ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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Eric Clapton, When This War Is Over

2019-12-22 21:44:23 | 音楽批評


今回は、音楽記事です。

このカテゴリーでは、前回ジョージ・ハリスンについて書き、そこで彼の盟友エリック・クラプトンの名前が出てきました。そこで今回は、エリック・クラプトンについて書きましょう。

思えば最近、ジェフ・ベックについて書き、クリームについて書き、クラプトンのほうに話が行きそうでなかなか行かないという感じでしたが……いよいよクラプトンです。

何度か書いてきたとおり、いわゆる三大ギタリストの一人です。
まあ、三大ギタリストという言い方はたぶんに伝説化されたものであって、熟練のギタリストは他にもいっぱいいるだろうということもよくいわれますが……

エリック・クラプトンは、そのキャリアの中で、ヤードバーズやクリームの他にも、さまざまなバンド、ユニットで活動してきました。長続きしないのは、やはりジェフ・ベックと同様協調性の問題でしょうか……

しかし、そうしたさまざまな活動を通してロック人脈の広さは業界随一。そこで、ビートルズのジョージ・ハリスンともつながってきます。ビートルズは、あれだけビッグである割にほかのミュージシャンとの共同作業はあまりしていないんですが、クラプトンはその数少ない共同作業者の一人なのです。ジョージの没後、その追悼コンサートにクラプトンが出ていたのは以前書いた通りですが、その後クラプトンは、ジョージの「愛はすべての人に」をカバーしたりもしています。

また、UKロック仲間としてフーとのからみもあり、フーのロックオペラ『TOMMY』に、いんちき新興宗教の教祖という役で登場しています。そういう意味で、わがトミーゆかりのアーティストでもあるのです。

若いころは結構やんちゃもしていて、移民排斥発言で物議をかもしたことも……
やんちゃということでいえば、ドラッグの問題もありました。
そのものずばりコカインなんて歌を歌ってますが……そのあたりで、最近の田代まさしさんや沢尻エリカさんの問題ともリンクしてくるんじゃないかと。
まあ、クラプトンはもうきっぱりやめてる……んでしょう、たぶん。

さて――
その「コカイン」ですが、意外にも(といったら問題があるかもしれませんが)クラプトンのオリジナル曲ではありません。
オリジネイターは、J. J.ケイルという人。
クラプトンが強くリスペクトしているミュージシャンです。
そして、このJ.J.ケイルとコラボしてレコーディングされたアルバムが Clapton。

 

いまさら自分の名を冠したアルバムです。
ソロのファーストアルバムは Eric Clapton というタイトルだったんですが、それから40年の歳月を経てまた自分の名を冠したアルバムを出したのには、やはり原点回帰という意識があったんでしょう。
それは、JJケイルとの共作というところに表れているように、音楽的にはブルースへの回帰ということなんですが……クラプトンには大きな心境の変化もあったようです。

クラプトンは、このアルバムをリリースする5年前に、Back Homeというアルバムを出しています。
ここでジョージ・ハリスンの「愛はすべての人に」をカバーしてるわけです。ちなみに、SMAPの「友だちへ ~Say What You Will ~」は、このアルバムに収録されているSay What You Will の日本語カバーです。

 

このブログでは何度か書いてきましたが……「家に帰る」という表現は、あるべき姿に戻るといったような意味合いを持つことがあります。

ブルース・スプリングスティーンのように社会的メッセージというような意味合いではありませんが、Back Home に収録された曲を聴いていると、そういう感じが伝わってきます。
昔はずいぶん無茶もしたけど、今は家族がいる。それを大事にしようということなんでしょう。

ロッカーがそんなことじゃつまらん、というのはあくまでも外野の意見。
思えば、忌野清志郎も、子どもが生まれてからはだいぶキャラが変り、社会に目をむけた歌を多く歌いました。
クラプトンも、たとえば、Back Home と Clapton のあいだに出したアルバム The Road to Escondido で、When This War Is Over という歌を歌ってます。このアルバムもJ.J.ケイルとの共作で、この歌はケイルの手になるものだそうですが……その歌詞は、アメリカが起こしイギリスも支持したイラク戦争を批判しているようにも読めます。


   この戦争が終わったら、いい日になるさ
   この戦争が終わったら、いい日になるさ
   だけどそいつは、墓場にいった子どもたちを連れ戻してはくれないんだ

   そんな行いに意味なんてない いつも人を殺してばかり
   そんなばかげた行いに意味なんてない いつも人を殺してばかり
   町なかでそれが起きたなら 俺たちはそいつを犯罪と呼ぶんだが

   年寄りどもが俺たちをどこかに連れて行こうとしてるのはあきらかだ
   多くを知ってるわけじゃないけど そいつが俺を悩ませるのさ
  
   別の道を見つけなけりゃ こいつは進むべき道じゃない
   プランを作らなけりゃ 方向を変えるんだ そうでなけりゃ、ああ……


曲調こそ軽快ですが、この歌詞だけみれば、もう立派な“反戦歌”でしょう。
これは進むべき道じゃない。
別の道を見つけなければならない。
その先にあったのが、Back Home ――つまり家に帰る道でした。
そして、そういう方向性にむかうなら、やはり忌野清志郎と同じように、おのずと社会性が出てくるということなんでしょう。
いまなお現役で活動し続けるレジェンドが、今後どんな変化をみせるのか、刮目していきたいと思います。



noteはじめました。

2019-12-20 16:42:34 | 日記
note というものをはじめることにしました。

前からちょくちょくツイッターで見かけて気になっていたんですが……いろいろ調べて、自分もやってみようかと思いました。



このサイト、ブログとしても使えるようですが、ブログは、こっちの gooでやってるので、ひとまずはそれを継続する予定です。
noteは動画や音楽、イラストなども投稿できるということなので、いろいろ発信する場として使えるんじゃないかと考えてます。

といっても、まだ登録して最初の記事を投稿しただけですが……


大学入試、記述試験導入延期

2019-12-18 16:29:35 | 時事

 

大学入試改革において、英語民間試験に続き、記述式試験も導入が見送られることとなりました。

 

およそ50万人の答案を統一基準で公正に採点するのは不可能、まして、学生アルバイトが採点するなど論外、受験者の正確な自己採点も困難――とさまざまな問題点が指摘され、それなら自己採点の結果如何で受験先を決定するような場合には記述問題は使わないとかいう話になり、じゃあ何のための記述試験なの、という……もうグダグダで、どうやっても取り繕うことができなくなったわけでしょう。

 

前にツイッターで見たんですが、国会議員らによる官僚たちへの聴き取りで、「本当にできると思ってるのか」と野党議員が問うと、はっきりできると答える者は一人もいなかったということです。無理だということは本心ではわかってるけど、上からいわれていることなので止めることができない……現場の官僚たちは、そういう感覚だったといいます。

民間試験や記述試験の導入それ自体が自己目的化してしまい、本来の目的はそっちのけになる。いったい彼らは、誰のために働いているのか。本当に学生のことやこの国の未来のことを考えているのか……そう問わずにいられません。

 

 

ツイッターを見ているとわかりますが、記述式試験にひそむ問題点はもうずいぶん前から指摘されていました。

英語民間試験もそうですが、もっと早く止めることはできたはずなんです。

なのに、それをしなかった。できなかった。

 

その原因として指摘されるのは、入試改革を受け持つ教育再生実行会議の担当大臣を文部科学大臣が兼務していたということです。

 

遂行性が重視された結果、欠陥のある提案が十分に見直されることなく進んでいってしまったという側面があるようです。遂行性が高いというのは、逆にいえばブレーキがないということであり……それがむしろ、ぎりぎりになるまで止められないという事態につながったと考えられます。

 

 

もう一つ問題と思ったのは、この件に関して「特定の誰かの責任ではない」という荻生田文科相の発言ですね。

責任が分散され、薄められ、結果として誰も責任をとらない……という日本的無責任体質の問題です。

たしかに、今回の問題は誰か一人の責任ということではないでしょう。萩生田大臣に直接の責任があるわけではないかもしれません。

しかしこの「上にいるものほど責任をとらない」というあり方が、日本型組織の非常に悪いところだと私は思ってます。それが結局、同じ過ちを繰り返すことにつながってるんではないかと。

責任を声高に追及するのはどこか“人民裁判”のように見えてしまうかもしれませんが、こと政治に関しては、問題が生じたなら責任の所在を明らかにして、けじめはつけるべきだと思います。まして今回のケースは、教育という国の根幹にかかわる問題ですからなおさらでしょう。

 

まあ、無茶を承知で強引に突き進まず、ぎりぎりのところで中断しただけでもまだマシなんでしょうが……とにかく、この国の残念なところが凝縮されたような一件でした。

 

『ゴジラ トレーディングバトル』

2019-12-16 16:45:11 | ゲーム

 

今回は、ゲーム記事です。

 

そういえば、このブログにはゲームというカテゴリーもあったということを思い出したので……ひさびさにゲームについての記事を書こうと思いました。

 

このブログでは、ゴジラシリーズの映画についてずっと書いているので、ゲーム記事もそこにあわせていこう……ということで、紹介するのは『ゴジラ トレーディングバトル』です。

 

 

カードバトル方式の陣取りゲームですね。

 

初代プレステ仕様のゲームで、第二期までのゴジラシリーズ(第一作『ゴジラ』~『ゴジラ対デストロイア』)に登場するほぼすべての怪獣とメカ兵器が登場。のみならず、ドゴラやサンダ、ガイラといった、ゴジラシリーズには出てこない東宝特撮怪獣や、このゲームのオリジナル怪獣も参戦。プレイヤーはこれらの怪獣を操ってデュエルするのです。ストーリーモードが2つ用意されているほか、対戦モードも。対戦モードではコンピューター相手の対戦もできて、X星人やブラックホール第三惑星人などと対戦できます。

 

こういうキャラ物のゲームはだいたいゲームとしてはあまり面白くないことが多いと思いますが、この作品はゲームとしてもなかなかよくできているといっていいでしょう。

 

怪獣それぞれの特殊能力があるだけでなく、「シャーベット計画」や「Tプロジェクト」など東宝特撮映画に登場したあれこれがカードになっていて、戦略性を高めています。これらのカードを適宜発動させることで、単に力勝負ではないゲームとなるのです。

 

グラフィック的な部分でも、昭和ゴジラ風のレトロな怪獣映画の感じを出しているのが楽しめます。たとえばジェットジャガーはあのジェットジャガーのチープさを表現しているのがいいですね。

 

私は、結構このゲームをやりこんでました。

 

あるとき、CDの盤面に傷でもついたのか、特定の怪獣が出てくるとフリーズするようになってしまい、プレイできなくなり……ゲームなんかやってる時間がそうとれなくなってきたこともあり、それからやらなくなってしまいました。そして、初代プレステのゲームなので、今となってはもはやゲームディスクを新たに入手したとしてもプレイが困難な状況です……

もしPSストアでオンラインで手に入るようになったら、ひさびさにやってみようかな、とも思ってます。そうなると、プレステのセーブデータは使えないのでデッキを一から構築していくことになりますが……それもまたカードゲームの楽しみでしょう。

 

 

 

George Harrison - All Things Must Pass

2019-12-14 17:05:21 | 音楽批評


今回は音楽記事です。

このカテゴリーでは以前ポール・マッカートニーについて書きました。
そこからのビートルズつながりで、今回はジョージ・ハリスンについて書きましょう。

ジョージ・ハリスンは、いうまでもなくビートルズのギタリスト。

前にポール・マッカートニーの記事で書いたように、ビートルズ解散にいたる内紛の背景にはジョンとポールの主導権争いがあったわけですが……それよりも深刻だったのが、ポールとジョージの確執です。
それは、ビートルズが作り出す音楽にも反映されていました。

たとえば、アルバム Revolver に収録されている I Want to Tell You という曲があります。

この曲は、途中からへんてこなピアノが入ってきますが、これはポールが入れたものです。

曲自体はジョージが作ったものなんですが、それを聴いたポールが「凡庸な曲だからちょっと変化をつけよう」ということでこのピアノを入れたといわれています。

作曲者であるジョージにしてみれば、ムッとくる話でしょう。
自分の作った曲を凡庸とけなされ、曲のイメージをがらりと変えてしまうピアノを入れられてしまうわけですから。

このエピソードからうかがえるとおり、どうもポールにはジョージを見下すところがあったようで……
あるときポールからいろいろギターについての指示を受けていたジョージが「わかったよ、お前のいうとおりに弾けばいいんだろ!」とキレたというのは有名な話です。

ビートルズにおけるジョージの曲としてもっともポピュラーなのは Something だと思いますが、この曲でも、ベースがかなり忙しく動き回っています。おそらくポールとしては、「ジョージのやつがまたつまらない曲を作りやがって……しょうがないから俺のベースでなんとかしてやるか」みたいな意識があったんじゃないかと思われます。

ともかく、このポールとジョージの対立が、ビートルズの人間関係でもっとも深刻な問題だったといわれています。

ポール対ジョン。ポール対ジョージ。そしてその渦中で、おろおろするリンゴ・スター……最初にビートルズをやめると言い出したのは、リンゴでした。

しかし結局のところ、リンゴをどうこうするという問題ではもうありません。

「最初の頃に戻ろう」というゲットバックセッションの音源はお蔵入りとなり、アビー・ロードでビートルズは事実上の終焉を迎えます。最後にポールは「誰かがやめるというんじゃない。ビートルズがビートルズをやめたんだ」という言葉を残しました。

ビートルズ解散後、メンバーはそれぞれソロ活動を開始。

ジョンやポールの活動はよく知られいますが、ジョージやリンゴもソロで曲を発表し、それなりの成績を残しています。ビートルズ時代と比べれば実にささやかなものではありますが……

そのジョージがソロ活動で全米一位を獲得したのが、All Things Must Pass です。

 
このタイトルは、『老子道徳経』からとったといいます。
老荘思想の、あの老子です。その23章に次のように書かれています。

  希言自然。飄風不終朝、驟雨不終日。孰爲此者、天地。天地尚不能久、而況於人乎。

風も雨も、やまないことはない。それをなすのは天地だが、その天地もまた永遠ではない。まして、人はいうまでもない。
すべては過ぎ去っていく……というタオの思想が、アルバムタイトルとなりました。

インドにかぶれ、シタールを弾き、東洋思想に流れていったといったところでしょうか。ジョージは、『易経』なんかも読んでいたそうです。
そんなジョージの東洋かぶれを馬鹿にする歌も、ジョン・レノンは作ってたりします。

それはさておき……
アルバム All Things Must Pass には、ジョージのソロとしては有名な曲がいくつかあります。
オリビア・ニュートン―ジョンがカバーしたWhat Is My Life。ボブ・ディランとコラボした I'd Have You Anytime。その両方である If Not for You。シングルとして全米、全英一位を獲得した My Sweet Road。また、Behind That Locked Door なんていうミステリーっぽいタイトルの曲もあります。

そしてタイトル曲の All Things Must Pass。
ジョージの公式ウェブサイトから、動画を貼り付けておきましょう。

George Harrison - All Things Must Pass

この曲には、おそらくペダルギターと思われる楽器が使われています。
ソロ活動でのジョージはペダルギターやスライドギターのようなものを多用する印象がありますが、これはルーツ志向のあらわれでしょうか。ペダルギターというとハワイアンが想像されるかもしれませんが、実はブルーグラスといったアメリカ南西部のルーツミュージックでも、その手の楽器はよく使われます。ジョージの場合、ルーツミュージックという地点をさらに通り越して、近代文明へのアンチテーゼみたいな意味合いをそこに持たせているのかとも私は想像しています。

ところで、ジョージの曲も、いくつか聴いているとやはり“ジョージ節”みたいなものがはっきり感じられます。
ビートルズ時代の曲ではまだあやふやでしたが、ソロになってからはそれがジョージのスタイルとして確立しているようです。
奇妙な和音やコード進行が、どうも一般受けはあまりしなさそうな……まあ、この感じが好きな人は好きなんでしょうが、ひょっとすると、ビートルズ時代にポールのダメ出しを受けまくったことがある種の呪縛になってるんじゃないかとも、私はちょっと想像しています。


そのジョージ・ハリスンは、2001年にこの世を去りました。
ビートルズ最年少のジョージですが、癌に侵され、58歳の若さで亡くなったのです。

翌年の一周忌には、彼の死を悼んで、コンサート・フォー・ジョージというイベントが行われています。

そこには、盟友ともいうべきエリック・クラプトンや、ビートルズ時代からともに演奏してきたビリー・プレストン、それに、ビートルズの元同僚であるリンゴ・スター、『リボルバー』のジャケットを描いたベーシストのクラウス・フォアマンなどが参加。
そして、そのステージには、ポール・マッカートニーの姿もありました。

While My Guitar Gently Weeps (Taken from Concert For George)

上の動画は、While My Guitar Gently Weeps。
ビートルズ時代にジョージが作り、エリック・クラプトンもギターで参加した曲です。
ポールは、ここではピアノを弾いています。

若いころにはいろいろあった二人ですが……ジョン・レノンの場合と同様、やはり恩讐を超えた何かがポールの胸にあったんでしょう。まさに All Things Must Pass というところでしょうか。
しかし、すべてが過ぎ去っていくとしても、人は何かを遺していく。最近このブログでは追悼に関する記事を多く書いていますが、それらの記事で取り上げた人たちも皆そうでした。そして、ジョージ・ハリスンもまた、そんな一人なのです。