先日、立憲民主党代表選が行われましたが……そこで“サンクチュアリ”というワードが注目されていました。
立民内の最大グループがそう呼ばれているんだそうです。
バードウォッチングを趣味にしている人が多く、鳥類を保護するバードサンクチュアリという言葉からきているということでしたが……
しかし、サンクチュアリといえば、私はどうしても『聖闘士星矢』を思い出さずにいられません。
というわけで、今回は車田正美先生の漫画『聖闘士星矢』について書こうと思います。
また、聖闘士星矢というのは別の意味でもタイムリーです。
というのも、今年はアニメ『聖闘士星矢』35周年にあたるのです。
思えば今年は、○○が30周年みたいな話をいくつかしてきました。
アニメ関係でいうと、たとえば『絶対無敵ライジンオー』が30周年だというような話も。
まあ、これまで無数のアニメが放映されてきているので、毎年何かしらそういうアニバーサリーを迎える作品はあるんでしょうが……しかし聖闘士星矢となれば、これは放っておくわけにもいきません。
アニバーサリーの特設サイトもつくられ、そこで記念動画が公開されています。
アニメのダイジェストで、12月5日現在では三つの動画が。今後もおそらく追加されていくのでしょう。
ひとまず、その「ジェミニ編」の動画をリンクしておきます。
TVアニメ『聖闘士星矢』35周年ダイジェスト映像「ジェミニ編」
知らない方のために一応書いておくと、『聖闘士星矢』は、かつてジャンプに連載されていた漫画。
聖闘士(セイント)と呼ばれる戦士たちが、聖衣(クロス)をまとい、必殺技を繰り出しながら戦うという王道バトル漫画です。
下は、最近新たに加筆して刊行したという Final Edition 版の書影。この表紙の人物が、主人公であるペガサスの青銅聖闘士、星矢です。
この作品に登場するサンクチュアリは、“十二宮編”の舞台。
「聖域」と書いて「サンクチュアリ」と読む……聖闘士たちの総本山というべき場所です。
この世に邪悪がはびこるときに女神アテナが現れ、サンクチュアリを統べる教皇とその配下の聖闘士たちが悪と戦うことになってるんですが……この物語においては、その教皇自身が邪悪な存在となってしまっています。
これはいささかネタバレになりますが……しかし、そのへんのところは先に紹介した特設サイトの動画でもほぼ明かされているので、まあ許容範囲内でしょう。
諸悪の根源は、ジェミニの黄金聖闘士サガ。
この男は、女神アテナに対する反逆を企て、殺害しようとします。35周年ダイジェスト映像から、そのサガをピックアップした動画を載せておきましょう。
TVアニメ『聖闘士星矢』35周年ダイジェスト映像「サガ編」
それを救い出したのが、サジタリアスの聖闘士アイオロス。
そのあたりのことが描かれている記念動画「アイオロス編」。
TVアニメ「聖闘士星矢」35周年記念ダイジェスト映像「アイオロス編」
しかし、あろうことかサガはアイオロスに逆賊の汚名を着せ、みずからが教皇になりすましてサンクチュアリを支配しているのです。
サガは、サガなりに自分の行為を正当化しています。
力のある者が天下をおさめてなにが悪い!?
と、サガはいいます。
天界にはゼウスが
海界にはポセイドンが
冥界にはハーデスが
つねに虎視眈々とこの大地を狙ってきたのだ!
彼らに匹敵する力を持つものが地上を治めねば
あとかたもなく世界は彼らに侵略されてしまうのだ!!
その論理のもとに、サガはサンクチュアリを力で支配し、自分に従わない聖闘士は実力行使で排除していくのです。
(※せりふは漫画版からの引用。以下、特にことわりがないかぎりは同様)
一部の黄金聖闘士は、教皇の正体が反逆者であることを知りながら、あえて従っています。
彼らは、“力こそが正義”という論理で動いています。
たとえば、キャンサーのデスマスク。
彼は、正義を信じていません。
正義と悪の定義など
時の流れによって
まるでかわってしまうものなのだ!
それは過去の幾多の歴史が証明している
ナチスの正義しかり
日本軍の侵攻しかり……
そこからデスマスクは、「教皇のおこないも今は悪とみえても未来においては正義とされる」と結論づけるのです。
そして、ピスケスのアフロディテ。
力こそが正義なのだ
と、アフロディテはいいます。
教皇こそその偉大な力を持ったお方だから
この聖域(サンクチュアリ)を手中におさめるのにふさわしいのだ
この作品では、正義とはなにか、悪とはなにかという大きな問いが問われてもいるのです。
その問いに対して、どのような答えが与えられているのか……
たとえば、デスマスクに対しては、ライブラの黄金聖闘士である老師が「真の正義はどんなに時がながれようと不変のものじゃ!」といいます。
また、アニメ版ではこのくだりに次ようなせりふが付け足されています。
それこそ お前のいう過去の歴史が何よりの証ではないか
かつてどんなに最強の軍隊を誇る帝国でさえ
いつかは滅び歴史の中に消え去っていった
それが所詮 正義なき力の宿命というものだ
悪は所詮 悪にすぎん
この言葉は、「不正な権力が長く留まれるためしはない」というセネカの言葉を思い出させます。
なるほど、たしかにデスマスクが挙げた二つの例もそうであり(ただし、アニメ版では「ナチス」「日本軍」という固有名詞は出していない)説得力があるでしょう。
そして、老師の言葉を裏書きするように、デスマスクはみずからの装備である黄金聖衣に見放され、老師の愛弟子である紫龍に敗北するのです。
カプリコーンのシュラはどうか。
シュラは、デスマスクと同様、紫龍とバトル。その戦いの中で、シュラは考えを改めます。
オレは人間はすべて自分のために戦うのだと思っていた……
自己の利益のためにだけ命をかけるのだと思っていた…
だ…だから
たとえ教皇が悪であれ
力をもってつらぬけば正当化されるのではないかと思っていた……
力のあるものが…
勝ったものが正義を名のる資格があるのだと思っていた
しかし、アテナのために戦う紫龍の姿に、その考えはゆらいでいきます。
こうしてシュラは、紫龍をむしろ助けるのです。
『聖闘士星矢』十二宮編では、象とアリほど力の差があるという黄金聖闘士になぜ青銅聖闘士が勝てるのかというツッコミがあるわけですが……意外と、こんなふうに青銅聖闘士たちの決意に心を打たれた黄金聖闘士が敢えて通過させてやったという例が多いのです。
ただ、そのなかにあって実力で青銅聖闘士が黄金聖闘士に勝った例の一つが、アンドロメダ瞬VSピスケスのアフロディテ戦。
下の書影の人物が、瞬です。
一方のアフロディテは、こんな人。
これは、以前ガチャをひいたら出てきたフィギュアです。
デフォルメされたものではありますが、美少年であることは伝わってくるでしょう。戦闘では、薔薇の花をつかって攻撃してきたりします。つまりは、逆宝塚的な美少年対決です。
その戦いのなか、アフロディテの「力こそ正義」論に対して、瞬はこういいます。
ならば弱い人間はどうなる
力を持たない子供や老人は
常に力のある者の意に従えというのか…
力のある者は常になにをしても
正統化できるというのか
結果としてはもちろん瞬が勝つわけなんですが、瞬自身もこの戦いで致命傷を負います。
そして、薄れゆく意識の中で、兄であるフェニックス一輝と過ごした幼い日のことを回想……このシーンが、泣かせます。
なにか理屈があるわけではありませんが、これも、アフロディテたちの展開する「力こそ正義」論に対するひとつの答えでしょう。
さて、聖闘士星矢のアニメ35周年ということでしたが……この作品は、いまにいたるまでそのスピンオフ作品がいくつも作られてきました。
やはりそれは、単にバトル漫画としての面白さというだけでなく、普遍的な問いを発しているからではないでしょうか。その意味で、『聖闘士星矢』は今の時代にこそまさに輝きを放っているのです。目を閉じれば、問いかける声が聴こえてくるでしょう。君のコスモは燃えているか――と。