今回は、音楽批評シリーズです。
前々回、前回とイーグルス以外のアーティストを取り上げてきましたが、ここでまたイーグルスに戻ります。
拙著『ホテル・カリフォルニアの殺人』第五章の章題となっている「いつわりの瞳」です。
この曲については、以前「呪われた夜」の記事で一度言及しました。
アルバム『呪われた夜』で、イーグルスは音楽的に新しい方向へ踏み出したが、本来のスピリッツを失ってはいなかった……それを示す例として、この「いつわりの瞳」を挙げました。
いちど聴けばすぐにわかるように、きわめてカントリー色の強い曲です。
途中からは、マンドリンが使われていたりもします。
ルーツ系の楽器といったら、ギターとフィドルを別にすれば、まずバンジョーとマンドリン。
マンドリンは、この曲に色濃くカントリーフレーバーを与えています。
また、エレキギターも、ペダルスティールギターを思わせるような弾き方をところどころでしています。チョーキングだけでやっているようですが、このギターもカントリーっぽいです。
「呪われた夜」でそれまでとは違う一面をみせたイーグルスですが、ルーツスピリッツも捨てていないことをこの曲で示しているのです。
それは、歌詞についてもいえます。
この歌は一般に、金持ちの老人と結婚した若い女が夫の目をしのんで浮気をする……といった内容と解されているようです。
そういう歌詞がカントリーっぽいですが、もう少し深読みすると、このブログでたびたび書いてきたイーグルスの思想とつながる部分もあるかもしれません。
この状況は、いってみれば金銭と愛をはかりにかけているわけで、お金のほうを選んで豊かな生活をしていることを“いつわり”と表現しているともとれるんじゃないでしょうか。
そんなふうに考えると、この歌は、イーグルスの歴史においてとても重要な一曲なのかもしれません。