今回は、音楽批評記事です。
このカテゴリーでは、以前ビーチボーイズについての記事を書き、そこからさらに、ビートルズとの関係について書きました。
そのなかで、レディオヘッドの名前が何度か出てきたので、さらに延長で、ビーチボーイズとレディオヘッドということで書いてみましょう。
ビーチボーイズとレディオヘッド――
まったく関係がないように思えるかもしれません。
時代も違うし、国も違う。
実際、直接の関係は、ほとんどないでしょう。ビーチボーイズとビートルズの記事で、Vegetables という曲を紹介しましたが、レディオヘッドにも Vegetableという曲があって……まあ、しかしこれは、ただの偶然かもしれません。
が、直接の関係がどうあれ、レディオヘッドのトム・ヨークは、ブライアン・ウィルソン的な人であると思われます。
同じように追求型の孤独なアーティストであり、同じように、現実への違和感を抱えているのです。
ブライアン・ウィルソンの『ペットサウンズ』における実験――フィル・スペクター的な音像や、ちょっと聞いただけでは何なのかよくわからない楽器を使ったりするのも“もう一つの世界”の表現であり、それは後期ビートルズがやろうとしていたことであり、また、後期レディオヘッドの音楽傾向もそういうベクトルでしょう。
その“現実への違和感”が、歌詞において仮定法という形で表現されているということは、ビーチボーイズの記事でも書きました。
しかし、「素敵じゃないか」の歌詞では、いまひとつそれが伝わらないのではないかとも思えるので、『ペットサウンズ』に収録されている別の歌を紹介しましょう。
I Just Wasn't Made for These Times という曲です。
直訳すると、僕はいまの時代にあわせて作られてはいない……自分は、いまの時代には合っていない、というようなことで、まさに現実への違和感を表明したものといえます。ちなみに邦題は「駄目な僕」となっています。相当な意訳ながら、深いところをついた名邦題かもしれません。
もう一つ、You Still Believe in Me という曲の冒頭部分には、こんな歌詞があります。
I know perfectly well
I'm not where I should be
よくわかってるんだ
自分がいるべきじゃない場所にいるってことは
この歌詞なんかは、レディオヘッドがCREEP で「ここは俺のいるべき場所じゃない」と歌っているのと重なって聞こえてきます。そんなふうに考えると、先ほどの“名邦題”も、「駄目な僕」=CREEPというふうにリンクしてきます。creep という単語には、「いやなやつ」というような意味があるのです。若干、方向性は変わってきますが……
いっぽう、レディオヘッドのほうですが、レディオヘッドの曲でも、仮定法が使われているフレーズを紹介しましょう。
もっともわかりやすいのは、『ベンズ』というアルバムのタイトルチューンです。
And I wish it was the sixties, I wish I could be happy
I wish, I wish, I wish that something would happen
「60年代だったらよかったのに、 しあわあせになれるのに」という歌詞です。そのあとには、I wish という句が繰り返されて、何かが起こってくれたらいいのに――といってます。ここまでくると、その仮定法的な自分の願望をどこか客観視して嘲笑しているようでもあります。いってもしょうがない、ばかげたことだと承知のうえでいっているような……
そう考えると、60年代だったら、という言い方も、ある種の皮肉なのかもしれません。たぶん実際に60年代だったとしても、この人幸せにはなれないだろうなあ……という。実際のところ、ブライアン・ウィルソンは、60年代に「この時代に僕はむいてないんだろうな」と歌ってるわけなんです。
こういう感覚が、第二世代ロックロールなんです。
トム・ヨークは村上春樹さんの作品を愛読しているそうですが、そういうところからもつながってきます。春樹さんが『ペットサウンズ』に強いインスピレーションを受けたというのは、以前も書いたとおり。彼らは、同じ波長を共有するアーティストたちなのです。そして、それが、同じ波長を共有するリスナーや読者に受け入れられるということで……そういうふうにして、ロックは新たな地平を切り開いていったのだと思われます。
まあ、その前衛は、むかしビートルズ、いまレディオヘッドということになって、ビーチボーズは、この点に関するかぎりやはり影が薄くなってしまうんですが……