今回は、音楽記事です。
今日は9月18日ですが、これは何の日かというと……
ジミ・ヘンドリクスの命日なのです。
ということで、この天才的ギタリストについて書こうと思います。
ジミ・ヘンドリクス。
いうまでもなく、レジェンドギタリストです。それほど音楽に詳しくなくとも、誰しも名前ぐらいは聞いたことがあるんじゃないでしょうか。
アメリカ先住民の血を引く天才ギタリスト。中古屋で買った一本しか弦の張られていないギターで練習して身につけた表現力。ギターに火をつけ、あるいは歯を使って弾くという、アクロバティックなパフォーマンス……彼について語られる伝説は、枚挙にいとまがありません。
表舞台で活動していた期間はたったの四、五年にすぎませんが、そのわずかな間で伝説を作り上げました。
なかでも有名なのは、ウッドストックにおけるアメリカ国歌の演奏でしょう。
あの演奏は、ベトナム戦争に対する抗議の意を示したものと一般に解されています。
そういうところも、ジミヘンはロックしてました。彼はまさに、伝説であり、ロック界における不滅のアイコンなのです。
以前このブログでも書いたとおり、アニマルズのチャス・チャンドラーが彼を見出しました。
厳密にいえば、キース・リチャーズのガールフレンドですが……彼女から「すごいギタリストがいる」と紹介を受けたチャスは、ジミの圧倒的なパフォーマンスに打ちのめされ、彼をバックアップしていくのです。
それまでバックミュージシャンとして活動していたジミヘンは、こうして表舞台へ。
イギリスでは、ミッチ・ミッチェル、ノエル・レディングとともに、ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスというバンドを結成。
エリック・クラプトンなどとの共演も果たします。かのクラプトンも、ジミヘンのギターの腕にはすっかり脱帽したといい、また、クラプトンと並んで“三大ギタリスト”の一人に数えられるジェフ・ベックも、ジミヘンのギターを聴いて廃業を考えたとか。三大ギタリストのもう一人であるジミー・ペイジも、クリーントーンに革命を起こしたギタリストしてジミヘンを高く評価しています。
ジミヘン本人は、自分のような黒人ギタリストがイギリスでうまくやっていけるんだろうかと不安を持っていたそうですが、それはむしろ逆でした。
イギリスにこそ、飛翔のチャンスはあったのです。
たしかに、黒人音楽に対して寛容であったアメリカ南部に比べて、イギリスのほうがブルースやロックンロールに対して冷淡でした。ジミー・ペイジのいうところでは、50年代ぐらいのイギリスにおいて、ロックンロールというのは口にするのもはばかられる言葉だったといいます。しかし――逆説的ではありますが――だからこそ、ロックンロールはとがった進化を遂げていました。大人たちが忌み嫌うからこそ、ロックンロールはキッズたちの心をとらえたのです。
この点についても、以前書きましたが、英米の違いがあったものと思えます。「どうしてこんな才能が埋もれているんだ」とチャスは思ったそうですが、つまりはアメリカがその才能を見出さなかったということなんでしょう。結局ジミヘンは、ブリティッシュ・インベイジョンの波に乗るようにして、イギリスから逆輸入されるかたちでアメリカに“進出”するのです。
この奇妙なねじれのために、現役で活動していた頃のジミヘンには「黒人が白人に媚びて音楽をやっている」という黒人側からの批判の目が常に向けられていました。そのことが、ワイルドなステーパフォーマンスとは裏腹に繊細なジミの内面をひどく傷つけていたようです。
しかしながら、アメリカでの活動は商業的に大成功し、ジミヘンはスターとなります。
そのクライマックスが、ウッドストックでした。
そのウッドストックで映像を、公式チャンネルから貼り付けておきましょう。曲は、Foxy Ladyです。
Jimi Hendrix - Live at Woodstock: An Inside Look
この動画には入っていませんが、トリをつとめたこのステージで、あのアメリカ国歌の演奏が。
はじめにも書いたとおり、爆弾の音のようなノイズで覆った演奏は、ベトナム戦争批判といわれています。
ただし、ジミヘン自身は軍隊経験も持つ反共主義者でした。
軍隊生活において彼は落下傘部隊に所属しており、パラシュート降下時に聞こえる風切り音から得たインスピレーションは、独特のギターサウンドに活かされているともいいます。
ただ、軍に入ったのは、車を盗んで逮捕され、2年間服役するか軍に入るかどっちか選べといわれて後者を選んだため。入隊のきっかけがそれであってみれば、軍での活動が決してまじめなものではなかったことは推して知るべしというところでしょう。任務の最中に居眠りしたり、特別任務についているはずの時間帯に自慰行為にふけっているところをとりおさえられたりしたために軍を追い出されたんだそうです。
それはともかく――
ウッドストックは大成功に終わりましたが、このピークは、またジミヘンにとって凋落のはじまりでもありました。
バンドメンバーとの確執もあり、薬物の影響もあって、パフォーマンスは精彩を欠くように。1970年に入ると、数曲やっただけでライブを中断してしまうということもありました。
9月2日のオランダのステージでは、たった2曲やっただけでステージを放棄。
そして、そのおよそ半月後の9月18日――ロンドンのサマルカンドホテルで、ジミはこの世を去りました。
薬物とアルコールのために、嘔吐物を喉に詰まらせて――というのが直接の死因ですが、これには他殺説もあります。
ジム・モリスンやカート・コバーンなど、若くして不慮の死を遂げたレジェンドロッカーにありがちなことではありますが……
ジミヘンの場合は、マイク・ジェフリーというマネージャーがその死に関与していたといいます。
この人はもともとアニマルズのマネージャーでしたが、チャス・チャンドラーとのつながりで、ジミヘンのマネージメントも手がけていました。当初はチャスと共同マネージャーのようなかたちだったようですが、あるときからマネージメントの独占権を手に入れ、それからジミヘンを支配するようになっていたといいます。CIAやイギリスのMI5、さらにマフィアともつながりを持っていたというこの人物は、ジミヘンにとって恐怖の対象となっていたようです。
ジミヘンとの関係が悪化すると、自作自演の誘拐事件を起こしたこともあり、また、ジミに多額の保険金をかけてもいました。つまりは、保険金殺人だというわけです。ミュージシャンとしての価値がもうないのなら、殺害して保険金を受け取ろうということでしょうか……ひどい話ですが、このへんを掘り下げていけば、ジミ・ヘンドリクス殺人事件みたいは話が書けるかもしれません。いや、あるいはすでにあるのか……?
ここで、タイトルに掲げたCatfish Blues について書いておきましょう。
Catfish Blues は、ブルースの名曲です。
ジミヘンのバージョンは、まさにそのままズバリBues というタイトルのアルバムに収録されてます。
このアルバムは、ジミヘンの音楽的故郷がブルースであることをはっきりと教えてくれる好盤といっていいでしょう。収録曲は、必ずしもジミヘンのオリジナルだけではなく、ブルースのスタンダートを含んでおり、Catfish Blues もその一つです。
catfish とは、ナマズのこと。
ナマズはミシシッピデルタあたりの郷土料理で、おそらくはそのことと関係があります。
深い海を泳ぐナマズになりたい……と歌う歌です。
ナマズは海にいないだろうという野暮なツッコミは入れないことにしましょう。
ブルースの歌詞は、スラング的な用法でダブルミーニングを持つ言葉を使ったりすることが多々あるといわれるので、ナマズにもひょっとしたら隠れた意味があるのではないかと思ってるんですが……少なくともいまのところ、私は見つけることができていません。やはり、郷土料理だからというほどのことなんでしょうか。
歌っているのは、釣りのターゲットとして狙われるナマズのように、女の子たちに追いかけられる存在……というようなことです。ブルースでよく出てくる“間男”というモチーフも登場します。
ところで……
この歌はまた、マディ・ウォーターズの Rollin' Stone のもとになった曲でもあります。
ということで、次回はマディ・ウォーターズのことを書こうと思います。
珍しく、予告での終了でした。
今回は、音楽記事です。
このカテゴリーでは、前々回からストーン・ローゼズ、プライマル・スクリームときましたが……その流れに沿って、The Smith について書きましょう。
ストーンローゼズと並んで80年代UKロックの双璧をなすといわれるバンドが、スミスです。
この二つのバンドは同じマンチェスターの出身であり、人脈的にもつながるところがあります。
ローゼズ初期にドラムを叩いていたサイモン・ウォルステンクロフトという人がいるんですが、この人はスミスの前身となるバンドでもドラムを叩いていました。
また、ローゼズのベースで一時プライマル・スクリームに参加していたマニは、スミスのベーシストであるアンディ・ルークらとともに、Free Bass というベーシスト三人組のユニットをやっていたそうです(もう一人は、ニューオーダーのピーター・フック)。
前回の記事では、ストーン・ローゼズのライバル的存在としてプライマル・スクリームを紹介しましたが、ローゼズのライバルという点では、プライマルよりもスミスのほうがよく知られているでしょう。細かくいえば活動時期にずれがありますが、しばしばこの二者は80年代UKロック二大バンドのように扱われます。ものの本によると、往時のマンチェスターでは街じゅうの人々がローゼズ派とスミス派にわかれていたのだとか。
私個人の感想としては、スミスはローゼズに比べてインテレクチュアルな要素が強いように思われます。
英詞を読んでみると、難しい単語が多く使われ、歴史や文学を題材にした部分も。その知性的な感じのゆえに、いくらかとっつきにくいところがあるかもしれません。
たとえば、Cemetery Gates という曲では次のように歌っています。
キーツとイェーツは君の側
ワイルドは僕の側
ここに出てくる名前は、イギリスの文学者です。
ジョン・キーツと、W.B.イエーツ、そして、オスカー・ワイルド。
ロマン派のキーツではなく、耽美的なワイルド……この感覚は、ボーカルであるモリッシーのパーソナリティをよく表しているように思えます。
そのモリッシーさんですが、最近地味に話題になってます。
まず、モリッシーを描いた映画が日本で公開されました。
まあ、これは残念ながら福岡では上映がないので私は観ることができずにいるんですが……
また、モリッシーがイギリスの右翼政党への支持を表明していて、その件で本国イギリスでは物議をかもしているというニュースもありました。
そっちにいってしまったか……という話です。
もう一回り昔のパンク世代でいうとストラングラーズみたいな、唯美主義というか、そういう方向性でいくとこうなってしまうのか……とも思います。
このニュースや、先述の映画に関する情報を見聞きしていると、私はサイモン&ガーファンクルの I Am a Rock という歌を想起しました。
僕は壁をたてた そして強固な砦を
誰も打ち破れないように
友情なんて必要ない だって傷つくだけだから
愛や笑顔は 僕が忌み嫌っているものさ
愛を語ったりしないでくれ その話ならもう聞いたよ
それは僕の記憶の中で眠りについている
死に絶えた感情の眠りを妨げるつもりはない
愛さなければ 泣くことだってなかったんだ
僕には本がある 守ってくれる詩がある
部屋のなかに隠れ 子宮のなかのように守られて
僕は誰にも触れず 誰も僕に触れることはない
僕は岩 僕は島
岩は痛みを感じない
島は泣いたりしない
こういう、もうヒッキーヒッキーシェイクな感じの歌です。
聞くところによるとポール・サイモンはあるとき「あの歌は失敗作だった」といってもう I Am a Rock を歌わなくなったんだそうですが……モリッシーという人は、こういう感じのままでここまできてしまったんじゃないかと思えます。
自分という固い殻のなかに閉じこもり、そこから世界を斜めにみているというか……
まあ、アーティスティックな姿勢というのは、そういうものかもしれませんが。
その感覚は、代表曲の一つである The Boy with the Thorn in His Sideによく表れているでしょう。
The Smiths - The Boy With The Thorn In His Side (Official Music Video)
心の裡に棘をもつ少年
憎しみの奥には
愛への激しい欲求が横たわっている
この“内なる棘”をどこかで昇華しないと、極右政党を支持するみたいなことになってしまうんじゃないでしょうか。
「激しい欲求」と訳した部分は、原詞では murderous desire となっています。
直訳すると、殺人的な欲求……なるほど、オスカー・ワイルドっぽいです。おそらくモリッシーという人は、その殺人的な欲求が満たされることのない人生を送ってきたのではないか――そしてそれは、社会的に大きな成功をおさめながら、差別的、極右的な言動を繰り返したりする資産家の人たちも同じなのかもしれません。