日本学術会議の会員候補任命拒否が問題になっています。
これまでは、推薦された候補者がそのまま任命されていたにもかかわらず、今回は6人の任命を政権が拒否しました。
これには、学術の世界ばかりでなく、各方面から批判の声があがっています。批判は、与党内からも出ているようです。
指摘されているように、政府を批判したことが拒否の理由だとしたら、その懐の狭さは大いに問題でしょう。
学問の自由、学術会議の独立性といったことが論点でしょうが……それ以前に、まず“狭量”さに唖然呆然とさせられる話です。
今回の騒動をみていて思うのは、この国において“公正”という概念が根本から破壊されているということですね。
公金を運用するにあたっては、自分の好き嫌いといったことをその判断材料にしてはならないということです。当たり前のことです。スポーツにおいて、審判が自分の好き嫌いをジャッジに反映させてはならないのと同じです。その当たり前な公正さが、失われてしまっているということでしょう。
もう一つ問題だと思うのは、その対象が学問という領域であったことです。
学問の世界においては、批判精神は死活的に重要です。健全な批判精神がなければ、学問は発展しないといっても過言ではないでしょう。ということは、すぐれた学者なら、政府に対する批判ぐらいするのが当然です。政府を批判するような学者を排除するということは、優秀な学者を排除するということです。そんな狭量なやり方をしていけば、たださえ危ぶまれている日本の学術水準はさらに低迷していくことでしょう。
以上の観点から、今回の任命拒否には、相当な問題があるといわざるをえません。
速やかに、この判断は撤回されるべきです。