先日、ゴールデンウィークということで北九州の小倉に行ってきました。
県内なので、旅行というほどのものでもありませんが……三日ほどかけて、あちこち見てきたので、今回はその画像を紹介しようと思います。
まずは、小倉のシンボルともいえる小倉城。
細川氏が小倉を拠点にしていた頃に築いた城です。
ただ、幕末の第二次長州征伐における戦闘で壊滅的なダメージを受けてしまいました(天守はそれよりも前に焼失)。この天守は、昭和になって復元されたもの。
夜は、このようにライトアップされています。
小倉といえば……当地ゆかりの作家として松本清張がいます。
西小倉駅の付近に清張通りという通りがあり、そこに松本清張記念館が建っています。ここも訪問してみました。
ここの展示であらためて清張の事績を眺めてみると、その幅広さに驚かされます。私としてはミステリー作家という部分に目がいきがちなんですが、ミステリーではない作品も多くあり、その一環として時代小説を書くだけでなく、本格的に歴史研究にとりくみ、しかもそれが古代から近現代史にまでわたるという……
そして、その清張もリスペクトしていた森鷗外。
小倉にゆかりがある、もう一人の巨人です。清張が芥川賞を受賞した『ある「小倉日記」伝』の小倉日記というのが鷗外の作品。ほかにも、清張は鷗外作品を作中に引用したり、鷗外の評伝を書いたりもしていて……深い関心を寄せていたようなのです。
鷗外は左遷されて小倉に住んでいた時期があり、小倉駅近辺には関連施設などが点在しています。
最近私のなかでは森鴎外の株が結構上がっていたということもあり、そのいくつかを見てきました。
小倉駅前には、その旧居を示す碑が。
市内には、“鷗外通り”もあります。そして、鷗外橋なる橋も。
下は、その画像です。
橋のたもとには、鷗外の文学碑がありました。
鷗外の旧居を再現したものも。
当時の様子をほぼそのまま復元しているということです。
邸内には、ミニチュアも展示されています。
そして、安国寺。
小倉時代を描いた短編「二人の友」で、ここの住職との交流が描かれていました。
禅宗の寺院ですが、鷗外は住職から唯識を学んでいたといいます。仏教にもさまざまな思想がある中から唯識を学んでいたというのが、いかにも鷗外らしいんじゃないでしょうか。
さて……
以上書いてきたいずれも意義深いものではありましたが……実は、私が今回北九州に行ったのは、これらのためではありません。
本来の目的は、別にありました。
それについては、また別の記事として書こうと思います。
というわけで、今回はこのあたりで。