松本清張の『点と線』を読みました。
小説カテゴリーの記事で前回高木彬光について書いた際に名前が出てきたので、ひさびさに読んでみようかと思った次第です。
もちろん清張作品はそれなりに読んだことがあるんですが……意外に有名な作品をスルーしていて、松本清張にとって推理小説第一作といえるこの作品は未読でした。それが本屋にいってみると置いてあったので、チョイス。
読んでいると、松本清張のミステリーを読むときにしばしば感じる「歪み」のようなものが、この作品にしてすでに感じられました。
清張は社会派推理小説の先駆と目されているわけですが、そもそも森鴎外とかそういうところを向いている人なので、ミステリーにおける仕掛けは結構トリッキーであり……ありていにいって、ちょっと無理があるんじゃないかと思えることが少なくないのです。
まあ、これは私自身が本格よりの立ち位置にいるのでそう思えるのかもしれませんが……それにしても、そのトリッキーさが“社会派”としてのテイストと齟齬をきたしているんじゃないかと感じることが多々あります。それは、この『点と線』でも同様でした。その点でいくと、以前取り上げた高木彬光『白昼の死角』と比べて、ひっかかりを覚える部分があったことは否めません。
ただ、この作品の主眼はアリバイ崩しにあります。
最初に出てくる“プラットホームの見通し”に関する気づきが発想の出発点だったのではないかと想像しますが、そこから練り上げていった結果が、こうなったんでしょう。
その出発点は秀逸ですが、この文庫についている平野謙の解説では、そこに潜む瑕疵も指摘されています。
その部分も、「無理がある」の一環かも知れません。まあこれは、書き手の側からすると、「これはおいしい」という着想を得たら、そこに関するちょっとした問題点はあまり気にならなくなってしまうというというところもあったんじゃないかと思いますが……たしかに、いわれてみれば説明不足ではあります。
その後に出てくる種々のアリバイとそれを崩していく手つきについては、いいものもあり、筋が悪いものもあるという印象です。ネタバレになるのでその一つ一つについては書きませんが……ただ、総体としてはやや強引な感も個人的にはありました。
ここで、社会派的な側面についても触れておきましょう。
松本清張は意外にも太宰治と生年が同じなんですが、太宰の同時代人という印象はあまりないと思われます。
それは、彼が作家としてデビューしたのが40過ぎてからと遅咲きだったためですが、それまでの間に清張は世の中の辛酸をなめてきているわけです。そのことが、彼独自の視点につながっているというのは、よく指摘されるところでしょう。
その独自の視点は、『点と線』にも発揮されています。
印象的なのは、その結末です。
この作品で扱われる事件の背景には、ある省庁の汚職事件があり、その追及をなんとかして逃れようとする高級官僚の策謀があります。
事件を追う刑事たちは執念で真相を突き止めますが、結果としてその黒幕的な位置づけにある高級官僚の罪を問うことはできないまま物語は終幕。彼らの策謀は成功し、とかげの尻尾を切って逃げ切ってしまうのです。どころか、問題の高級官僚とその彼を手助けした役人は出世栄転を果たしさえします。
なんだか、どこかで聞いたような話……この寒々とした結末が、つまりは清張のなめた辛酸というところなんでしょう。
出世の希望から上役に忖度する役人、そして、「目をかけられている上司に、自分の供述で迷惑が及ぶことを恐れ」、不正のもみ消しに協力する役人。そして結局、殺人さえ犯して事件をもみ消した側が、逃げ切ってこの世の春を謳歌する。現実は、必ずしも正義が勝つというわけにいかない――これが、松本清張のリアルなのです。
ただ、それで、世の中そんなものさで終わってしまったのでは、ますます荒涼とした世の中です。
やはり、検察や警察といった人たちは、権力の側にいる人間の犯罪を執念で追及してもらいたい。そうでなければ、存在価値がない。ときに徒労であるとしても、刑事や検事はこの作品の登場人物を見習ってもらいたいと思います。