1969年。じつは、かの『ドラえもん』連載開始とほぼ同時なんですね。
それが、ほとんど半世紀たった今なお新たにアニメ化される……こんな作品がどれだけあるかということを考えると、もうサザエさんとゲゲゲの鬼太郎、あるいはいくつかの手塚作品ぐらいしか思い浮かびません。ある意味、『笑ゥせぇるすまん』は国民的アニメといえるんです。
なんとなく暮らしている日々の中で、ふと、喪黒福造のあの笑顔に会いたくなる。
ココロのスキマを埋めてもらいたくなる。
『笑ゥせぇるすまん』は、そんな不思議な魅力のつまった作品なのです。
ことのついでなので、ここで漫画原作についても書いておきましょう。
作者は、いうまでもなく藤子不二雄A先生。
今さらですが、作品の内容を紹介します。
セールスマンでありながらお金は一切いただきませんという怪人・喪黒福造が「ココロのスキマ…お埋めします」と称して満足を与える。しかし、それには条件があって、欲におぼれた客が約束を破ると、その報いを受ける……というのが、だいたいの筋書きですね。
人間の欲深さとそれに対する報い……が主題ということになると思いますが、しかし、そう単純にまとめてしまえるような作品でもありません。喪黒福造というのは、メフィストフェレス的な存在で、最初から破滅させるつもりでいるとしか思えないような場合もあります。
「あれほどいったのに……」みたいなことを喪黒福造はよくいいますが、そんなにいってたっけなあ、と思うことも少なくありません。
約束を破った場合でも、いや、この状況じゃしょうがないだろ……と思うこともあります。
でも、たとえいくらツッコミどころがあろうと、そんなことはおかまいなしに、有無をいわさずドーンとくる。
『笑ゥせぇるすまん』というのは、そういう作品なんですね。
先日読んだ青崎有吾さんの『体育館の殺人』という小説にも、喪黒福造の名前が出てきました。
あの作品に出てくる探偵役はアニメオタクで、いろんな現代アニメの話をしていて私にはさっぱりわからないんですが、そんな彼があるとき喪黒福造の名前を出し、そこだけわかるんです。もう、そういう世代を超えた存在になってるんです。
思えば、この漫画が『黒ィせぇるすまん』として最初に発表されたのは、1969年。じつは、かの『ドラえもん』連載開始とほぼ同時なんですね。
それが、ほとんど半世紀たった今なお新たにアニメ化される……こんな作品がどれだけあるかということを考えると、もうサザエさんとゲゲゲの鬼太郎、あるいはいくつかの手塚作品ぐらいしか思い浮かびません。ある意味、『笑ゥせぇるすまん』は国民的アニメといえるんです。
なんとなく暮らしている日々の中で、ふと、喪黒福造のあの笑顔に会いたくなる。
ココロのスキマを埋めてもらいたくなる。
『笑ゥせぇるすまん』は、そんな不思議な魅力のつまった作品なのです。