ロック探偵のMY GENERATION

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新元号「令和」に思う

2019-04-01 22:38:04 | 時事
新しい元号が、「令和」と決まりました。

万葉集からとったのだとか。

過去の元号はほとんどが漢籍からとられたもので、国書から元号を作ったのは、初だということです。
かねてから、保守派の間では国書由来の元号を求める声があったといいますが……

しかしどうも私には、これがはき違えたナショナリズムを象徴しているように思えてなりません。
その主張はいろんな前提を見落としてるんじゃないでしょうか。

そもそも元号というシステム自体、中国でやってるのを真似したものでしょう。
奈良時代ごろ、一時、元号を漢字四文字にしていた時期がありますが、それも、そのころ中国で漢字四文字の元号を使っていたのを真似したものだといいます。
そういう意味では、いかに国書由来の文字を使ったところで、元号というシステム自体を日本固有のものとはいえないわけです。

かさねて、「令和」という言葉は、結局は漢字を使い、しかも音読みしているわけですから、中国嫌いな保守派の人たちは、本当にこれで納得できるんでしょうか。

本当に“国風”の元号にしたいなら、和語のみを使い、漢字も使わないものにするべきです(仮名文字も漢字由来であるという点にはひとまず目をつぶるとしましょう)。
たとえば、「さざなみ元年」とか、「せせらぎ二年」とかです。
こうなってくると、もうこれまでの元号との連続性はまったく感じられませんが……それはすなわち、元号システムそれ自体が、どうみても日本固有の伝統ではないということにほかならないのです。

別に、それでいいんです。

もともと日本は、よそから取り入れたものを自分たちなりにアレンジすることで文化を作り上げてきた国であり、固有性を求めること自体がナンセンスだと私は思ってます。

万葉集から字をとってきたから国産の元号だ――というのは、いつだかの教科書検定で、「アスレチック遊具のある公園」が「和楽器屋」に変更させらたという話と重なって見えます。
日本らしいものにするべきだということでそういうふうに意見がついたわけですが、そのナンセンスさは批判の的ともなりました。
“和楽器”と呼ばれているものは、実際にはほぼすべてよその国で作られて日本に伝わってきたものといわれます。それを日本でちょっと改良したものが、“和楽器”と呼ばれているわけです。その和楽器を売っている店をもって、なにか日本の固有性のようなものを主張するのはばかげています。
和楽器は、日本の文化が外来文化をうまく摂取して作られてきたことを示すものであり、それが「アスレチック」であったところで、なんら変わりはありません。ただ、時代が違い、摂取する相手先が違うというだけのことです。

にもかかわらず、もとをたどれば外来であるものを、日本固有のもののように考え、それが日本オリジナルの美であるかのように語る。そういう視野の狭いナショナリズムが、保守を自称する人たちのあいだで広く共有されていて、それがとうとう元号というところにまで表出してしまったんではないか……今回の「令和」という元号に、そんなことを思いました。