ロック探偵のMY GENERATION

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ディランの誕生日

2021-05-24 21:32:40 | 日記

今日5月24日は、ボブ・ディランの誕生日ということです。

このブログでは、なにげにディランの話もよく出てきます。
最近は日本のフォークに関する記事をよく書いていますが、それらの記事でもディランの名前はちらほら出てきていました。
そんなわけなので、今日はボブ・ディラン特集をやってみようと思います。



まず、代表曲の「風に吹かれて」。

Blowing In The Wind (Live On TV, March 1963)

以前ライブエイドでのバージョンを紹介しましたが、これは60年代のころの映像です。
「あまりにも多くの人が死んだということに気づくためには、どれだけの死が必要なのか」という一節は、まさに今の時代にも通じる普遍性をもって響いてきます。

初期のディランは、そういう歌をよく歌っていました。
たとえば、軍需産業やそこにつながる政治家といった人たちをストレートに批判した「戦争の親玉」もその一つでしょう。そのエド・シーランによるカバー動画をリンクさせておきます。

Ed Sheeran - Masters of War (Acoustic Cover)

ただし、ディランがこういう直接的なプロテストソングを歌っていたのは、ごく初期にかぎられます。
60年代の後半、アメリカでベトナム反戦運動が本格化し始めたころには、ディランはもうそこで歌われるような歌は作らなくなっていました。
後にライブ・エイドに参加しているわけですが……ライブ・エイドのステージではいささか場違いな発言をしたり、We Are the World のレコーディングではあきらかに浮いていたともいいます。

このあたり、先日の小室等さんの記事で書いたことともからんできますが……ディラン自身は、プロテストソングの旗手のようにいわれることを快く思っていなかったようです。
60年代半ばごろにその手の活動に参加していたのも、スーズ・ロトロやジョーン・バエズに伴われて……つまりは、女との関係から。本人はどうやら、右左を問わず、「政治的な活動をしている市民団体」といったものが嫌いだったようです。

フォークというのは特殊な音楽ジャンルで、本来は、古くから民衆の間で歌い継がれてきた歌を採集し、そこに独自の解釈をくわえて演奏するというところが出発点になっています。根本にそういう民俗学的な要素があり、ゆえにある種の批評性を持っているわけです。その批評性のために、世の中の出来事をどこか外部から眺める視点が生じ、結果として、世の中のさまざまな問題を批評はするけど直接にコミットはしないという“知識人”的態度があらわれてくるのではないか……私はそんなふうにも考えています。
まあ、もちろん実際行動に参加するフォークシンガーもいるわけですが……それはどちらかといえば少数派であり、ディランの場合、本質的にそちら側ではなかったと思えるのです。

というわけなので、ボブ・ディランというミュージシャンについて考えるときは、リスナーの側も幅広い視点が必要になってきます。プロテストソングの旗手としてではなく、一人の吟遊詩人として……

ディランに関していうと、フォークやロック界隈がラブ&ピースで盛り上がっていた時にはもうそこに背を向けていたような感じなので、よくも悪くも、自分のやりたいことをやりたいようにやっていただけということなんでしょう。フラワームーブメントの盛り上がりに乗って成功し、その運動が終息した後に路線変更を迫られてラブ&ピースから離れていったアーティストたちとは事情が違っています。そうしたアーティストには、どこか“日和った”感がつきまとうわけですが、ディランにはそういう感じはないのです。

……で、60年代後半、プロテストソングをやらなくなってからのディラン。

その頃の代表曲といえる、「見張り塔からずっと」。
ジミヘンによるカバーや、さらにそれをもとにしたU2の孫カバーも有名です。
ロックの殿堂での動画を引用しておきましょう。

Bob Dylan performs “All Along the Watchtower” at the Concert for the Rock & Roll Hall of Fame

動画のタイトルには書かれていませんが、二曲目に「追憶のハイウェイ61」もやってます。
この曲がタイトルとなっているアルバム『追憶のハイウェイ61』は、ディランにとって一大転換点といわれます。ロックの新たな地平を拓いたとも目される Like a Rolling Stone も、このアルバムに収録。ここからディランは、本格的にバンドサウンドのほうにむかっていき、ザ・バンドとの活動がメインになっていきます。

その時期の代表曲の一つが Forever Young。
先ほどのロックの殿堂と同じときでしょうか、“ディランの再来”ともいわれたブルース・スプリングスティーンと一緒に歌っている動画がYouTubeで公開されています。

Bob Dylan, Bruce Springsteen perform "Forever Young" at the Concert for the Rock & Roll Hall of Fame

そうしてバンドで活動しているときにも、初期の曲をやってはいました。
代表曲として知られる「はげしい雨が降る」。

Bob Dylan "Hard Rain" LIVE performance [Full Song] 1975 | Netflix

キューバ危機を受けて作ったといわれる曲ですが、プロテストソングというわけではなく、やはりあくまでも「批評」という距離感があるように私には思われます。だからこそ、60年代フォークの文脈から切り離されても成立し、その後も歌われているんだろう、と。思い返せば、ディランがノーベル文学賞を受賞したときに、この曲はよく取りざたされていました。



そこからのディランには、いろんなことがありました。
ユダヤ教の家庭の出でありながら、キリスト教のいわゆるボーン・アゲイン派に改宗するということも。
おそらくはその影響がある曲 Gotta Serve Somebody です。

Bob Dylan - Gotta Serve Somebody (Audio)

「誰かに仕えなければならない」というそのタイトルに反発して、ジョン・レノンが Serve Yourself (自分自身に仕えよ)という曲を作ったという……そんないわくつきの歌です。



その後、いまにいたるまで、ボブ・ディランという人はじつにいろんな音楽をやってきました。
もちろん今でも活動していて、いまやノーベル賞文学者でもあります。
その経歴を書いていくと、もうきりがないということになってくるので、今回はこのあたりにしておきましょう。
まあ、ディランの話はこれからもちょくちょく出てくると思うので、今回紹介しようとしてできなかった曲についても、いずれそういったところで書いていくつもりです。