今回は音楽記事です。
以前タイガースの記事で予告したとおり、今回のテーマは沢田研二さん。GSの時代から現代まで、古稀をすぎてなお活動し続ける生けるレジェンドについて書きましょう。
沢田研二。
愛称は、ジュリー。これは、本人がジュリー・アンドリュースのファンだったためで、ソロデビューアルバムのタイトルも、JULIEでした。
のっけからいきなり余談めいた話になりますが……ジュリーさんは、先日紹介した『ストーンズジェネレーション』にも登場しています。
そこに掲載されているインタビューによれば、彼は英国でミック・ジャガーにも会ったことがあるそうです。
マリアンヌ・フェイスフルを同伴するミックにTo Julie と書き添えられたサインをもらい、なにか欲しいものがあるかと尋ねたら日本刀を所望されたたとか。まあ、結局日本刀は送らなかったそうですが……
ジュリーさんといえば、最近の話題としてライブのドタキャン騒動なんかがありましたが……長い芸能生活の中では、トラブルもいくつかあって、たとえば複数回にわたって暴行事件を起こしたことがあります。
テンプターズのショーケンさんも、暴行事件を起こしたことがありますが、ある種そういう危険なところが魅力でもあったということでしょう。
1970年代半ば、短期間に二度にわたって暴行事件を起こしたときには、ジュリーさんは、一か月間の謹慎をみずから申し出ます。
その謹慎明けに、復帰後第三弾シングルとして出てきたのが、代表作の一つ「勝手にしやがれ」でした。
暴行事件での謹慎明けにこのタイトルは、なかなか挑戦的です。
作詞の阿久悠さんが発案ですが、ある種確信犯的な挑発だったのかもしれません。
結果、この「勝手にしやがれ」が、大ヒットとなったわけです。
このタイトルはヌーベルバーグを代表するゴダール監督の映画『勝手にしやがれ』に由来しますが、セックス・ピストルズの アルバムNever Mind the Bollocks の邦題にも同じ「勝手にしやがれ」があてられています。個人的には、このピストルズの感覚が「勝手にしやがれ」というフレーズに一番しっくりくるように思えます。ある種の自暴自棄というか……この感覚は、ジュリーさんの新たな境地を開拓したものともなり、その後グラムロック的な方向にむかう転機の一つともなっているようです。
ここで、その「勝手にしやがれ」をSHOW-YA というバンドがカバーしている動画をリンクさせておきましょう。
SHOW-YA - 勝手にしやがれ
だいぶヘビーな感じになっていますが、それがきっちりはまる曲になっています。GS時代とはだいぶイメージが変っているわけです。
しかし、あくまでもそれは、沢田研二というアーティストの一側面にすぎません。
その長いキャリアのなかで、ジュリーさんはさまざまな顔を見せてきました。
GSの時代があり、“ニューロック”を志向したPYGの時代があり、グラムロックふうのソロ時代があり……
そして、近年は政治的な発言でも知られます。
彼は明確に護憲主義者であり、その姿勢は音楽活動にも表れているのです。
その文脈でよくとりあげられるのが、たとえば「わが窮状」という曲です。
「窮状」というのは、「9条」をかけたものであり、アルバムの9曲目に収録されているというのも、同趣旨。
かつてのアイドル時代には、事務所の関係などがあって、そういう政治的な発言をしようとしてもできなかった。そういうしがらみを脱した今は、こういうことも歌える――といったようなことをご本人はおっしゃっています。
作詞はジュリー自身。作曲は、「勝手にしやがれ」と同じ大野克夫さん。大野さんはスパイダースの元メンバーであり、PYGで活動をともにしたこともあります。すなわち、GS時代はライバル、そしてその後は同志――その大野さんが、2010年代まで活動をともにしてきたということにも胸が熱くなります。
以下、歌詞の一部を引用しましょう。
諦めは取り返せない 過ちを招くだけ
この窮状 救いたいよ 声に 集め 歌おう
我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない
この窮状救えるのは 静かに通る言葉
我が窮状 守り切りたい 許し合い 信じよう
なかなかにストレートな歌詞です。
「窮状」=「9条」ということを頭にいれて読めば、なおさらでしょう。
方向性にだいぶ違いはあるにせよ、晩年の忌野清志郎がメッセージ色の強い曲を多く発表していたことと通じるものがあるかもしれません。逆に、それぐらいのレベルの存在にまでならなければ、いいたいこともいえない状況が日本の音楽業界周辺にはあるということかもしれませんが……その芸能界を半世紀以上にわたって生き抜き、いいたいことをいえるようになったジュリーさんは、それだけのレジェンドということなのです。