もう一か月ほど前になりますが、このブログでブルース・スプリングスティーンを取り上げました。
その記事を書くにあたって、せっかくだからちょっと気の利いたことでも書こうと思って、今から10年ほど前にブルース・スプリングスティーンを取り上げたニュースの録画を見返してみました。
すると、私はびっくりさせられました。いまの日本に言いたいことを、ブルース・スプリングスティーンが言ってくれていたのです。
それがあまりにも今の状況にぴったりだったので、これはもう独立した別の記事にしようということで、以前の記事には書きませんでした。
今回は、そんな蔵出しの“ボス”の言葉を書いておこうと思います。
このインタビューが行われた時期、ブルース・スプリングスティーンは『マジック』というニューアルバムをリリースしていました。
そこに収録されている曲には議論を呼びそうな内容もあるが、という記者の問いに、スプリングスティーンはこう答えます。
アメリカ人であるとはどういうことか、アメリカに住むとはどういうことか、我々のすんでいる国はどんなところで、子どもたちには何を残せるのか、そんなことを真剣に考えているんです。こういうのをおごりというのかもしれないけれど、真剣に作った曲は、世の中を変えられる。誰かの日常を変えられる。そう信じているんです。
件のアルバム『マジック』には、Long Walk Home という曲が収録されています。
直訳すると「家への長い道」ということになりますが、ここに、以前紹介したジャクソン・ブラウンやイーグルスと同じ問題意識を読み取ることができるでしょう。
アメリカは、本来もっていた理想から遠く離れたところへきてしまった……ということです。
前に忌野清志郎の話で書きましたが、「家に帰る」という表現は、本来あるべき姿に戻る、というような意味合いをもつと思われます。
その Long Walk Home について、スプリングスティーンはこう語ります。
俺が今やろうとしているのは、理想のアメリカとアメリカの現実の距離を測ること――そのために俺の音楽がある。
我々はいま、自分たちの防御に夢中になるあまり、大切なものを破壊することすら辞さなくなっている。アメリカはいま、そういう状況に直面しているんです。
「それはどういうことです?」と促す記者に、スプリングスティーンはこう続けます。
理想のアメリカって何だろう。
それは決して、拷問や盗聴や有権者の抑圧ではありません。人権無視や、弁護士の立ち合いなしに尋問されることではないはず。それはまさに、非アメリカ的です。
このような姿勢に対して「愛国者ではない」と批判する人がいるだろう、という記者からの問いに、スプリングスティーンはこう答えます。
それは最近よく耳にする言い回しだ。とても古典的な手段。気に入らない人間を批判するおなじみのやり方です。
俺にしてみれば、無関心でいるほうがよっぽど残酷で愛国心が欠如している。
いとおしくて仕方のない、自分の信じている大切なものが壊されていくさまを、ただ遠巻きに眺めているなんてね。
声をあげることで、希望や可能性が見えてくるんです。
そしてインタビューの最後を、次のようにしめくくります。
はるか昔、歌い手の役割というのは周囲に危険を知らせることでした。
あたりが暗くなったら、歌い始める。
今はまさに暗い時代です。
アメリカがアメリカらしくあることは悪いことじゃない。それを失わないように、声を大にして歌えばいい。ただ、歌えば。
いかがでしょうか。
私としては、よくぞ言ってくれた、という気持ちです。
古き良きアメリカなんてものが本当にあったのか、アメリカの謳う自由や平等という理念が実現されたことが本当に過去にあるのか……という疑問はあるにせよ、ブルース・スプリングスティーンが「家に帰る道は長くなりそうだ」と歌うとき、それは、いまのアメリカが理想からまったく遠いところに位置してしまっているということを意味しているに違いないのです。その状態を是認したり、黙認したりすることは、ちっとも愛国的な態度ではないのです。
さて……
記事中に忌野清志郎の名前が出てきたので、ここで邦ロック界の“ボス”である清志郎の歌もついでに紹介しましょう。
ずばり、「愛と平和」という曲です。
夜は 暗い暗い夜は
そっと耳をすます
すました顔 すました顔で
あの子が待ってる
待ってるのは 待ってるのは
愛と平和のラブソング
暗くなったら、危険を知らせるために歌い始める……そんな意識を、清志郎も共有していたんじゃないでしょうか。
そこに聞こえてくるのは、愛と平和のラブソングであるはずです。
それはもう、洋の東西、陸の南北を問わず。
“ボス”の言葉に、私はそんなことを考えました。
その記事を書くにあたって、せっかくだからちょっと気の利いたことでも書こうと思って、今から10年ほど前にブルース・スプリングスティーンを取り上げたニュースの録画を見返してみました。
すると、私はびっくりさせられました。いまの日本に言いたいことを、ブルース・スプリングスティーンが言ってくれていたのです。
それがあまりにも今の状況にぴったりだったので、これはもう独立した別の記事にしようということで、以前の記事には書きませんでした。
今回は、そんな蔵出しの“ボス”の言葉を書いておこうと思います。
このインタビューが行われた時期、ブルース・スプリングスティーンは『マジック』というニューアルバムをリリースしていました。
そこに収録されている曲には議論を呼びそうな内容もあるが、という記者の問いに、スプリングスティーンはこう答えます。
アメリカ人であるとはどういうことか、アメリカに住むとはどういうことか、我々のすんでいる国はどんなところで、子どもたちには何を残せるのか、そんなことを真剣に考えているんです。こういうのをおごりというのかもしれないけれど、真剣に作った曲は、世の中を変えられる。誰かの日常を変えられる。そう信じているんです。
件のアルバム『マジック』には、Long Walk Home という曲が収録されています。
直訳すると「家への長い道」ということになりますが、ここに、以前紹介したジャクソン・ブラウンやイーグルスと同じ問題意識を読み取ることができるでしょう。
アメリカは、本来もっていた理想から遠く離れたところへきてしまった……ということです。
前に忌野清志郎の話で書きましたが、「家に帰る」という表現は、本来あるべき姿に戻る、というような意味合いをもつと思われます。
その Long Walk Home について、スプリングスティーンはこう語ります。
俺が今やろうとしているのは、理想のアメリカとアメリカの現実の距離を測ること――そのために俺の音楽がある。
我々はいま、自分たちの防御に夢中になるあまり、大切なものを破壊することすら辞さなくなっている。アメリカはいま、そういう状況に直面しているんです。
「それはどういうことです?」と促す記者に、スプリングスティーンはこう続けます。
理想のアメリカって何だろう。
それは決して、拷問や盗聴や有権者の抑圧ではありません。人権無視や、弁護士の立ち合いなしに尋問されることではないはず。それはまさに、非アメリカ的です。
このような姿勢に対して「愛国者ではない」と批判する人がいるだろう、という記者からの問いに、スプリングスティーンはこう答えます。
それは最近よく耳にする言い回しだ。とても古典的な手段。気に入らない人間を批判するおなじみのやり方です。
俺にしてみれば、無関心でいるほうがよっぽど残酷で愛国心が欠如している。
いとおしくて仕方のない、自分の信じている大切なものが壊されていくさまを、ただ遠巻きに眺めているなんてね。
声をあげることで、希望や可能性が見えてくるんです。
そしてインタビューの最後を、次のようにしめくくります。
はるか昔、歌い手の役割というのは周囲に危険を知らせることでした。
あたりが暗くなったら、歌い始める。
今はまさに暗い時代です。
アメリカがアメリカらしくあることは悪いことじゃない。それを失わないように、声を大にして歌えばいい。ただ、歌えば。
いかがでしょうか。
私としては、よくぞ言ってくれた、という気持ちです。
古き良きアメリカなんてものが本当にあったのか、アメリカの謳う自由や平等という理念が実現されたことが本当に過去にあるのか……という疑問はあるにせよ、ブルース・スプリングスティーンが「家に帰る道は長くなりそうだ」と歌うとき、それは、いまのアメリカが理想からまったく遠いところに位置してしまっているということを意味しているに違いないのです。その状態を是認したり、黙認したりすることは、ちっとも愛国的な態度ではないのです。
さて……
記事中に忌野清志郎の名前が出てきたので、ここで邦ロック界の“ボス”である清志郎の歌もついでに紹介しましょう。
ずばり、「愛と平和」という曲です。
夜は 暗い暗い夜は
そっと耳をすます
すました顔 すました顔で
あの子が待ってる
待ってるのは 待ってるのは
愛と平和のラブソング
暗くなったら、危険を知らせるために歌い始める……そんな意識を、清志郎も共有していたんじゃないでしょうか。
そこに聞こえてくるのは、愛と平和のラブソングであるはずです。
それはもう、洋の東西、陸の南北を問わず。
“ボス”の言葉に、私はそんなことを考えました。