今回は、かなりひさびさにアニメ記事です。
一昨日の記事で紹介したように、『あしたのジョー』について書こうと思います。
とりあえず、動画を。
やはりTMSの公式チャンネルから、今回は『あしたのジョー2』のほうです。
【公式】あしたのジョー2 第1話「そして、帰ってきた…」"Tomorrow’s Joe 2" EP01(1980)
漫画のほうは、原作・高森朝雄、作画・ちばてつや。
一応注釈をつけておくと、原作者である高森朝雄というのは梶原一騎の別名義。
『あしたのジョー』は、伝説的な劇画原作者である梶原一騎にとっての代表作でもあります。
前にも書いたと思いますが、子供のころの我が家には名作漫画がたくさんあって、『あしたのジョー』も全巻そろっていました。スポーツ漫画といえば、『ドカベン』と『あしたのジョー』が私にとって今でも二大マスターピースです。
そんなこともあって、前回はなんの注釈もつけずに力石徹の名を出してしまいましたが……ここでも一応説明しておくと、力石は、主人公である矢吹丈のライバルです。鑑別所時代からの腐れ縁で、互いにプロボクサーになってからリング上で文字どおりの死闘を演じ、その戦いの直後に力石は死亡。そこで、寺山修司による葬儀ということになりました。
その力石徹をはじめ、『あしたのジョー』には個性的なボクサーが幾人も登場し、ジョーと勝負を繰り広げます。
ウルフ金串、カーロス・リベラ、ハリマオ、ホセ・メンドーサ……
それらの名勝負の中でも、私にとって『あしたのジョー』でベストファイトといったら、やはり金竜飛戦でしょうか。
力石の死後、なかなかそのショックから脱しきれずにいたジョーが、立ち直るきっかけとなった戦いです。友情に殉じた力石に捧げる勝利――しびれました。
その金竜飛戦もそうですが、矢吹丈といえば、何度倒れても戦い続ける姿が印象的です。
いつか、サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」という歌を紹介しましたが、やはり、ボクシングというものには、そういうイメージがあるわけでしょう。
何度うちのめされても、また立ち上がって戦い続ける――それは、ボクシングというところを超えて、人の生き様にも擬せられます。
たとえば、アフガンの緑化活動に貢献していた中村哲さんが亡くなった時に、U2のボノが「ボクサー」の歌詞を引用して彼を追悼したことは、以前このブログで紹介しました。
ただ……そこにある種の危うさが潜んでいることも意識しておかなければならないでしょう。
よど号をハイジャックした連合赤軍は「我々は‟あしたのジョー”である」という言葉を残しました。
ただの捨て台詞といってしまえばそれまでですが……日本の近現代史なんかをちょっとかじっていると、そのあたりを割り切ってしまえない感もあります。『あしたのジョー』にみられる、ある種の精神主義や‟敗北の美学”には、方向性を誤ると危険な部分もあるんじゃないか――そんな見方も私は持つようになりました。
しかしそれは、あくまでも「方向性を誤ると」という話です。
基本的には、やはりサイモン&ガーファンクルが歌う「ボクサー」のように、戦い続ける意志は尊いものであり、問題はそれをどこにむけるかということなんでしょう。
何度打ちのめされようとも立ち上がる。あしたのために。
そして、ともに戦ったライバルのために、決してリングを去りはしない……そんな姿が多くの人の心をひきつけ、だからこそ、寺山修司も『あしたのジョー』に思い入れがあったんじゃないでしょうか。
この作品は私達世代にとって
正に聖書です〜わっはははは〜🤣
UP頂き感謝です〜😆
世代的には離れるかもしれませんが、『あしたのジョー』は私にとってもバイブルでした。
暑苦しい“男の世界”的な価値観は、いまだとジェンダーの観点からも批判されるかもしれませんが……やっぱり、こういう暑苦しさが世の中のどこかに必要なんじゃないかと思う今日この頃です。