応募原稿の使いまわしはありなのか?
最近、これが投稿の世界で話題になっているようです。
これは、永遠の問いだと思います。
最近ツイッターでそれが話題になっていて、原稿の使いまわしは不利だからやめたほうがいいということがいわれていました。
ところが、その矢先に『このミス』大賞で、他賞の一次落ち作品が大賞を射止めたのです(かなり改稿はされているようですが)。
結局のところ、使いまわしはいいのか? 駄目なのか?
そういう話になってきます。
投稿者としては気になるところです。
私も投稿者としてこの問題を考え、某大型掲示板でこの問題について語られているのを読んだりもしてきましたが、いくら論じても、結局答えは出てこないんですね。
実際に下読みをやっている書評家の方が、使いまわしは不利だといっている。それは一つの現実です。
しかしその一方で、ある賞で一次落ちの作品が他賞で受賞ということも現実に起きています。
『このミス』の選考委員である大森望さんなんかは、知られていないだけでそういう例は結構あるともおっしゃっています。
つまるところ、この議論は「基本的によくないけど、絶対にだめとはいえない。うまくいくときもあるし、いかないときもある」というような結論に行きつかざるをえません。
でもこれ、「使いまわしはいいのか悪いのか」という問いに対する答えにはまったくなっていません。
「いいのかダメなのか」と聞いているのに「いいときもあるしダメなときもある」では、誰も納得しないでしょう。
だからこの問題は、ときどき思い出したように蒸し返される永遠の問いであり続けているんだと思います。
ですが、何度論じても答えはいつも一緒、ケースバイケースとしかいいようがありません。
せっかくなので、そのケーススタディの一つとして、私の場合どうだったかを書いておきたいと思います。
私は、当初は使いまわしはしないという立場でした。
不利になるようなことはしないのが賢明ですし、書こうと思う題材には困らなかったからです。
ですが、投稿生活を続けているうちに、修正・再応募も選択肢の一つと考えるようになりました。
二重投稿は、ほとんどの賞で禁止されており、発覚したら即失格ですが、使いまわしは、規定で明確に禁じていないかぎり禁止事項ではない(明確に禁止している賞はかなり少数です)わけですから、少なくとも発覚した時点でアウトという扱いにはなりません。
投稿生活を長く続けていると、焦りのようなものも出てきて、とにかくいろんなところに応募していたほうがいいんじゃないかと考えるようにもなってくるものです。そういうわけで、あまり大きな声ではいえないことですが、使いまわし応募も何度かやりました。
ただ、私の場合「使いまわしは一次落ち作品にかぎる」ことにしていました。
この議論ではよくいわれることですが、一次選考では基本的に一人の選考委員にしか読まれていないため、その人の趣味に左右されてしまうという側面は否定できません。10人中9が面白いと思う作品なのに、たまたまごく少数派である10人中1人の人にあたったために落とされるということがありえます。ですから、一次落ちの作品は、別の賞に応募すればまた違った結果が出る可能性はあるといえます。そういう考えもあって、一次落ち作品にかぎって、いくつか修正・再応募をしていました。
では、その結果はどうだったのか。
はっきりいって、芳しいものではありませんでした。
一次落ちした作品を手直しして応募したら、一次ぐらいは通過した。ああ、その程度に改善の効果はあったのかな……という話でした。自分の推敲能力、修正能力が向上したのだろうということがちょっと自信にはつながりましたが、ほんとにただそれだけのことです。
また一方で、再応募してやっぱり一次落ちという例もありました。結局のところ、使いまわしで最終候補までいけたことはありません。
以上の私の経験からいわせてもらえば、使いまわしはあまりよろしくないということになります。一次落ちした作品を手直ししても、受賞にはいたらない。だったら、その労力を新しい作品を書くことに注いだほうがいい……まあ、あくまでもある一投稿者のケースとしてですが。
一般論としていえることがあるとしたら、賛否のわかれる色物的な作品は、一次落ちしたものを再応募してもいいのかもしれません。
今回の『このミス』大賞の受賞作なんかがそうだと思いますが、賛否の分かれる作品ほど、「一次選考は下読みの趣味に左右される」ということの弊害を受けやすいと思われるからです。
まあしかし、やはり最終的にはケースバイケースです。
いいときもあるし、ダメなときもあるんです。
答えにはなっていませんが……
最近、これが投稿の世界で話題になっているようです。
これは、永遠の問いだと思います。
最近ツイッターでそれが話題になっていて、原稿の使いまわしは不利だからやめたほうがいいということがいわれていました。
ところが、その矢先に『このミス』大賞で、他賞の一次落ち作品が大賞を射止めたのです(かなり改稿はされているようですが)。
結局のところ、使いまわしはいいのか? 駄目なのか?
そういう話になってきます。
投稿者としては気になるところです。
私も投稿者としてこの問題を考え、某大型掲示板でこの問題について語られているのを読んだりもしてきましたが、いくら論じても、結局答えは出てこないんですね。
実際に下読みをやっている書評家の方が、使いまわしは不利だといっている。それは一つの現実です。
しかしその一方で、ある賞で一次落ちの作品が他賞で受賞ということも現実に起きています。
『このミス』の選考委員である大森望さんなんかは、知られていないだけでそういう例は結構あるともおっしゃっています。
つまるところ、この議論は「基本的によくないけど、絶対にだめとはいえない。うまくいくときもあるし、いかないときもある」というような結論に行きつかざるをえません。
でもこれ、「使いまわしはいいのか悪いのか」という問いに対する答えにはまったくなっていません。
「いいのかダメなのか」と聞いているのに「いいときもあるしダメなときもある」では、誰も納得しないでしょう。
だからこの問題は、ときどき思い出したように蒸し返される永遠の問いであり続けているんだと思います。
ですが、何度論じても答えはいつも一緒、ケースバイケースとしかいいようがありません。
せっかくなので、そのケーススタディの一つとして、私の場合どうだったかを書いておきたいと思います。
私は、当初は使いまわしはしないという立場でした。
不利になるようなことはしないのが賢明ですし、書こうと思う題材には困らなかったからです。
ですが、投稿生活を続けているうちに、修正・再応募も選択肢の一つと考えるようになりました。
二重投稿は、ほとんどの賞で禁止されており、発覚したら即失格ですが、使いまわしは、規定で明確に禁じていないかぎり禁止事項ではない(明確に禁止している賞はかなり少数です)わけですから、少なくとも発覚した時点でアウトという扱いにはなりません。
投稿生活を長く続けていると、焦りのようなものも出てきて、とにかくいろんなところに応募していたほうがいいんじゃないかと考えるようにもなってくるものです。そういうわけで、あまり大きな声ではいえないことですが、使いまわし応募も何度かやりました。
ただ、私の場合「使いまわしは一次落ち作品にかぎる」ことにしていました。
この議論ではよくいわれることですが、一次選考では基本的に一人の選考委員にしか読まれていないため、その人の趣味に左右されてしまうという側面は否定できません。10人中9が面白いと思う作品なのに、たまたまごく少数派である10人中1人の人にあたったために落とされるということがありえます。ですから、一次落ちの作品は、別の賞に応募すればまた違った結果が出る可能性はあるといえます。そういう考えもあって、一次落ち作品にかぎって、いくつか修正・再応募をしていました。
では、その結果はどうだったのか。
はっきりいって、芳しいものではありませんでした。
一次落ちした作品を手直しして応募したら、一次ぐらいは通過した。ああ、その程度に改善の効果はあったのかな……という話でした。自分の推敲能力、修正能力が向上したのだろうということがちょっと自信にはつながりましたが、ほんとにただそれだけのことです。
また一方で、再応募してやっぱり一次落ちという例もありました。結局のところ、使いまわしで最終候補までいけたことはありません。
以上の私の経験からいわせてもらえば、使いまわしはあまりよろしくないということになります。一次落ちした作品を手直ししても、受賞にはいたらない。だったら、その労力を新しい作品を書くことに注いだほうがいい……まあ、あくまでもある一投稿者のケースとしてですが。
一般論としていえることがあるとしたら、賛否のわかれる色物的な作品は、一次落ちしたものを再応募してもいいのかもしれません。
今回の『このミス』大賞の受賞作なんかがそうだと思いますが、賛否の分かれる作品ほど、「一次選考は下読みの趣味に左右される」ということの弊害を受けやすいと思われるからです。
まあしかし、やはり最終的にはケースバイケースです。
いいときもあるし、ダメなときもあるんです。
答えにはなっていませんが……