ロック探偵のMY GENERATION

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バッド・レリジョンの名曲を振り返る+α

2021-02-09 20:00:09 | 過去記事

Bad Religion, American Jesus

最近このブログでは、音楽系記事としてハードコアについて書いています。その流れで、今回はBad Religion について書きましょう。バッド・レリジョンがメロコアの元祖であ......


過去記事です。
Bad Religion の American Jesus という曲について書いています。
やはり、動画を。
なかなかかっこいい動画になっていると思います。

Bad Religion - American Jesus

ついでに、バッド・レリジョンの比較的最近の曲を。

Bad Religion - "The Kids Are Alt-Right"

Alt-Right という言葉は、日本では“オルタナ右翼”などと訳されています。
トランプ前米大統領の支持者などをそう呼ぶようです。
キッズたちはオルタナ右翼だ……ふつうの少年少女がトンデモ陰謀論や差別的言辞を能天気に口にしてしまう、そんなおそろしさが、このPVに表現されてるんじゃないでしょうか。
もう少し注釈をつけておくと、The Kids Are Alt-Right というタイトルは、フーの The Kids Are Alright のパロディです。
オフスプリングが同じタイトルを否定文にして The Kids Aren't Alright と歌ったのは、以前このブログでも紹介したとおり。それからおよそ20年の月日が流れ、いまやキッズたちはオルタナ右翼だというわけです。
さすがバッド・レリジョンの、時代を鋭くえぐるセンスということでしょう。そして、悲しいことに、日本にってもこれは他人ごとではなさそうです……




日本とビートルズ

2021-02-07 16:31:30 | 音楽批評


昨日このブログで、スパイダースについての記事を書きました。

日本版ビートルズを目指したものの、歌謡曲化の圧力におしつぶされていったスパイダース……今回は、その続きということで、日本におけるビートルズについてちょっと書いてみようと思います。

ビートルズといえば、今月の4日が「ビートルズの日」ということで、そこで渋谷陽一さんの論評を紹介しましたが……そこで引用した『ロックミュージック進化論』のなかで、渋谷さんは日本におけるビートルズの扱いについても一章を割いています。そこでは、日本においてビートルズへの熱狂のようなものはなかったと彼はいっています。
以下、その一部を引用しましょう。

 以前、あるデパートがセールス・キャンペーンのテーマとして、“ビートルズによって育ちました”というコピーを使っていた。そういえばビートルズ・ジェネレーションといった表現もある。
 僕はこうした言葉に接する度に苦々しい思いにかられる。「嘘をつきやがって」と言いたくなるのだ。日本にはビートルズを聞きながら育った世代などどこにも存在しない。ビートルズを聞いていたのは極く限られた少数の人間でしかなく、いわゆるヒット・チャートにおいても彼等は常に苦戦をしていた。

こう書いたうえで、もしビートルズを聞いて育った世代というものが存在するのなら自分の周囲にビートルズのリスナーがたくさんいたはずだが、実際にはビートルズを聴いているのはクラスの中で自分一人だった……という背理法を展開。そして、クラスでたった一人のビートルズファンであることからくるのは「被害者意識と孤立感」だったと述懐しています。


日本においてビートルズ人気がさほどのものではなかったという点については、たとえば高嶋弘之さんの証言もあります。

著名なバイオリン奏者高嶋ちさ子さんの父親である高嶋弘之さんは、1960年代当時、東芝の音楽ディレクターとしてビートルズを手がけていました。
それで「日本におけるビートルズの仕掛け人」といわれているんですが、その販促活動において、現代であれば確実に問題となるような“やらせ”や“数字の不正操作”を行っていたことが知られています。
たとえばラジオ番組で、本当はストーンズへのリクエストなのに、それを書き換えてビートルズがリクエストされたことにした――などという話をご本人がテレビに出て普通に話していたりします。ほかにも、東芝の社員らをマッシュルームカットにさせて、週刊誌が「ビートルズヘアが若者のあいだで人気!」という記事を書くように仕向けたとか……
まあ、その当時はおおらかな時代だったということなんでしょう。私も別に今さらそのことを咎めようというつもりはありませんが……ただ、これらのエピソードによって、日本におけるビートルズ人気がある種の虚構であることが示されているとはいえるでしょう。

渋谷陽一さんと高嶋弘之さんの証言は、見事に符合します。
すなわち――実際には、日本においてビートルズの人気はそれほどのものではなかった。今なら“やらせ”とか“ステマ”と呼ばれるであろう、あまりほめられたものではない手段によって、業界関係者が“ビートルズ熱”を演出した。そしてそれが独り歩きし、日本においてもビートルズが一大ブームを巻き起こしていたかのような幻想が生じた……ということではないでしょうか。


だとするならば、そのことは、いわゆるロックンロールが日本のポピュラーミュージックに与えた影響はきわめて限定的だということを意味してもいるでしょう。

プレスリーやビートルズが、それぞれの国、それぞれの時代における大人の価値基準を覆した……ということは、このブログで何度か書いてきました。そしてそこから、ロックとは新陳代謝である、という命題が導き出されました。

しかし、日本ではその新陳代謝が起きない。

国産音楽の話でいえば、スパイダースの挫折が示しているのは、そういうことなんじゃないかと思えるのです。
価値基準を転換しようという動きが生じても、結局、“世間”のほうがそれをおしつぶしてしまう。そうして、古色蒼然、旧態依然たる価値観が温存されていく……それが、日本の“世間”がもつ絶対的保守性の源泉ではないか。

そして、それは音楽にとどまる話ではなく、社会全般にこの構図がみられるのではないか……ということが問題になってくるわけです。

新陳代謝が起きないと、体は老廃物がたまっていきます。つまりは、生きたまま腐っていくのです。

直近の例でいえば、某元総理の発言をめぐる騒動だとか……あのグダグダっぷりを見ていると、ああ、この国は生きたまま腐りつつあるのだなあと思わされます。


最後に、動画を。

ビートルズの The Fool on the Hill です。

The Fool On The Hill

ガリレオ・ガリレイをモチーフにしているといわれるこの歌は、ビートルズの曲の中でも、新陳代謝の意味をはっきりと示してくれるんじゃないかと思えます。

丘の上の愚か者は、みんなに蔑まれている。
しかし彼は、そんな周囲の者たちに耳を貸しはしない。彼らのほうこそが愚か者だということを知っているからだ。彼は、世界がまわるのを心の目で見ている……そういう歌です。

ガリレオは、自分の地動説のほうが正しいということを知っているわけです。
権威をもつ者たちがいかに天動説を主張し、地動説を圧殺しようとも……そして、やがてはみな、地動説の正しさに気づき、権威の側も認識の転換を迫られる。これが、新陳代謝なのです。
なんだか、日本だったら天動説がそのまま温存されてしまうような……そんな気がしてしまいます。

ちなみに、上の動画は映画『マジカル・ミステリー・ツアー』用のものということで曲の一部しか流れないので、フルのバージョンも。

The Fool On The Hill (Remastered 2009)



スパイダース「フリフリ」

2021-02-06 20:25:49 | 音楽批評



今回は、音楽記事です。

このカテゴリーでは、二回にわたってムッシュかまやつについて書きました。
かまやつひろしのキャリアにおいて重要なバンドは、かのスパイダース……ということで、今回はスパイダースについて書こうと思います。

スパイダースは、いわゆるグループサウンズを代表するバンドの一つ。
かの堺正章さんが所属していたことでも知られます。

スパイダーズというバンド名は、かまやつひろしの父親ティーブ釜萢がつけたもの。

クモが巣を張るように、世界中にその音楽を広げていく――という意味が込められているそうです。

実際、彼らは海外アーティストの来日公演で前座をつとめたりすることによって、海外でもその名を広く知られていたようです。それは、以前ムッシュかまやつの記事でも書いたとおり。
そしておそらく、そうした活動の先に彼らの目指すところは、ビートルズのような立ち位置だったのではないかと想像されます。

当時スパイダースはビートルズの曲をほとんどカバーしていたということですが、このあたりからも、彼らが日本版ビートルズを目指そうという意気込みがあったのではないかと思われます。GSバンドとしては珍しく、自作曲をやっていたというのもその表れでしょう。

デビュー曲「フリフリ」は、かまやつひろしの作曲。
自作曲でデビューするというのも、やはりビートルズと共通しています。これは、当時としてはきわめて異例のことでした。

この曲を聴くと、どちらかといえばモンキーズなんかに近いような印象も私は受けますが、いずれにせよ、いかにもロックンロールという曲になっています。

しかし……この「フリフリ」、セールス的にあまりうまくいかなかったようです。


その後彼らがブレイクしたのは「夕陽が泣いている」という曲によってですが、これは自作曲ではありません。
この曲は、かの浜口庫之助の手になるものです。

浜口庫之助――このブログでは、前に一度名前が出てきました。

それは、守屋浩「僕は泣いちっち」の作者としてです。

ロカビリー歌手としてキャリアを出発させた守屋が歌謡曲に“転向”し、歌謡曲としてヒットしたメジャーデビュー曲……

あれと基本的に同じことが、ここで起きているのだと私には思われます。
奇しくも、ともに“3ひろし”の一人である守屋浩とかまやつひろしにおいて……

「フリフリ」のあふれだすような勢いは、「夕陽が泣いている」にはありません。
やはり、ロックンロールではなく、浜口庫之助の歌謡曲によって、スパイダースはブレイクしたのです。(一応ことわっておきますが、別にそれが悪いといってるわけではありません)


「奇しくも」と先にいいましたが、これは偶然ではないのかもしれません。

つまりは、その本源的な部分においてロックというものが日本では受け容れられない。ゆえに、スパイダースもビートルズ的な方向では成功できず、結局は歌謡曲でヒットしたという……そしてこのことが、スパイダースのメンバーたちにとって不満であったようです。

それがヒットした以上、レコード会社としてはそういう方向性を強化しようとしてきます。
結果、その方針は、バンドが本当にやりたい音楽と乖離していく……そのことでメンバーのモチベーションは低下し、それが解散につながった原因の一つといわれています。

以前書いた、日本音楽業界における歌謡曲の圧力……それが、スパイダースを解散に追い込んだらしいのです。


ここにおいて、私がこのブログでたびたび書いてきた問題意識とつながってきます。

実際のところ、本家ビートルズも、1960年代の日本ではさほど人気があったわけではないといいます。
来日で日本にもビートルズ旋風……みたいな話は、後になって話に尾ヒレがつき伝説化したもので、実態はもっと醒めたものだったらしいのです。

ここには、音楽にとどまらないもっと大きな論点がひそんでいるのではないか――そのあたりのことについて、また次の機会に書こうと思います。




ビートルズの日

2021-02-04 19:44:26 | 日記

今日2月4日は、“ビートルズの日”です。

ビートルズの四人は、Fabulous Four (「素敵な四人」)、それを略して Fab 4 などとも呼ばれていました。その Fab 4 と、2月4日= Feb 4 をかけているわけです。

このブログでは、これまでもたびたびビートルズやそのメンバーにについて書いてきたので、いまささらどうこうということもないんですが……まあせっかくなので、またビートルズについてちょっと書いてみようと思います。

テーマはずばり、なぜビートルズはあんなにビッグになったのか。

手に余る問題ですが、音楽評論家の渋谷陽一さんが、それについて興味深い指摘をしています。

渋谷さんによれば、ビートルズをあれだけ大物にしたのは、“欠落”だというのです。

リスナーが本当に求めているものが、当時の音楽シーンに欠けていた。その欠落を満たす存在として、ビートルズが登場した。だから、あれだけヒットしたというわけです。
その論評を、以下に引用しましょう。


 ヒーローとは欠落部分の反映なのである。欠落部分が大きければ大きいほどヒーローも巨大なものになっていく。大きなヒーローが存在した時代は、それだけ巨大な欠落部分も存在したのである。
 多少なりとも見える目を持っていればプレスリー、ビートルズの彼方に何もない巨大な穴、すなわちポピュラー・ミュージックの欠落部分が見えるはずだ。
 ビートルズとは何んだったのかを今考えるうえで、そうしたヒーローの構造を把えておくことは大切である。
                      (新潮文庫『ロックミュージック進化論』より。以下、引用は同書から)

すなわち、当時の音楽業界は、リスナーが本当に求める音楽を供給していなかった。
職業作詞家、作曲家によってヒット曲を量産するシステムができあがっていて、そこから出てくるのは「“僕の可愛いマシュマロちゃん”といったカスのようなもので、人畜無害以前で」あり、ビートルズの登場は「求めながら与えられていない音楽飢餓の数千万人に、何よりも美味な食糧が与えられた」ということなのです。


供給側と受け手側の意識が乖離していくというのは、音楽にかぎらず、小説や映画などでも起きることでしょう。

ビートルズに関していうと、地元のバンドコンテストみたいなものに出場したものの優勝はできなかったとか、デビューするまでに5つぐらいのレコード会社に契約を断られたとかいう話があります。要は、価値を規定する供給サイドと受け手である一般リスナーの基準がそれぐらいにかけ離れてしまっていたということです。
そして、そんなビートルズが世に出て人気を博することで、権威の側が価値基準の変更を迫られる……これが、まさにロックなわけです。

ビートルズの持つ“新しさ”は、ある種の前衛性ということでもあり、その発展がロックの変化自体をけん引していくことにもなりました。
そして、彼らは伝説になった……

せっかくなので、ビートルズの YouTube公式チャンネルから、動画をリンクさせておきましょう。
エド・サリヴァン・ショーでの Twist And Shout です。
カバーではありますが、ライブ感覚、勢い重視の初期ビートルズを代表する一曲といえるでしょう。

The Beatles - Twist & Shout - Performed Live On The Ed Sullivan Show 2/23/64



緊急事態宣言、延長

2021-02-02 20:34:08 | 時事


緊急事態宣言が延長されるということです。

今日、菅総理が会見を開いて正式に表明。栃木は解除されるものの、それ以外の10都府県については一か月延長し3月7日まで……

このこと自体は、妥当な判断だと思います。
いったん収束の兆しが見えたら、へたに緩めずに一度徹底的に抑え込むべきだ……ということを、以前このブログで書きました。宣言延長は基本的にそういう方向であり、コロナ対策として評価できるでしょう。
実効性もある程度はありそうです。
いわゆるファクターXはまだ有効なようで、それがあるために、比較的ゆるやかな規制でも効果が出るのか……素人考えではありますが、そんなふうにも思えます。緩和のタイミングを間違えさえしなければ、相当程度に感染を抑えることができるのではないでしょうか。


一方で、自民党所属の国会議員が銀座のクラブを訪れていたことが問題になっています。

相も変らぬ体たらくといったところでしょうか。
これだけいわれていて、しかも特措法で私権の制限にまで踏み込もうというなかで、よくもまあ、そんなことができるな、と。
しかも、嘘の説明をしていたことが後で発覚するという……こういうことがあるから、政府与党の本気が見えないわけです。

日本のコロナ対策における最大の問題点は、この政府与党の危機感のなさ、他人事感でしょう。
ここをどうにかしなければ、新型コロナへのどんな対策も、立法も、効果半減です。やる気がないならさっさとやめてください――と、厳しいことのひとつもいいたくなります。