ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

ストーンズ幻想

2021-02-18 20:48:11 | 音楽批評

今月の14日……

2月14日は“ローリング・ストーンズの日”ということで、このブログでストーンズに関する記事を書きました。

しかし、なにしろストーンズというのは、ロック史においてあまりに巨大な存在です。

研究も相当にされているし、あれこれ論じようと思えば、いくらでも論点があるわけです。
個人的にこれは書いておこうと思いながら書き漏らしたことも多々あり……そういうことなので、今回は、ストーンズについてもう少し書いてみようと思います。

掘り下げられるべき論点は、前回の記事でも少し触れた「ストーンズは裸の王様に過ぎないのか」という問いです。

この問いに対する答えが、部分的にイエスなのは疑いようがないと思われます。

ストーンズというバンドは、あまりにも多くの装飾に飾り付けられている。それによって、実体が見えなくなってしまっている。
そのこと自体は、ストーンズファンも認めるでしょう。
スタジアムに数十万人の観客が集まったとしても、そのうちどれだけが日ごろからストーンズを聴いてその音楽に共感しているのか、という話です。

ここで問題になってくるのは、その装飾のかなりの部分がミック・ジャガー自身によって施されているというところでしょう。

前にも書いた、ミック・ジャガーの“商魂”という部分です。
ミック・ジャガーがバンドに施したさまざまな演出が、ストーンズ伝説を作り出していることは否定できないでしょう。

ここには、ミック・ジャガーという人の出自もかかわっているものと思われます。

ミック・ジャガーは、中流階級の出身です。
しかも、中の上ぐらいの、そこそこ裕福な家庭で育ったといいます。
その表れなのか、たとえばステージ上で服を脱いだりしても、その服を脱ぎ捨てずに畳むような感じで置いておくといいます。行儀がいいのです。
実際、ミック・ジャガーというのは会ってみるとジェントルマンだという評がありますが、それも育ちがいいためでしょうか。話す英語も、労働者階級の粗野な英語ではなく、きれいな英語なのだとか。

あるいは、学歴。
ミックは、高校も出たし大学も出た人です。
その出身大学というのが、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス。卒業後の進路として、国税局に進むことも真剣に考えていたのだとか。
大卒のミュージシャンは別に珍しくないでしょうが、経済系というのはなかなか異例ではないでしょうか。


さらに、もっと根本的なことをいうと、白人であるということがあります。
これはロック全体にかかわることですが……白人が黒人の音楽をやっているというねじれがロックの根源に横たわっているということは、これまでにも書いてきました。いうなら、黒人の真似事をしているというコンプレックスがあるわけです。

それは多くのロックミュージシャンにあてはまることなんですが、そういうねじれを、ミックは肌の色以外にも持っているわけです。

いいとこの坊ちゃんで、大学では経済を学んだ――という履歴は、ロックンローラーのそれとしてかなり違和感があるのではないでしょうか。

そういうことがあるために、ミックは自分自身を演出しなければならなかった。
ワルの仮面をかぶらなければならなかった。
これが、ミック・ジャガーが自らを演出していく一つの動機となっているように思われます。

逆にそこから、ストーンズでやってることはある種の演技なんじゃないかという疑惑も出てくることになるわけです。

ミック・ジャガーの二面性とかいうことがよくいわれるのも、そういうところでしょう。

ステージ上の演出なんかも、実は周到な計算にもとづいてやってるんじゃないか……そんなことがしばしばいわれます。

たとえば、ストーンズの日の記事で紹介したマディ・ウォーターズとの共演。
あの動画をみていると、一人ずつ呼ばれてステージに上がっていって、その場で即興でやっているところはすごくかっこよく見えます。これこそ、ロックというものの本来の姿だ……みたいなことを書こうともするんですが、しかしそこで、いやちょっと待てよとなります。もしかすると、これも事前にきっちり筋書きを用意したうえでの演出なんじゃないか……そういう疑念が首をもたげてくるのです。

この視点を一度もってしまうと、ストーンズにまつわるいろんなものがそんなふうに見えてくるようになります。

たとえば、初期の代表曲である「サティスファクション」はどうか。

満足なんかできやしねえというあの歌は、若者の不満を代弁するものといわれる。だが、それは本当に彼らの言葉なのか? 不満を抱える若者にアピールするようにそんな歌詞を書いただけなのではないか……?

その歌詞中にあるI Can't Get No Satisfaction というフレーズは、英文法としては間違っています。一つの節のなかに否定語を二つつけているのが、教科書的にはよろしくないのです。
これに関しては、文法的には正しくないけれど若者が不満をぶちまける汚い英語としては、リアリティがある……というふうな評が一般的だと思いますが、疑いの目でみると、これもやはり演出なのではないかということになってきます。先述したように、ミック本人は非常にきれいな英語を使う人です。それがわざと汚い英語を使ってみせるのは、ある種の“演出”であることは否定できないでしょう。

そういうことがあるので、人がローリング・ストーンズというバンドに接する際には複雑な距離感が生じます。
特に、音楽評論家などといった人種の場合にはそれが顕著で、評論家がストーンズを論じると、やたらとややこしい衒学的ともみえる論理を展開しがちです。あれこれ調べたりしたうえでストーンズについて何か言おうとすると、どうしてもそうなってしまうのです。

ミックの形成したストーンズ幻想――
それが独り歩きし、いつしかミック・ジャガーという人物、そしてローリング・ストーンズというバンドの実像をつかめないぐらいに肥大化してしまっている。人がストーンズを見るとき、幾重ものフィルターを通してその姿を見ることになり、そこにはもはや虚像しか見えない……

これはもう、本人たちにもどうしようもないことでしょう。

本当のローリング・ストーンズを、誰も知らない。本人たちでさえ……

ただまあ、ストーンズというのは結局音楽をやるバンドなので、余計な予備知識なしに、その音楽を聴いて、リスナーがどう感じるか……最終的にはそれがすべてです。

というわけで、最後は動画を。

記事中に出てきた「サティファクション」。

The Rolling Stones - (I Can't Get No) Satsfaction (Live) - OFFICIAL

そして、やはり初期の代表曲である Jumpin' Jack Flash。
これは結構若いころの動画ですね。

The Rolling Stones - Jumpin' Jack Flash (Live) - OFFICIAL

最後に、「イッツ・オンリー・ロックンロール」のPV。

The Rolling Stones - It's Only Rock 'N' Roll (But I Like It) - OFFICIAL PROMO

たかがロックンロール。だけど俺はそいつが好きなんだ――結局は、そういうことかもしれません。



バーズの名曲を振り返る+α

2021-02-16 21:02:48 | 過去記事

The Byrds, Chimes of Freedom

今回は、久々に音楽評論記事です。紹介するのは、Chimes of Freedom という曲。直訳すると、「自由の鐘」……オリジナルはボブ・ディランですが、何人かのアーテ......


過去記事です。

バーズの Chimes of Freedom について書いています。

例によって、YouTube の公式チャンネルから動画を。
動画といっても、アルバムジャケットの静止画に曲がついてるだけですが……

The Byrds - Chimes Of Freedom (Audio)

せっかくなので、ほかにもバーズの曲をいくつか。



サイケデリック的な方向性を打ち出した「霧の五次元」(Eight Miles High)です。

The Byrds - Eight Miles High (Audio)

このバンドは、なんといっても12弦ギターのきらきらした音が特徴なので、結局なにをやってもバーズになるんですが……


「また会いましょう」(We'll Meet Again)

The Byrds - We'll Meet Again (Audio)

キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情』(Dr. Strangelove)でも使われたあの歌のカバーです。
この歌を聴くと私はあの映画のほうをどうしても思い出してしまうんですが……本来は、恋人と離れて戦場に向かう兵士の心情を歌った歌だそうです。



そして、バーズといえば代表曲はこれ。
ピート・シーガーの作った曲です。

The Byrds - Turn! Turn! Turn! (To Everything There Is A Season) (Audio)

この曲の動画が、ブルース・スプリングスティーンのチャンネルにもありました。
バーズのロジャー・マッギンも共演しています。

Bruce Springsteen & The E Street Band - Turn! Turn! Turn!

歌詞は、旧約聖書の「伝道の書」第三章をもとにしています。
というよりも、ほとんどそのまま。

天の下のすべてのことには、ときがある。
生まれるとき、死ぬとき、植えるとき、植えたものを抜くとき……

……愛するとき、憎むとき、
戦争のとき、平和のとき

最後の「平和のとき」のあとに、「遅すぎるということは決してない」という一節をピート・シーガーは付け足しました。
この曲は大ヒットとなり、バーズの音楽はブルース・スプリングスティーンにも大きな影響を与えることになるのです。



ローリング・ストーンズの日

2021-02-14 20:23:23 | 日記


今日2月14日は、“ローリング・ストーンズの日”だということです。

1990年のこの日、ストーンズが初めて来日し、東京ドームでコンサートを行いました。それにちなんで、ローリング・ストーンズの日ということになっているのです。

奇しくも2月には“ビートルズの日”もあって、このブログではそれに合わせてビートルズの記事を書きました。ビートルズだけだとバランスが悪いので、今日はストーンズについての記事も書いておこうと思います。

種本として、前回テンプターズの記事でも紹介した『ストーンズ・ジェネレーション』を参考にしたいんですが……
まず問題になるのは、この『ストーンズジェネレーション』というタイトルです。

渋谷陽一さんは、ビートルズジェネレーションなど存在しないと論じていました。
日本にはビートルズを聞いて育った世代などどこにも存在しない――と。

渋谷さんのいうようにビートルズジェネレーションが存在しないのなら、ストーンズジェネレーションはなお存在しないでしょう。

この本にはミュージシャンや音楽関係者のほか、村上龍さんといった作家なども登場しますが、彼らが口をそろえるのは、ビートルズに比べてストーンズ人気はだいぶ劣っていたということです。

まあ、それが実際のところなんでしょう。

もちろん海外ではそんなことはなく、ライブをやれば何十万人という人を集めていたわけで、『ストーンズジェネレーション』にもうそういったライブのレポートが載っています。

しかし、私なんかは、どうもそこにある種のそらぞらさを感じてしまいます。
巨大なスタジアム数十万人の観客を集めてのライブというその狂騒に、どこか虚構性を感じてしまうのです。

それは、ミック・ジャガーという人についてまわる、“計算高い商売人”というイメージによるものかもしれません。その商魂によって形成されたローリング・ストーンズという虚像が、ここまで肥大化したのか……という。

そこへいくと、むしろ日本でこそストーンズは周辺的な存在だったのではないかと思えます。

ごく一部の人間が聴くものでしかなかったために、その周縁性が際立つ……そういうところが、日本ではあったんじゃないでしょうか。

もともとは、イギリスやアメリカでもそうであったはずなのです。

ロックンロールなどというのは、大人たちに忌み嫌われ、悪ガキが夜中のラジオでひっそりと聴いているものだった。
ところが、その周縁的存在であるはずのものが、いつしかそうでなくなってしまう。周縁的であるからこそ支持されていたものが、文化の中心になってしまう。それは、単にストーンズという一アーティストだけでなく、ロックやパンクが常に抱えていた矛盾でもあるわけです。ここに、長年のファンがストーンズに接するとき複雑な距離感が生じる原因があるんじゃないでしょうか。

そういう観点で『ストーンズ・ジェネレーション』を読んでいて、じつに興味深いのは、ストーンズ来日に関する部分です。

一応背景的なことを書いておくと、この本が出された1980年代半ば、ストーンズはまだ一度も来日を果たしていませんでした。
その十数年前に来日の話があって、コンサートのチケットまで発売されていたんですが、土壇場になってメンバーの逮捕歴の問題で立ち消えになった……という経緯があります。
冒頭に書いたとおり、来日公演は1990年に実現するわけですが、それまでには来日公演をめぐるさまざまな動きがあったのです。

そういう状況だったので、『ストーンズ・ジェネレーション』では、インタビューのなかでストーンズに来日してほしいと思うかということを聞いてるんですが……おもしろいことに、そう問われた人たちのほとんどが否定的な答えを返しています。

たとえば、内田裕也。

 希望からいうと、来てほしくないっていう気持ちが半分くらいあるのね。日本人っていうのは寄ってたかってすぐコケにする民族だからさ、いいもの見ると“あれはタコだ”とかさ(笑)。

あるいは、当時ファンクラブの会長をしていた池田祐司さんも、「個人的には来てほしくない」といっています。その理由は、「もう誰にも見せたくない(笑)。自分だけのものにしておきたい」から。

さらには、ファンクラブの二代目会長である越谷政義さんも、歴代会長を集めた座談会のなかで「本当言うとあまり来て欲しくないね」といっています。

 ちょっと恐いというのもあるしね。ディランの場合がそうだったじゃない? 来てから淋しくなっちゃったとかさ。

この座談会には、先に名前が出てきた池田さんも参加していて、先々代にあたる越谷さんの言葉に対して池田さんはこう答えています。

ディランやチャック・ベリーの場合は来るまでに既にダメになってたと思うんだよね。テンションが落ちてたというかね。

…(中略)…

僕もストーンズは3、4回観てるし、別に来なくてもいいやとも思うけどね。ただストーンズが来て日本でどうなるかを見てみたいっていうのはある。日本のジャーナリズムが全てダメかどうかってのを確かめる1つの試金石のような感じがするな。ストーンズがいい演奏しても、ジャーナリズムってのは“やっぱり大したことなかったよ”と書きそうな気もするしさ。

最後に、われらが忌野清志郎。
この本にはキヨシローへのインタビューも掲載されていて、ストーンズ来日について問われたキヨシローは、きっぱり「来ないほうがいいですね」といっています。
その理由を問われたキヨシローは、もう一度「いやー……やっぱり来ないほうがいいですね(笑)。」と答え、さらに重ねて問われた後でこう答えます。

…………みんなが、乗っちゃいけない車ってあるでしょう? 本当に好きな人だけが乗るっていう……。

さすがキヨシローのセンスで、この言葉がストーンズファンの本心をずばり突いているんじゃないかと思えます。
文中の…の数はそれだけの沈黙があったことを表していると思うんですが、この沈黙や、(笑)といったところも含めて、それがストーンズファンの微妙な距離感だと思われるのです。


「笑っていいとも」にでも出られたら、たまったもんじゃない(笑)

とも言ってますが、つまりはそういうことでしょう。

これは80年代以前ぐらいの洋楽全般についていえることだと思うんですが、そのころの海外アーティストは、そうそう日本には来なかったし、その結果としてメディアへの露出もそう多くはなかった。そのことが、海外アーティストをある種神秘のベールで包み、神格化させる作用があったといわれています。
逆に、80年代ぐらいを境にして日本円のパワーが強くなり、海外アーティストが気軽に来日するようになる。さらにMTVなんかの発達もあって、彼らの存在がお茶の間で身近に感じられるようになると、その“神格化”作用が薄らぎ、日本人の洋楽離れを促したという見方もあるのです。

「ちょっと恐いというのもある」と池田さんはいってましたが、彼らが恐れていたのは、そういうことでしょう。

「笑っていいとも」に出てタモリにいじられる――自分達が崇める“神”のそんな姿を見たくはないわけです。


ここで、以上引用してきた言葉を私なりにまとめて解釈すると……
おそらく、ストーンズが実際に来日すると、メディアがあまり好意的な扱いをしないであろうことが、彼らにはうすうすわかっている。というよりも、かなりの高確率でそうなるだろうと思われる。そして、そうなることで、自分のなかにある“ストーンズ幻想”に傷をつけられることを彼らは恐れているのではないか……そんな気がします。

先に引用した人たちの発言には、しばしば(笑)がついていますが、「このカッコ笑い」のなかに、消化しきれない内なる葛藤めいたものが溶け込んでいるようにも感じられるのです。痛い腹をさぐられたときのごまかし笑いのような……

『ストーンズジェネレーション』には、当時東芝EMIでディレクターをやっていた三好伸一さんの文章が載っているんですが、この方は、「アメリカ公演は最悪だった」といっています。そのとき印象的だった光景として、隣にいた18歳ぐらいのアベックのことを書いています。

 18歳くらいのカップルが座るなり、羊皮かなんかの水筒に入ってるアルコールかなんかをガバーッと飲んで、ガンジャをガンガンに吸うわけ。次にコークをスーッと吸うわけ(笑)。始まって2曲目くらいで“ボーリング”なんて言って帰っちゃったんだよね。僕は、半分それがわかったような気がした。なにかそういう感じを受けた。

日本のストーンズファンが恐れたのは、まさにこれだと思うんです。
“ボーリング”というのは、boring ――すなわち、退屈とかつまらないということでしょう。「王様は裸だ」といわれてしまうことが、怖かったんじゃないでしょうか。

ここで問題になるのは、本当に王様は裸なのかということです。

つまり、ストーンズなんて本当はまったく中身がないのに、その名前だけが売れてしまっている裸の王様にすぎないのか。
あるいは、件のアベックの趣味があわなかっただけなのか――

そこはもう、個人の好みとしか言いようがない部分ではありますが、先の三好さんは、ストーンズが悪いわけではなくて、アメリカのオーディエンス全体がそういう雰囲気を作っていたということをいっています。実際、イギリス公演ではそんなことはなかった、と。

ただ、ストーンズが実体を超えて肥大化してしまっているという部分は否定できないと私個人は思います。
それはたぶん、ストーンズファンの人もある程度同意するんじゃないでしょうか。

ここで、以前紹介した『ロックミュージック進化論』から、渋谷陽一さんがストーンズについて論じた箇所を引用しましょう。

ストーンズを褒めるやつに会うと何となくちゃちゃを入れたくなるし、ストーンズをけなすやつに会うとぶん殴りたくなるし、非常に元ビートルズ派の私としては、複雑な心境なんですけれども。安易な批判も絶対許したくないけれども、やはり不気味だよね、あの東京ドーム。あんなにたくさんの人が入るという、日本で売れているレコードの何倍もの人がなぜか来ちゃうという。

ここで言っている「あの東京ドーム」というのは、もちろん1990年の初来日公演のことです。
実際やってみると、やっぱり多くの人がストーンズのライブに詰めかけました。
こういった現象に関して渋谷さんは「すごい巨大化したシンボルとして機能せざるを得ないというか、僕を含めてそういう幻想を何が何でもストーンズにおっかぶせてしまう。今ロックのシンボルがないからね」といっています。
これはやはり、渋谷さんがビートルズに関してもいっていた“欠落”の論理で、その欠落のゆえにストーンズの存在が肥大化してしまっているということでしょう。

では、その肥大化した部分を捨象した、ストーンズの実態はどうなのか。
これはやはり、先にいったように、もう個々のリスナーの好みの問題です。
……というわけで、最後にストーンズの動画を。

まずは、キヨシローもインタビューで曲名を挙げていた「黒くぬれ!」

The Rolling Stones - Paint It Black - Live OFFICIAL (Chapter 4/5)

これはもう巨大ステージということになるわけですが、次のような動画もありました。

Muddy Waters & The Rolling Stones - Baby Please Don't Go - Live At Checkerboard Lounge

ローリング・ストーンズのバンド名の由来である Rollin' Stone を歌ったシカゴブルースの巨人、マディ・ウォーターズとのコラボ。
最初は客席で飲んでいたストーンズの面々が、マディ・ウォーターズに呼ばれて一人一人ステージに上がっていくという趣向です。
こういう等身大のステージにこそ、虚飾ぬきのストーンズが見られるんじゃないでしょうか。



テンプターズ「忘れ得ぬ君」

2021-02-13 22:38:03 | 音楽批評


今回は、音楽記事です。

このカテゴリーでは、以前スパイダースについて書きました。
スパイダースといえば、グループサウンズ(GS)を代表するグループなわけですが、その弟分のような存在として、テンプターズというバンドがありました。
“ショーケン”こと萩原健一さんが所属していたことでも知られるバンドです。
GSのほうに話が流れてきたので、今回は、このテンプターズについて書いてみようと思います。



テンプターズが結成されたのは、1965年のこと。

もとは高校の同級生たちのあいだで結成され、次第にメンバーを拡充していき、当初はダンスホールやディスコなどで演奏するバンドとして活動していました。
67年には、のちにかまやつひろしとウォッカコリンズを結成することになる大口広司がドラムとして加入。実力をもったバンドとして関東で名を馳せていたようです。

その評判が、田辺昭知の耳に入りました。

スパイダースのリーダーである田辺昭知さんは、「スパイダクション」というみずからの事務所を設立していました。すごいやつらがいるという噂を聞きつけた田辺さんは、みずからの事務所にテンプターズを所属させます。


「忘れ得ぬ君」は、そのデビュー曲。

一聴、いかにもグループサウンズらしい曲です。
このデビュー曲がいきなりヒットし、テンプターズは一躍GSを代表するバンドとなるのです。


しかしながら、その活躍も長くは続きませんでした。

テンプターズがデビューした直後ぐらいから、GS自体がブームの終焉を迎えつつあったのです。
プロダクションの社長である田辺さんは、テンプターズの活動継続について煮え切らない態度をとっており、しびれを切らしたショーケンさんが、スポーツ紙に解散をリークし既成事実化したといいます。結局のところ、71年の日劇ウェスタン・カーニバルが、テンプターズのラストステージとなりました。

もっとも、実際にはテンプターズはそのときすでに開店休業状態にあったともいいます。テンプターズが活躍した時期は、わずか2、3年ほどでした。

もう一つ付け加えると、この71年日劇ウェスタン・カーニバルは、テンプターズにとって兄貴分にあたるスパイダースにとっても終焉の舞台でした。スパイダースもまた、ここでのステージを最後に解散しているのです。

彼らのラストステージが日劇ウェスタン・カーニバルだったというのは、ある種の因縁を感じさせます。

日劇ウェスタン・カーニバルは、1959年にロカビリーの祭典として出発し、守屋浩や水原弘を輩出しました。
しかし、ロカビリーは50年代後半の一時的なブームに終わった。
そして、結局のところ、GSも60年代後半の一時的なブームにしかならなかったということでしょう。
その時代をリアルタイムで体験したわけではないので、実際世の中の受け止めがどのようなものだったかというのは推測するしかないんですが……

そんなふうに考えると、日劇ウェスタン・カーニバルというイベントは、日本におけるロックンロールの限界を示してもいたのではないかと思えます。


では、そのロックンロールの限界とはなにか。

それは、スパイダースの記事でも書いた、日本における歌謡曲というものの圧倒的な重力でしょう。その重力は、表舞台にあがってきたミュージシャンたちを片っ端から呑み込んでいき、逃れたければ表舞台から立ち去るよりほかない……本邦音楽業界にはそんな重力場が作用しているようなのです。


私の手元に『ストーンズ・ジェネレーション』というローリング・ストーンズ本があるんですが、そこにショーケンさんへのインタビューが収録されています。

そのインタビューで、テンプターズの頃ローリング・ストーンズは話題にのぼっていたかと問われたショーケンが、非常に興味深い答えを返しています。

 そうねえ、メンバーはね、意識してたけどね。やはりプロダクションに入るとね、自分の音楽性が、上にいるマネジャーであるとかそういう事に意識がはたらいたりするんでね、そんなことは無視されるようになってくるんですよ。だから、僕達が思ってるわりにはそういう風な傾向は出なかったね。大口(広司)君や、僕なんかはローリング・ストーンズもなんか目の上のタンコブみたいな気持ちで…いつも彼らの音楽を意識してたけど、プロダクション・システムになって、そういうところにグループがドカドカっと入ってくると、プロダクションのおじさん達っていうのはローリング・ストーンズも何もないわけ。ストーンズもピンク・フロイドもないのね。ローリング・ストーンズみたいなものっていうのは営業に通じないんだよ。
 こんなこと言うのはとってもおこがましいんだけど…なんつ~んだろう、バンドは繊細に可愛くなくちゃいけないっていうのかしら、そういうふうな考えの人が多かったんじゃないかしら。だからいくらメンバーの人達がローリング・ストーンズみたいなバンドになりたいと言おうが、何しようが、逆の方向にいっちゃってたみたいよ。だからグループサウンズっていうのも短かった‼ 自分たちの意思っていうのが外に通じなかったし、自分達のバンドの内輪だけで、解決していく形しかなかったからね。そのうちにローリング・ストーンズを忘れてしまった。


まさにここに、私がかねがね書いてきた“歌謡曲化の圧力”が表現されています。
「バンドは繊細に可愛くなくちゃいけない」という考えの人が多かったというのは、GSの曲をいくつか聴いているとよくわかる気がします。なるほど、ストーンズもピンク・フロイドもないわけです。
おそらく、多くのGSバンドが同種の葛藤を抱えていたものと思われます。
そしてその軋轢が、GS自体を一過性のブームに終わらせてしまった原因とショーケンさんは考えているようです。
かくして、ローリング・ストーンズを忘れてしまったショーケンさんは、俳優業に力を注ぐようになり、一時音楽活動を休止してしまいました。
その過程でPYGというもう一つの大きな挑戦があったわけですが……そのあたりについては、また別の機会にあらためて書きたいと思います。



建国記念の日……だけれども

2021-02-11 22:42:18 | 時事



今日2月11日は、建国記念の日です。

しかし……

どうも、あまりおめでたい気分にはなってきません。

というのも、この数か月、うんざりさせられるようなニュースが続いているからです。


たとえば、森元総理の失言問題。
この問題は、結局のところ森さんの辞任というところに落ち着きそうです。
しかし、その後任人事に、早くも“学習しない感”があらわれているようで……まあ、ここはまだ固まっていないことでしょうが、同じような問題を起こす可能性がいまの段階から指摘されています。国内の批判に対しては木で鼻をくくったような対応で乗り切れても、オリパラという国際的なイベントでそれは通用しないというのが今回の教訓だと思うんですが……

あるいは、カネの問題で、自民党の議員2人が相次いで辞職。
そのうち一人は体調不良を理由としていますが……金銭スキャンダルが真因なのは火を見るより明らかでしょう。

ほかにも、新型コロナのワクチンをめぐる注射器の問題であるとか……
いよいよ接種開始という今頃になって、じつは特殊な注射器が必要であることが発覚し、接種回数を減らすの減らさないのという話になっています。

もう、建国どころではありません。
なにか、日本という国がいっきに坂道を転げ落ちていっているような気がします。
これはやはり、最近いくつかの記事で書いた、新陳代謝の不全ということなんでしょう。
その象徴的なケースが森さんの件ということになりそうですが……ここはもう一般国民が手出しできない領域です。できないからこそ、結局あまり変わり映えしないことになりそうなわけです。
しかし、議員が金銭スキャンダルで辞職というところは、違います。
ここは、一般国民が手出し可能。補選というかたちで、当該選挙区の有権者限定ではありますが……
彼等に新陳代謝の機能がないのなら、一般国民がそれをやるしかありません。今はせめて、そこを期待したいと思います。


※補選は、4月。上記二人のぶんだけでなく、もう一つ予定されてます。これは、立憲民主党の羽田雄一郎議員が新型コロナ感染症で死去したことを受けてのものです。