ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

スパイダース「フリフリ」

2021-02-06 20:25:49 | 音楽批評



今回は、音楽記事です。

このカテゴリーでは、二回にわたってムッシュかまやつについて書きました。
かまやつひろしのキャリアにおいて重要なバンドは、かのスパイダース……ということで、今回はスパイダースについて書こうと思います。

スパイダースは、いわゆるグループサウンズを代表するバンドの一つ。
かの堺正章さんが所属していたことでも知られます。

スパイダーズというバンド名は、かまやつひろしの父親ティーブ釜萢がつけたもの。

クモが巣を張るように、世界中にその音楽を広げていく――という意味が込められているそうです。

実際、彼らは海外アーティストの来日公演で前座をつとめたりすることによって、海外でもその名を広く知られていたようです。それは、以前ムッシュかまやつの記事でも書いたとおり。
そしておそらく、そうした活動の先に彼らの目指すところは、ビートルズのような立ち位置だったのではないかと想像されます。

当時スパイダースはビートルズの曲をほとんどカバーしていたということですが、このあたりからも、彼らが日本版ビートルズを目指そうという意気込みがあったのではないかと思われます。GSバンドとしては珍しく、自作曲をやっていたというのもその表れでしょう。

デビュー曲「フリフリ」は、かまやつひろしの作曲。
自作曲でデビューするというのも、やはりビートルズと共通しています。これは、当時としてはきわめて異例のことでした。

この曲を聴くと、どちらかといえばモンキーズなんかに近いような印象も私は受けますが、いずれにせよ、いかにもロックンロールという曲になっています。

しかし……この「フリフリ」、セールス的にあまりうまくいかなかったようです。


その後彼らがブレイクしたのは「夕陽が泣いている」という曲によってですが、これは自作曲ではありません。
この曲は、かの浜口庫之助の手になるものです。

浜口庫之助――このブログでは、前に一度名前が出てきました。

それは、守屋浩「僕は泣いちっち」の作者としてです。

ロカビリー歌手としてキャリアを出発させた守屋が歌謡曲に“転向”し、歌謡曲としてヒットしたメジャーデビュー曲……

あれと基本的に同じことが、ここで起きているのだと私には思われます。
奇しくも、ともに“3ひろし”の一人である守屋浩とかまやつひろしにおいて……

「フリフリ」のあふれだすような勢いは、「夕陽が泣いている」にはありません。
やはり、ロックンロールではなく、浜口庫之助の歌謡曲によって、スパイダースはブレイクしたのです。(一応ことわっておきますが、別にそれが悪いといってるわけではありません)


「奇しくも」と先にいいましたが、これは偶然ではないのかもしれません。

つまりは、その本源的な部分においてロックというものが日本では受け容れられない。ゆえに、スパイダースもビートルズ的な方向では成功できず、結局は歌謡曲でヒットしたという……そしてこのことが、スパイダースのメンバーたちにとって不満であったようです。

それがヒットした以上、レコード会社としてはそういう方向性を強化しようとしてきます。
結果、その方針は、バンドが本当にやりたい音楽と乖離していく……そのことでメンバーのモチベーションは低下し、それが解散につながった原因の一つといわれています。

以前書いた、日本音楽業界における歌謡曲の圧力……それが、スパイダースを解散に追い込んだらしいのです。


ここにおいて、私がこのブログでたびたび書いてきた問題意識とつながってきます。

実際のところ、本家ビートルズも、1960年代の日本ではさほど人気があったわけではないといいます。
来日で日本にもビートルズ旋風……みたいな話は、後になって話に尾ヒレがつき伝説化したもので、実態はもっと醒めたものだったらしいのです。

ここには、音楽にとどまらないもっと大きな論点がひそんでいるのではないか――そのあたりのことについて、また次の機会に書こうと思います。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。