今回は、ひさびさに近現代史について書こうと思います。
近現代史記事としては、このところは日付にリンクさせるかたちになっていて、前回は血盟団事件について書きました。
そして今日は、5月15日……ということで、5.15事件です。
一応簡単に説明しておくと、昭和7年の5月15日、海軍将校らが首相官邸に乗り込み、犬養毅首相を殺害したという事件です。一般的に、この事件によって政党政治が終焉したといわれます。
三月事件、十月事件など、前年から起きてきた事件と基本的には地続きです。
とりわけ、血盟団事件とはかなり直接につながっています。
この事件に関与した軍人らや、民間グループとして加わった愛郷塾の橘孝三郎などは、井上日昭とつながりがありました。
ただ、5.15事件がそれまでと決定的に違うのは、実際に国家改造主義者が国家の中枢に入り込み、総理大臣を殺害してしまったということです。
三月事件や十月事件は未遂に終わったクーデターであり、血盟団事件はあくまでも民間人が相手でした。しかしここで、現役軍人による直接行動が起こされてしまうのです。
それ以前にも首相の暗殺はありましたが、それらは個人による単体の攻撃であって、国家改造主義者たちのグループによる行動ではありません。国家改造主義者が集団として政治テロを計画し、それが未遂に終わらなかったという点で、5.15事件は重大なのです。
クーデターが成功したとはいえませんが、この事件が昭和史の大きな転換点となったのは誰しも認めるところでしょう。
5.15事件によって、政党政治は終焉したといわれます。
犬養首相が「話せばわかる」といったのに対して襲撃者が「問答無用」と銃の引き金を引いたエピソードは、しばしばその象徴ととらえられています。
以前犬養毅に関する記事でも書いたように、その背景には、国民のあいだに広がっていた政党政治不信がありました。
それが、事件首謀者に対する減刑嘆願書といったかたちで表れます。
国民の多くは事件の首謀者に同情を示し、犬養死後の後継をめぐっては、「政党政治絶対反対」と主張するグループが存在しました。そして、それがさらに国家改造主義者たちの暴走をエスカレートさせ、実際に国家は改造されていってしまいます。暗黒の世界へと……
その後の歴史をみれば、5.15事件を支持した人々は、自分の首をしめるようなことをしていたとみえます。
仮にその人たちは後に暗黒時代がやってくることを覚悟のうえだったとしても、結果として無謀な戦争で日本が焦土になってしまっている以上、国の進む道を誤らせたという誹りは免れないでしょう。
これは、単なる結果論ではありません。
無謀な戦争を起こして焼け野原になったのは、国家改造主義者たちが実際に国を運営するようになった時点で、もはや必然でした。
血盟団事件の記事でも書きましたが、彼らの思想や行動原理はたぶんにカルト宗教的なところがあり、大きな組織を動かすにはあまりに危険すぎるのです。まして、国家の舵取りなどというのは論外。その論外な人たちが国を動かすようになってしまったのが昭和日本の悲劇ですが、5.15事件は、その大きな転換点といえるでしょう。
そういう意味では、この事件は“政党政治の終焉”というにとどまらず、“近代国家としての日本の終焉”を象徴しているとも思えます。
実際、この頃を境にして、国際連盟の脱退や、天皇機関説排撃など、いろんな部分でおかしな動きが目立つようになっていきます。近代国家という装いを脱ぎ捨て、もはやその体裁を取り繕おうとさえしなくなったというか……これはまさに、船の針路がとんでもない方向に向けられているということであり、その行きつく先は氷山との衝突とか、座礁とかそういうことになってしまうわけです。
日本の近現代史をみていると、ときにそういうカルト気質が顔をのぞかせることがあります。
これは、思想の右左とかいうこととはあまり関係がありません。
戦前の国家改造主義者のなかには左派系の人も多くいました。また、戦後の話でいうと、たとえば連合赤軍なんかも私にいわせれば国家改造主義者と同じカルト気質の一表象です。
克服すべきは、このカルト気質なのです。
それは、サリン事件の例からもわかるとおり、いつまたふいに噴出してくるかもわかりません。そうした思想の持ち主がまかり間違って権力の座につくようなことがあれば、国がめちゃくちゃになってしまうのは時間の問題です。とにかく、そういう勢力が権力を握りそうになったら、全力で阻止しなければならないのです。