今回は、映画記事です。
このカテゴリーの前回記事で予告したとおり、いよいよ『ゴジラ』(84年版)について書きましょう。
第15作『メカゴジラの逆襲』でいったんゴジラシリーズが終了してからおよそ10年……1984年、ゴジラ誕生から30年の記念として、ゴジラはよみがえります。
そしてこれが成功をおさめ、その後の、いわゆる「平成ゴジラ」シリーズの出発点となるのです。
ゴジラを復活させようという動きは、実際に制作が開始されるよりもだいぶ前からあったようです。
ファンの間でゴジラを復活させようという運動が盛り上がり、制作の田中友幸さんのもとに嘆願の手紙が届けられたりしていたといいます。
あるときには、日米合作でという話もあったとか。
しかし、納得のいく脚本が作れず、なかなか実際の制作というところまで話が進まずにいました。
それがいよいよ、30周年にむけて動き出します。
東宝創立50周年に当たる昭和57年というのも一つの動機となったようで、この秋から企画がスタートし、翌58年から正式にゴジラの制作が動き出しました。
メガホンをとるのは、橋本幸治監督。
この直前に、東宝が総力をあげて作ったSF大作『さよならジュピター』(原作・小松左京)の監督をつとめていました。監督をつとめたのは『さよならジュピター』と、この84年版『ゴジラ』の2作のみで、そういう意味でも貴重な作品です。
特撮映画なので、特撮部分には特技監督という役職が別にありますが、その特技監督をつとめたのは中野昭慶さん。
あの『ゴジラ対ヘドラ』でデビューして以来第一期ゴジラ終了まで特技監督をつとめ、『日本沈没』の特撮を手掛けたことでも知られるベテランです。
その監督のこだわりと時代の進歩もあり、着ぐるみやミニチュアの作り込みはかなりレベルアップしているように思えます。
現代からみればちゃちなものでしょうが、このあたりまでくると、私が子供の頃に見ていた特撮もののフィーリングに近づいてきて、そのちゃちさにもある種のノスタルジーが感じられます。
まあ、それは個人的な事情ですが……しかし、この作品において東宝特撮が総力を挙げているのはたしかなところです。
人が入る着ぐるみのほか、4ⅿのサイボット・ゴジラを筆頭に、上半身のみのもの、背びれのみのものなどもふくめて計15体のゴジラが用意されたといいます。パーツだけであれば大型のものを作れるので、より怪獣としてのディテールを表現できるわけです。足に関しては、なんと実物大のものまでが作られました。ここからも、気合の入りようがうかがえるでしょう。また、アクターが入るメインの着ぐるみに関しては、撮影直前ぎりぎりのところまで徹底的に手直しが行われたそうです。
キャストも、なかなか豪華です。
ヒロインを演ずるのは、沢口靖子さん。
このときは、実に若い。しかし、生物学の研究室で助手のようなことをやっていて、科捜研の女の片鱗はすでに見せています。
もっとも沢口さんはこのときは新人なので、そこで豪華とはいえないかもしれませんが……第一期ゴジラの常連俳優だった小泉博さんや、『地球最大の決戦』に出演した夏木陽介さんなどが登場しています。
ほかに作中にちょっとだけ登場する石坂浩二、武田鉄矢、かまやつひろし、江本孟紀の諸氏……と、ゲスト出演陣も豪華です。
主役であるゴジラに関していうと、本作はスーツアクター薩摩剣八郎さんのゴジラデビュー作でもあります。それまでは中山剣吾名義でヘドラを演じたりしていた人ですが、この作品でゴジラ役をつとめました。
そしてなにより……この作品は、第一作ゴジラへの原点回帰が見られます。
初代ゴジラが誕生した30年前とは比較にならないほど増大した核の脅威がテーマとなっているのです。
たとえば、ゴジラは原発に引き寄せられて日本にやってきます。
核エネルギーがゴジラを引き寄せる……このことから、林田教授(夏木陽介)は、ゴジラは「人類の滅びへの警告だ」というのです。
やっぱり、これなんです。こういうゴジラが見たいんです。
ゴジラは怪獣ですが、「そのゴジラを作り出したのが人間だ。人間のほうが化け物なんだよ」と林田教授はいいます。
まさにこれこそが、ゴジラのもつメッセージ性なのです。
原発だけでなく、核兵器の愚かさも描かれます。
ゴジラがはじめに原潜を襲撃したとき、米ソはそれぞれ相手国による攻撃だときめつけ、戦争一歩手前の状況に。
その後ゴジラの存在が公表されたことによって戦争は回避されますが……すると今度は、米ソとも、ゴジラに対して核攻撃をしかけようとします。
いずれももっともらしい理屈をつけてきますが、日本側は懐疑的です。米ソは、ゴジラにかこつけて核兵器の実験をしたがっているのではないか……そういう疑いをぬぐえません。
結局は核兵器が誤って発射されてしまい、その核兵器自体が、いったん活動を抑制されたゴジラを復活させてしまうというアイロニー……核に対する皮肉がきいています。
ちなみにこの映画では、核弾頭の高度爆発という現象が起きますが、これは実際に知られているもので、他のゴジラ作品で見られるような、やれブラックホールのエネルギーだ、次元のひずみだ、などといったいい加減なものではありません。そういった部分で、リアリティを追求しています。
ある研究によれば、オハイオ州の上空170キロで核爆弾の高度爆発を起こすと、電磁パルス(EMP)が発生してアメリカの国土の半分で電子機器が使えなくなるということで、その威力は相当なもの。冷戦期にアメリカが核実験で得ていた知見が、この作品に導入されているのです。
(ただ、高度爆発の場合、放射能は地上までは到達しないといいます。劇中では、高度70キロで核爆発が起きるということになってますが、その場合実際どうなのか……まあ、そこは誤差の範疇というところでしょうか)
リアリティの追求に一役買っているのが、「特別スタッフ」。
軍事評論家の青木日出雄さんがその中にいて、おそらく軍事関連のディテールもそうした取材によるものでしょう。
特別スタッフには、他にも田原総一朗さんやニュートン編集長だった竹内均さんが名を連ねていて、実際にゴジラが出現したらどうなるかという綿密な取材が行われていたようです。竹内均さんは、最終的にゴジラをどこの葬るかということについての意見をもらい、田原さんには、現代におけるゴジラの位置づけについて助言を得たのだとか。
そして最後に、重要な点として、人間側のテクノロジーの進歩を指摘しておかなければならないでしょう。
それを象徴するのが、スーパーX。
第二期ゴジラに計三機登場するスーパーXシリーズの初号機です。飛行機能を持ったマシンで、核反応を抑制するカドミウム弾を使用して、ゴジラを追い詰めます。先述したように、その後核兵器の誤使用によってゴジラは復活してしまうわけですが……それがなければ、ゴジラを封印できていたのかもしれません。とすると、自己犠牲的な手段によらずに真っ向勝負でゴジラを封じこめた初の例ということにもなります。
それだけ、人間側のテクノロジーが発達しているわけです。
こんなふうに人間側の兵器が充実しているというのは第二期シリーズの特徴で、スーパーXの後継機たちも、ゴジラ相手に互角に戦うか、あるいはほぼ抑え込みに成功しています。人類の繰り出す兵力は、かつてのように、ただ蹴散らされるだけの噛ませ犬ではなくなっているのです。それにくわえて、本来この84年版ゴジラには、スーパーXだけでなく「ジャイアント・バス」や「クラブシイザス」などといった超兵器がいくつか登場する予定でした。第一作ゴジラと比べると、人間側の戦力は格段に充実しているのです。
このあたりは、現実世界でのテクノロジーの発達に比例して……ということなんでしょう。
30年間で、現実世界におけるテクノロジーは飛躍的に発達した。たとえ実際にゴジラのような化け物が現れたとしても、人類側は一方的にやられてばかりではないはずです。
しかし、そのことはまた、文明の暴走に対する恐怖と背中合わせでもあります。
人間は、科学によって巨大な力を手にした。だが、その力は、果たして本当に人類を幸福にするのか――
この点は、本作から展開されるゴジラ第二期シリーズの大きなテーマとなっていくのです。