ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

ウルトラマンタロウ50周年

2023-04-12 21:04:21 | 日記


先日「帰ってきたウルトラマン」について書きました。

たまたまその直後、インターネットで、ウルトラマンタロウが今年で50周年だという記事を見つけました。
そういえば、そうだなあ……ということで、今回はウルトラマンタロウについて記事を書こうと思います。実は私、ちょっと機会があり、タロウは全話観ているのです。

(※以下、記事中で『ウルトラマンタロウ』最終話をふくむいくつかのエピソードの内容に言及しています。未試聴の方はご注意ください)

ウルトラマンタロウは、ウルトラマンシリーズ第二期の3作目として制作されました。
今年で50周年ということなので、放送開始は1973年。
ゴジラシリーズが1960年代末ぐらいから迷走しつつあったということをこのブログでは書いてきましたが、ウルトラシリーズのほうも、やはり時代の変化にアジャストしようとしてうまくいかないというふうになった部分はあると思います。そして、タロウがその分岐点にあたるということは、多くの人が認めるんじゃないでしょうか。

旧来のファンを困惑させたのは、コミカル要素の強さです。
もちろんユーモアの要素はそれまでにもありましたが、その枠を超えてくるのです。たとえていえば、ゴジラが「シェー」をやるといったような……
それが、ゴジラシリーズの迷走・低迷を暗示するものであったように、タロウでも、コミカル路線は賛否を呼びました。
それまで真面目路線でやっていた俳優が「お笑いが人気の時代だから」といって芸人になろうとするようなものです。普通に考えて、うまくいくはずがないのです。

ただ、タロウでは結構コミカル方向に振り切ったような回もあって……
たとえば、第48話「怪獣ひなまつり」。ここまで振り切れば面白い、と私としては思ってます。

そうかと思えば、タロウには、意外とシリアスな一面もあります。

先述したネットの記事では、キングトータスなどが登場する第4、5話をその例として挙げていましたが……実は、このエピソードには後日談があります。
第38話、「ウルトラのクリスマスツリー」です。
このエピソードでは、ウルトラマンタロウとトータス親子の戦いで家族を亡くした少女が登場します。
もとの話では、人間のエゴに怒り狂った大亀怪獣が襲来。そもそも人間が悪いということで、大亀怪獣は命を救われるという話。しかし、そんな戦いで人間側の死者が出ている……そういうところに目をむけるという着眼点が、歴代シリーズの中でもとりわけ深かったと思えます。

そして、その果てに最終回があります。

タロウは、新マンと同様に、一人の少年との交流が描かれますが、最終回では、この少年の父親が怪獣によって殺されてしまいます。

ここで、自暴自棄に陥る少年に対して、東光太郎は自分がウルトラマンタロウだと明かします。
そして、ウルトラマンに変身せず、人間の肉体のままで最後の敵と戦い、勝利するのです。
そんな無茶な、という話ではありますが、これがやはりウルトラシリーズ最終回のメッセージなのです。ウルトラマンは、もういなくなる。これからは、自分の力で戦い、強く生きていかなければならない……そのことを、自らの姿で示したのです。

こういうメッセージがあるので、子どもたちがウルトラマンを見るときは、きちんと最終回まで見てほしいのです。そうでないと、「困ったときはウルトラマンがきて何とかしてくれる」というだけの話で終わってしまうので……
新マンの記事でも書きましたが、ウルトラマンはいつかはいなくなる、これから自分の力で戦っていかなければならない、というところまで込みでのウルトラマンだと思います。そしてタロウは、少年の自立というテーマをもっとも力強く描いた作品の一つといえるのではないでしょうか。