ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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文書改ざん問題を振り返る

2019-03-17 22:47:10 | 過去記事
過去記事です。

ちょっと前にも書きましたが、去年の今頃は、森友問題に関する文書改ざんが問題になってたんですよね……

それが何事もなかったかのように忘れ去られ、いままた統計不正が問題になっている……この国は、もう本当に土台のところがシロアリに食い荒らされたみたいになってるんじゃないでしょうか……


国が壊れる……文書改ざんという異常事態

森友問題に関する文書の改ざんが問題になっています。しかし……どうも今一つ、扱いが微温的にすぎるように私には見えます。これまでこのブログで何度か書いてきましたが、なにか問題が......


ピエール瀧さん逮捕

2019-03-15 16:13:55 | 時事
ピエール瀧さんの逮捕が巷を騒がせています。

薬物使用での逮捕……
コカインを使用した容疑で、それについては本人も認めているということです。
今回は、この件について思うところを書こうと思います。

今更いうまでもなく、ドラッグとロックの関りは、根の深いものがあります。
ドラッグに手を出していたロッカーというのは、名を挙げていけばもうきりがありません。ドラッグのことを直接的、間接的に歌った歌なんかもありますが、その手のエピソードもまた、枚挙にいとまがありません。
一つだけ例を挙げると――たとえば、ある意味でこのブログの発端でもあるイーグルス。イーグルスの「駆け足の人生」という歌は、ドラッグの売人と一緒に車に乗ってるときに、その売人が口にした言葉からタイトルがとられているんだそうです。

イーグルスの時代からもうちょっとさかのぼった60年代の“サマー・オブ・ラブ”は、ヒッピー文化とのつながりで「ドラッグやってもいいじゃない」みたいな側面も持っていて、そのリバイバル的運動である80年代のセカンド・サマー・オブ・ラブも、それを引き継いでいました。当時のレイブシーンは、ドラッグと切っても切れない関係にあったのです。
電気グルーヴは、音楽的にそういうところともつながっています。石野卓球さんは、セカンド・サマー・オブ・ラブを代表するバンド、ストーンローゼズがずいぶん好きなんだそうです。
まあ、そういう意味でいうと、今回のニュースは別に驚きではないんですね。

ドラッグそのもののことは問題でしょうが、自分としては、それに対する世の中のリアクションのほうが気になります。
NHKの大河ドラマでは、土曜日に再放送する分の、瀧さんが出ているシーンをカットするそうです。
また、今後の放送分についても再編集で瀧さんの出ている場面がカットされる可能性が高いとのこと。さらに、BSでやっている「あまちゃん」の再放送など、瀧さんが出ているほかの番組についても放送を見合わせるといいます。

この数日ツイッターなんかでも話題になってますが……今回の件で彼が出演しているドラマや映画なんかが封印されるのはどうなんでしょうか。
私個人としては、そこまでする必要はないだろうと思います。
作品と、そこに関与している人の行状とは、あくまでも別でしょう。ツイッターでは、「薬物事件で被害者はいないのだから」というような擁護論もあるようですが、そういう問題でもないんじゃないかと思います。
最近このブログで何度か名前が出てきたフィル・スペクターは、殺人を犯して服役中ですが、フィル・スペクターが殺人を犯したからといって彼が関与した作品すべて封印するとしたら、ロック史にかなり大規模な焚書を引き起こすことになるでしょう。とりわけ有名なものを挙げれば、ビートルズの『レット・イット・ビー』なんかも引っかかってしまうのです。ポール・マッカートニーは喜ぶかもしれませんが……

ちょっと違う話になりますが、もう10年ほど前に島田紳助さんが引退した時のことを思い出します。

引退のきっかけとなった暴力団との関係が問題視され、紳助さんが出ているバラエティ番組なんかの扱いをどうするかという話になりました。
なかには、イベントとの兼ね合いで完全差し替えが難しく、編集で紳助さんが映っているところだけをカットして公開したものもあったといいます。
それはさすがにちょっと行き過ぎなんじゃないか……と、私は正直思いました。
もっといえば、そこに、ある種の無気味さすらおぼえました。いったん“悪人”認定したら、その存在すらはじめからなかったことにしてしまうという、この国の“正義”に。

それからもう一つ今回の件で思うのは、そこを糾弾するんだったら、ほかにもっと糾弾するべきものがいろいろあるんじゃないかというところですね。
一度倒れたものはよってたかって蹴りつける一方で、権勢をふるっているものにはたてつかない……そんなところにこの国の“正義”の薄っぺらさを感じてしまうのは、私だけでしょうか。
ちょっとなにかあるとテレビ報道がそれ一色に染まってしまう状況は、本来取り上げるべきものを取り上げない、取り上げられないことの裏返しなのか……そんなことも考えてしまいます。

カーペンターズ「遥かなる影」 Carpenters, (They Long to Be)Close to You

2019-03-13 22:25:52 | 音楽批評
今回は、音楽評論記事です。

今日紹介するのは……カーペンターズの「遥かなる影」です。

日頃あつかっている曲からすると、ちょっと意外に思えるかもしれません。
しかしこの曲は、私がこのブログで取り上げる曲を選ぶ際の条件を、いろいろと兼ね備えているのです。

一つは、私がやっているバンド、Paperback Writwer(s)でカバーしていること。
女性ボーカル曲なわけですが、カレン・カーペンターという人は、女声としては低めの音域を使うことも多く、この曲は男声でちょうどいいぐらいの音域になってるんです。まあ、それでも男声ではちょっと高く、難しい曲なんですが……

2点目は、私が書いている小説とのかかわり。
このブログで、私が“インディーズ”時代に出したWANNABE'S という同人誌(?)のことを何度か紹介しましたが、そこに収録した短編の一つに、「遥かなる影」というのがありました。

3点目は、最近何度か記事を書いたビーチボーイズからの流れです。
カーペンターズは、ビーチボーイズとは同時代のグループで、カーペンターズは、ビーチボーイズの「リトル・ホンダ」をライブでカバーしていたりもします。

当時のLAには、“レッキングクルー”と呼ばれるスタジオミュージシャンたちがいて、ビーチボーイズとカーペンターズはこの人たちを通じてつながってもいます。
ビーチボーイズの『ペットサウンズ』の楽曲は、レッキングクルーが多く参加していることで知られていますが、レッキングクルーの面々はカーペンターズのレコーディングにも起用されているのです。故・中山康樹さんは、ジャズのセッションにも参加するレッキングクルーたちによってロックの世界にジャズのフィーリングがもたらされた……と分析していました。そういう意味では、ロック史において非常に重要な意味をもつ存在ともいえます。
そのレッキングクルーの代表格が、先日亡くなったドラマーのハル・ブレインですね。
ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」で、あの印象的なドラムイントロを叩いている人です。フィル・スペクター、ブライアン・ウィルソン……そういうところと、つながってきます。ハル・ブレインは、以前の記事で書いた「素敵じゃないか」と今回の「遥かなる影」でもドラムを叩いているということなので、そこはもうダイレクトにリンクしているのです。

音楽的なところを離れて考えても、ビーチボーイズとカーペンターズは立ち位置が似ているように思えます。

“第一世代”のアーティストでありながら、その内側に暗いものを抱えているというところなんか、そう感じられます。

カーペンターズの歌というのは、歌詞を読むと結構暗い感じのことを歌ってるものがあります。
たとえば、「雨の日と月曜日はいつも私を落ち込ませる」と歌う Rainy Days And Mondays や、「私が生きようが死のうが誰も気にしない」と歌うGoodbye to Love なんかです。
I Need to Be in Love なんかもそうですね。あの歌には「青春の光と影」という邦題がついていますが、歌詞を読むと、どっちかといえば影の部分が濃いように感じられます。

しかしやはり、ビーチボーイズと同様に、そういう暗い面はあまり顧みられてないように思えます。

原因の一つは、ビーチボーイズの記事でも少し触れた「歌詞を自分で書いていない」というところがあるでしょう。
あの時代にはむしろそれが普通だったわけですが、歌詞を自分で書いていないために、いくら深いことをいっていても「それ、自分の言葉じゃないんでしょ」というふうに受け取られてしまうのではないか……
しかし実際には、彼らが歌っていたのは、自分のあずかり知らぬところで他人が用意した詞ではありません。
自分で書いてこそいませんが、共同で作業するプロの作詞家がいて、自分の考えを彼らに伝えて歌詞にしてもらう……ブライアン・ウィルソンも、カレン・カーペンターも、そんなふうにして詞を作っていたようです。つまり、歌っている内容は、自分の想いであるわけなんです。
内省的、あるいは内向的な部分というのは、カレン・カーペンターも多分に持っていて、彼女が拒食症で世を去ったのも、その一つのあらわれでしょう。それは、ブライアン・ウィルソンが鬱の傾向を持ち、ときにかなり病んだ精神状態になっていたということと重なって見えます。

しかし……
やはりカーペンターズは“第一世代”のミュージシャンです。
その世界の基調にあるのは、「ミスター・ポストマン」であり、「トップ・オブ・ザ・ワールド」であり、あるいは、「シング」なのです。
「遥かなる影」も、その系譜に位置する曲でしょう。
作曲したのは、かのバート・バカラック。いかにもバカラックらしい、美しいバラードになっています。
ナインスコードのきらきらした感じと、そこからⅢのメジャーコードの切ない感じ。最後には、メジャーセブンスのやさしい感じ……と展開していきます。中盤で半音上がる転調もうまくきまっています。これがあるために、バンドでやるのが大変になるんですが……

歌詞に関しては、内省的みたいなことは特にありません。
みんなの憧れの的になっているイケメンに対する慕情を歌うもので、それ以上でもそれ以下でもない歌詞です。


  鳥たちはどうして飛び立つの
  あなたがそばにいるときはいつも
  私と同じ みんなあなたのそばにいたいのよ

  星はどうして空から降ってくるの
  あなたが歩きすぎるときはいつも
  私と同じ みんなあなたのそばにいたいのよ

  あなたが生まれたその日
  天使たちはあつまって 夢をかなえようときめた
  そうして あなたの金色の髪に月のかけらを
  その青い目に星の光をちりばめたの

  だから
  街じゅうの女の子たちがみんな
  あなたを追いかけまわすの
  私と同じ みんなあなたのそばにいたいのよ


こんな感じです。
英語の歌詞では、ところどころ脚韻も踏まれていて、曲調にもマッチした、うまい歌詞だといえるでしょう。いかにも、プロが作った、という感じがします。そういうところは、後の世代のロックではむしろ忌避されるところだと思いますが……この時代にはそれでよかったんです。
まだロックが草創期だった時代。ジャンル分けも不明瞭で、カーペンターズも一くくりに「ロック」の枠に入れられていた時代――「遥かなる影」は、そんな時代に産み落とされた奇跡のような一曲なのだと思います。

ビーチボーイズとレディオヘッド

2019-03-10 23:21:02 | 音楽批評
今回は、音楽批評記事です。

このカテゴリーでは、以前ビーチボーイズについての記事を書き、そこからさらに、ビートルズとの関係について書きました。
そのなかで、レディオヘッドの名前が何度か出てきたので、さらに延長で、ビーチボーイズとレディオヘッドということで書いてみましょう。

ビーチボーイズとレディオヘッド――

まったく関係がないように思えるかもしれません。
時代も違うし、国も違う。
実際、直接の関係は、ほとんどないでしょう。ビーチボーイズとビートルズの記事で、Vegetables という曲を紹介しましたが、レディオヘッドにも Vegetableという曲があって……まあ、しかしこれは、ただの偶然かもしれません。

が、直接の関係がどうあれ、レディオヘッドのトム・ヨークは、ブライアン・ウィルソン的な人であると思われます。
同じように追求型の孤独なアーティストであり、同じように、現実への違和感を抱えているのです。
ブライアン・ウィルソンの『ペットサウンズ』における実験――フィル・スペクター的な音像や、ちょっと聞いただけでは何なのかよくわからない楽器を使ったりするのも“もう一つの世界”の表現であり、それは後期ビートルズがやろうとしていたことであり、また、後期レディオヘッドの音楽傾向もそういうベクトルでしょう。

その“現実への違和感”が、歌詞において仮定法という形で表現されているということは、ビーチボーイズの記事でも書きました。
しかし、「素敵じゃないか」の歌詞では、いまひとつそれが伝わらないのではないかとも思えるので、『ペットサウンズ』に収録されている別の歌を紹介しましょう。
I Just Wasn't Made for These Times という曲です。
直訳すると、僕はいまの時代にあわせて作られてはいない……自分は、いまの時代には合っていない、というようなことで、まさに現実への違和感を表明したものといえます。ちなみに邦題は「駄目な僕」となっています。相当な意訳ながら、深いところをついた名邦題かもしれません。

もう一つ、You Still Believe in Me という曲の冒頭部分には、こんな歌詞があります。

  I know perfectly well
I'm not where I should be

  よくわかってるんだ
  自分がいるべきじゃない場所にいるってことは


この歌詞なんかは、レディオヘッドがCREEP で「ここは俺のいるべき場所じゃない」と歌っているのと重なって聞こえてきます。そんなふうに考えると、先ほどの“名邦題”も、「駄目な僕」=CREEPというふうにリンクしてきます。creep という単語には、「いやなやつ」というような意味があるのです。若干、方向性は変わってきますが……

いっぽう、レディオヘッドのほうですが、レディオヘッドの曲でも、仮定法が使われているフレーズを紹介しましょう。

もっともわかりやすいのは、『ベンズ』というアルバムのタイトルチューンです。

  And I wish it was the sixties, I wish I could be happy
I wish, I wish, I wish that something would happen

「60年代だったらよかったのに、 しあわあせになれるのに」という歌詞です。そのあとには、I wish という句が繰り返されて、何かが起こってくれたらいいのに――といってます。ここまでくると、その仮定法的な自分の願望をどこか客観視して嘲笑しているようでもあります。いってもしょうがない、ばかげたことだと承知のうえでいっているような……
そう考えると、60年代だったら、という言い方も、ある種の皮肉なのかもしれません。たぶん実際に60年代だったとしても、この人幸せにはなれないだろうなあ……という。実際のところ、ブライアン・ウィルソンは、60年代に「この時代に僕はむいてないんだろうな」と歌ってるわけなんです。

こういう感覚が、第二世代ロックロールなんです。
トム・ヨークは村上春樹さんの作品を愛読しているそうですが、そういうところからもつながってきます。春樹さんが『ペットサウンズ』に強いインスピレーションを受けたというのは、以前も書いたとおり。彼らは、同じ波長を共有するアーティストたちなのです。そして、それが、同じ波長を共有するリスナーや読者に受け入れられるということで……そういうふうにして、ロックは新たな地平を切り開いていったのだと思われます。
まあ、その前衛は、むかしビートルズ、いまレディオヘッドということになって、ビーチボーズは、この点に関するかぎりやはり影が薄くなってしまうんですが……

清志郎の名言を振り返る

2019-03-08 23:07:54 | 過去記事
過去記事です。

清志郎の名言。

まもなく没後10年を迎えますが、ますます彼の言葉は重みを増していくように思えます。
こんな時代に清志郎がいてくれらという思いも……

地震のあとには戦争がやってくる by忌野清志郎

ここしばらく、このブログは忌野清志郎ヘビーローテーションということでやってきました。その締めくくりに今回は、楽曲ではなく、清志郎の名言を紹介しようと思います。地震のあとには......