ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

カルメン・マキ 「時には母のない子のように」

2021-05-16 23:51:37 | 音楽批評



今回は、音楽記事です。

寺山修司関連アーティストということで、今日はその第二弾……

前回の浅川マキからのマキつながりで、カルメン・マキさんです。

この方は、『天井桟敷』の団員として、舞台に立っていました。
こんな人です。

 

 一見して混血であることがわかる容貌ですが、ウィキペディアによると、アイルランド人、ユダヤ人、そして日本人の血を引いているということです。

その多国籍性――というよりも無国籍性といったほうがいいでしょうか――は、カルメン・マキという人のキャラクターを象徴しているようにも思われます。
その声にはある種の中性性が感じられ、また、妖艶でありながらどこかにイノセンスを秘めた歌声……カルメン・マキは、相反する二つのものを兼ね備えたような、そういう、境界を超える存在なのです。
境界を超えるということは、まさに劇作家としての寺山修司が目指していたことの一つであり、カルメン・マキという人は、それを体現するミュージシャンといえるでしょう。

その長いキャリアにおいて、ジャンル横断的な活動をしてきたこともその表れです。
初期のころはアングラフォークという感じでしたが、やがてロックの方向にも進出。とりわけ、カルメン・マキ&OZは、日本のロック史において大きな存在感を放っています。
そのカルメン・マキ&OZは、近年再結成し、昨年は再結成後初となるライブも決行。
その一部の動画が公開されているので、リンクさせておきましょう。

カルメン・マキ & OZ 2020 「閉ざされた町」~コロナの時代を超えて再び~ 11/29メルパルクホール東京

ここで鍵盤を担当しているのは、忌野清志郎のバックバンド NICE MIDDLE にも所属していた厚見玲衣さん。
浅川マキと同様、やはり伝説は伝説を呼ぶということで、カルメン・マキの周囲には名うてのミュージシャンが集まってくるのです。
それはたとえば、近田春夫さんだったり、B'z の松本孝弘さんであったり……
45周年記念となる2014年のライブでは、それが如実に発揮され、Char Special Band を引き連れて登場。ギターには、Char さんに加えて木暮“shake”武彦さん、さらにはゲストボーカルに金子マリさんを迎えるという豪華さです。
そのステージでの一曲「1999」の動画をリンクさせておきましょう。

1999



「時には母のない子のように」は、彼女のデビュー曲です。
その動画を貼っておきましょう。

時には母のない子のように

これもデビュー45周年時のものなので、ちょっと枯れた感じの声になってきていて、若いころとはまた違った味わいがあります。
もとは、1969年、17歳のころに発表した歌で、これが大ヒットして彼女は紅白歌合戦にも出場しました。



寺山修司のもとにはもう一人の“マキ”がいるわけですが……
二人のマキは、同じようなところから出てきた人たちなので、そのレパートリーにかぶっている部分もあります。

たとえば、「それはスポットライトではない」。
浅川マキの訳詞で歌っています。

それはスポットライトではない

そして、「聖ジェームズ病院」。
こちらは、ブルース・クリエイションとともに活動していたときのもの。

St. James Infirmary

話のついでに、同じくブルース・クリエイションとの Motherless Child という曲も紹介しておきましょう。
邦題は「時には母のない子のように」で、カルメン・マキのデビュー曲は、ここから着想を得たものともいわれています。
このアレンジと、ジャニス・ジョプリンの影響を色濃くうかがわせるカルメン・マキの歌……神すぎる一曲です。

Motherless Child

ちなみに、ブルース・クリエイション期には、全日本フォークジャンボリー(中津川フォークジャンボリー)に参加したりもしていました。
しかも、1971年のことなので、あの“ステージ占拠事件”が起きた、ある意味伝説の第三回です(ちなみに、その前年の第二回には浅川マキも出演していました)。
時間関係からして、カルメン・マキさんがステージ占拠事件と直接関係しているわけではありませんが……この事件の背景には、フォークの祭典なのにフォーク以外のミュージシャンが多数出ていることに対するオーディエンスの不満があったといわれていて、そういう意味ではフォークからロックに“転向”したカルメン・マキという存在は、間接的に影響を与えているかもしれません。

その関係の有無はわかりませんが……話を寺山修司に戻すと、このステージ占拠事件というのは、じつに寺山修司的な事態ではないかとも思えます。

演者と観客の間におけるコミュニケーションとディスコミュニケーションによって、ステージと観客席の境界が破壊されてしまうという……意図せずして、というよりも、意図しないことによって、寺山修司的な状況がそこに現出したのではないかと思えるのです。

そういうことが起こりうる時代であり、空間だったということなんでしょう。

ということで、次回の音楽記事では、寺山修司つながりで、かつ、このステージ占拠事件に深く関係しているといわれるミュージシャンについて書こうと思います。