先日、田川にいってきました。
田川市は、筑豊地帯に位置し、かつて炭鉱業で栄えた町です。
以前ここの美術館に行った記事を書きましたが……
この田川というところは、山崎ハコさんの歌う「織江の唄」の舞台でもあります。
この歌は、五木寛之さんの『青春の門』をモチーフにしていて、五木さんが歌詞を書いています。
というわけで、前に紹介したフォーク・クルセダーズ「青年は荒野をめざす」とその来歴が似ているので、今回はこの「織江の唄」について書こうと思います。
前の音楽記事で、フォークについて書くと予告したことでもあるので……
歌の最初に登場する遠賀川。
奥のほうには、ボタ山が見えます。
遠賀川 土手のむこうにボタ山の三つ並んで見えとらす
というのは、これのことです。
ボタ山というのは、石炭を採掘した後の滓を積み上げたもの。
このボタ山は、有名なものです。画像では、角度の問題で三つ並んでいるように見えませんが……実際には三つあります。地元では、‟筑豊富士”とも呼ばれているとか。
筑豊の炭田は、最盛期には日本で採れる石炭の半分以上を産出していたという一大炭鉱地帯でした。
石炭は、工業の燃料となるものであり、明治ぐらいには軍艦も石炭を動力源としているものが少なくありませんでした。そのため、石炭は国家の浮沈にかかわるものと考えられたのです。そいうことがあったので、炭坑関係者から政界入りする人がたくさんいました。たとえば、あの麻生さんの一族もその一つ。麻生家は、往時には筑豊の炭鉱経営界隈で“御三家”と呼ばれたうちの一つだったのです。
遠賀川は、炭鉱に関わる物資の輸送を担っていました。そのため炭鉱経営から政界入りした政治家らは、遠賀川の整備などに尽力したのです。
……というのは天下国家の話ですが、その炭鉱には、もちろん働く人たちがいます。
そこには、哀愁があります。
恥ずかしながら私は『青春の門』を未読なんですが、それであっても、山崎ハコさんの歌声から、その背後にある物語が切々と伝わってくるのです。
うちはあんたが好きやった
ばってん お金にゃ勝てんもん
歌のなかに出てくる「カラス峠」にも行ってみました。
正式には「烏尾峠」というそうですが、「カラス峠」と通称されていて、歌の中にもその名前で出てきます。
田川と飯塚を結ぶ峠。
徒歩で越えるのは断念しましたが、結果的に、帰路はバスでここを越えました。
もちろん今では舗装された道路になってるわけですが、昔は盗賊などもあらわれる危険な峠道だったといいます。
道のわきは、こんな感じです。
歌の中で、織江はこの峠をこえ、幼馴染に会いに行くのです。
「織江の唄」で歌われているのは、つまりは身寄りをなくした若い女性の‟身売り”です。
これは単に、日本が貧しかった頃の話ということではありません。
案外、かたちを変えていまでも起こっていることなんじゃないかと思えます。
貧困が問題とされるようになった近年、そして、この一年のコロナ禍……織江の唄は、過去のものではないのかもしれません。