ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

4度目の緊急事態宣言……

2021-08-20 21:32:41 | 時事



今日から、緊急事態宣言が拡大されます。

その対象には、福岡県も。
これで、4度目の緊急事態ということに……


今回の第五波は、かなり深刻です。

いわゆるファクターXも、どうやらデルタ株に対してはあまり効果がないようで……そこにあぐらをかいてろくな対策をしてこなかった、どころかコロナを甘く見ていたところを、デルタに急襲されて右往左往というところでしょうか。

デルタ株に対しては、これまでの感覚が通用しない可能性を考えないといけないでしょう。
これまでのように、ほどほどに行動を制限していればいつの間にかおさまっているというふうにはいかないかもしれません。
緊急事態宣言によって一定の収束をみるとは思われますが、新規感染が十分に下がり切らない状態で第六波がはじまり、冬のシーズンと重なる……という最悪のシナリオもみえます。

そこを回避するためには、今回の緊急事態宣言でどれだけ感染拡大を抑えられるかがポイントでしょう。

ただ、為政者の側に依然として本気度がみえないことが問題ですが……



スティングの名曲を振り返る+α

2021-08-17 21:33:11 | 過去記事

Sting, Children's Crusade

今回は、音楽記事です。前回U2について書き、そこでライブエイドのことをちょっと書きました。そこから、ライブエイドに出演していたアーティストつながりということで、スティングにつ......


過去記事です。
スティングについて書いています。

今回も、+αということで、スティングの動画をいくつか紹介しましょう。



そもそもライブ・エイドの話からスティングが出てきたわけですが……そのライブ・エイドでのスティング。
曲は、ポリスの「見つめていたい」。ドラムはフィル・コリンズが叩いています。

Sting / Phil Collins - Every Breath You Take (Live Aid 1985)



ライブ・エイドのステージでは、ダイヤ―・ストレイツの演奏にも参加しました。

Dire Straits / Sting - Money For Nothing (Live Aid 1985)


スティングの代表曲といえば、やはりこれでしょうか。
Englishman In New York。

Sting - Englishman In New York



ここからは、他のミュージシャンとのからみ。

まずはブルース・スプリングスティーンとの共演。
曲はやはり、「見つめていたい」。

Sting, Bruce Springsteen - Every Breath You Take (Live)

こちらは、逆にスティングがブルース・スプリングスティーンの 曲をカバーした動画。
ブルース・スプリングスティーンがケネディ・センターに表彰された記念のステージで、客席にはスプリングスティーン本人の姿も。そしてそのそばにはオバマ元大統領もいます。

Sting - "The Rising" (Bruce Springsteen Tribute) | 2009 Kennedy Center Honors



エリック・クラプトン、スティーヴ・ガッド、デヴィッド・サンボーンとコラボした It's Probably Me。
映画『リーサル・ウェポン3』に提供された曲で、映画音楽で有名なマイケル・ケイメンも参加。

Sting - It's Probably Me

デヴィッド・サンボーンとは、最近リモートセッションもやっています。
スティングの Fraglie と、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドのカバーで In My Own Dream を披露。

Remote Session 5 | Sting | Sanborn Sessions



ジェフ・ベックとの共演。
歌っているのは、カーティス・メイフィールドのカバー People Get Ready。
ジェフ・ベックがロッド・スチュワートのボーカルでやっているバージョンがよく知られていますが、そのスティング版といったところでしょうか。

Jeff Beck and Sting Rock and Roll Hall of Fame 25th Anniversary shows



ジミヘン Little Wing のカバー。
イントロのリフは、Voodoo Chlie のもの。

Sting - Little Wing

終戦の日、平和について考える ―集団安全保障とは

2021-08-15 22:39:26 | 日記



今日は、8月15日。

終戦記念日です。

去年もそうしたように、この日付にあわせて、今回は近現代史記事を書こうと思います。



近現代史関連の記事では、前回5.15事件について書きました。
政党政治の時代を終焉させたといわれる首相暗殺事件……で、順番からしてその後の大きな動きといったら、昭和8年の国際連盟脱退ということになるでしょう。

一応簡単にその経緯を説明しておくと、国際連盟脱退は、満州事変と深いかかわりがあります。

あの事変後に「満州国」が建国されたわけですが、満州国は日本の傀儡国家、実質的には植民地なのではないか……ということでリットン調査団がやってきて、日本側の主張を否定する報告書を作成。国際連盟は、圧倒的多数でその報告書を採択。日本側がそれを不服として国際連盟脱退を表明するわけです。

では、国際連盟とはなんだったのか。
今回は、この国際連盟というものと、その根底にある集団安全保障という考え方について書こうと思います。

国際連盟とは、集団安全保障体制構築のために作られた組織……なわけですが、この“集団安全保障”という言葉にはちょっと注意が必要です。

集団安全保障という言葉からは「友好国と軍事的な協力関係をつくって敵対国からの攻撃にそなえる」というようなことが連想されるかもしれません。
しかし、集団安全保障とは本来そういう意味ではないのです。
集団安全保障とは、個別の軍事同盟をむしろ否定し、対立関係にある国も含めた国際社会全体を一つの集団として武力衝突の回避を目指すものです。

ネット上の百科事典コトバンクに載っている「マイペディア」の解説には、次のように書かれています。

国家の安全と平和を,公の紛争処理機関や,対立関係にある国も含めた連合組織によって集団的に保障しようとする体制。一国の軍備強化や特定国との同盟の形をとらず,国際紛争の処理に当たっては原則として各国が個別に武力を行使すること(個別的安全保障)を認めない。特定の仮想敵国の存在を予想している軍事同盟とは異なる。歴史的には第1次大戦前の勢力均衡政策に対する反省に基づき国際連盟によって初めて現実化され,国際連合によって制度的に強化された。


具体的には、アメリカのウィルソン大統領が発表したいわゆる14ヶ条の平和原則に基づいて、国際連盟が作られました。
列強がこれまでと同じような考え方で軍事・外交をやっていたら、次の世界大戦は避けられない。そして、その被害は甚大なものになるだろう。それを防ぐためには、これまでとは違う新たな考え方が必要だ。では、どうやったら新たな戦争を防ぐことができるか――それを考えた結果の一つが、国際連盟でした。

しかしながら、歴史上の事実として第二次世界大戦は起きてしまいます。

ということは、結局、国際連盟というものに意味はなかったんじゃないか……と思われるかもしれません。
しかし、私にいわせれば、これは国際連盟の、集団安全保障という概念の失敗ではありません。
国際連盟に米ソの二大国が参加せず(ソ連は途中から参加したものの除名)、常任理事国である日本やイタリアが脱退……と、その枠組み自体が崩壊していったことで世界は第二次大戦になだれこんでいくわけです。二度目の世界大戦が起きたのはみんなが集団安全保障の枠組みを守らなかったからであって、それがきちんと守られていれば大戦は起きなかったでしょう。日本の国際連盟脱退は、そういう文脈から見ても批判されるべきなのです。
もう少し付言すると、国際連盟創設をのぞけば、ウィルソンが14ヶ条で提唱したことのほとんどは、第一次大戦終結後の段階では実現しませんでした。
たとえば、無賠償・無併合の原則。戦争で勝っても、それによって賠償金を得たり新たな領土を獲得したりすることはできないというルールです。これには、フランスなどが猛反対しました。結局ドイツには莫大な賠償金が課され、それによる重い経済的負担が後にナチスを台頭させる大きな要因となったことは間違いありません。この反省から、第二次大戦後、連合国はドイツや日本に賠償金を課しませんでした。そうすると、次の戦争は起きなかったわけです。
もちろん、第三次世界大戦が――少なくとも今のところ――起きていない理由は、それだけではありません。
前に書いたECSCなんかも大きな意味があったでしょう。炭鉱地帯の奪い合いが戦争の原因にならないよう国際共同管理にする――この仕組みが、現在のEUにまで発展しているわけです。

……というふうに、国際社会は戦争が起きないための工夫をあれこれとやってきました。

それが一定程度に奏功しているために、大国間の戦争は起きずに済んでいるわけです。
これはおそらくほとんどの歴史学者が同意することだと思いますが、第三次世界大戦が起きずに済んでいるのは、政治的・経済的な理由によってです。もちろん世界が完全に平和になったわけではないにせよ、第二次大戦以前に比べれば、格段に平和が維持されています。

その状態を維持・発展させるために必要なのは、集団安全保障の枠組みから背を向け、国際連盟から脱退するというような暴挙を許さないこと。それが、歴史の教訓というものでしょう。




メンタリストのホームレス発言……

2021-08-13 21:37:40 | 時事


メンタリストDaiGoさんのYouTubeが炎上しています。

 「自分にとって必要がない命はぼくにとって軽いので。ホームレスの命はどうでもいい。」
などなど……

各方面から批判の声があがっており、私のツイッターTL上も、その話題で持ちきりという様相でした。

しかし本人は、批判の声もどこ吹く風と、撤回や謝罪の意思はまったくないようです。

きれいごとと反対のことをいうのがかっこいいという露悪趣味。そして、それが喝采を浴びてしまうオンライン空間。それが収益にさえつながってしまうという構図……病んでいるというよりほかはないでしょう。
DaiGo氏は個人の感想を述べたに過ぎないといったような反論をしていますが、彼にそういう発言をさせたものというのが、まさに問題なわけです。

ここで名曲を一曲。

ホームレスの話題ということで、ポール・サイモンの Homeless です。

Paul Simon - Homeless (from The Concert in Hyde Park)

英語の home は、単に家屋というよりも、故郷とかそういう意味合いで使われる抽象名詞的な側面が強くあり、ここでいっている homeless もそういう感じでしょう。

  強い風が私の家を打ちこわし
  多くの人が死んだ 今夜それはあなたかもしれない

と、ポール・サイモンは歌います。
この手の騒動が持ち上がるたびにいわれることですが、誰しも、いつなんどき保護を受ける立場になるかもわからないわけです。だから、保護を受けざるをえない立場にいる人を否定するべきではない……それはあくまでも“合理”的説明であって、“倫理”ではないわけですが、倫理を重んじない人には合理性で語りかけるしかないのかもしれません。まあ、DaiGo氏や彼を支持・擁護する人たちの場合は、いずれにせよ冷笑を返すだけのような気もしますが……


《追記》この問題、結局DaiGoさんは謝罪したということです。一応追記しておきます。




三島由紀夫「憂国」

2021-08-11 18:56:51 | 小説


三島由紀夫の「憂国」を読みました。


以前このブログで美輪明宏さんの記事を書いたときに名前が出てきたので、ついでに三島由紀夫についても書いてみようかということで、読んでみた次第です。

このブログの読書カテゴリでは最近日本の文豪を扱っており、その一環ということでもありますが……じつは三島由紀夫、意外にミステリーともかかわりはあります。
江戸川乱歩原作の舞台『黒蜥蜴』をやったというのもその表れですが、ミステリー界において世紀の奇書と目される中井英夫『虚無への供物』を高く評価したりもしているのです。三島由紀夫には、ジャンルを問わず、すぐれた才能が世に出る手助けをするというようなところがあって、美輪明宏さんも、そんな三島の目にかなった天才の一人なのでした。



「憂国」は、二・二六事件時における、ある将校とその妻の自決を描いた物語です。

主人公である武山信二中尉は、二.二六事件で仲間が決起部隊に参加していた。このままだと、鎮圧部隊の側としてその仲間たちを討伐しなければならないことになる。それは忍びない……ということで、新妻とともに心中するのです。後半、武山中尉の切腹の場面は、じつに細密に描写されています。そこには、三島由紀夫が切腹というものに対して持っていた並々ならぬ関心があらわれているようです。

まあ、いかにもというか……あの自衛隊市ヶ谷駐屯地における自決事件をダイレクトに予感させる作品ともいえるでしょう。

まるで軍人の鑑ともいうべき主人公と、まありにもできすぎた嫁。
二人して潔く死に赴くその姿は、美しいのかもしれません。
しかし……ここに描かれていることは、やはり克服されなければならない何かだと私には思われます。

タイトルで「憂国」といっていますが、そもそも二.二六事件を義挙とすること自体、私は同意しかねます。
国を憂えるというのなら、二.二六事件は具体的な行動として方向性を誤っているといわざるをえないでしょう。
現実問題として、この事件は日本が暗黒時代に突入していく決定的なステップなのであり、その暗黒時代の果てには焦土が待っているのです。

この短編を収めた短編集『花盛りの森・憂国』の新装版の帯には《「憂国」は右翼じゃない、エロスだ》という宣伝文句があるんですが、これもどうなんだろうと私には思えました。
先述したように、切腹の描写には、三島の強い関心があらわれていて、そこにはいささかアブノーマルな執着のようなものがありますが、それこそ江戸川乱歩のようなエロスをここに感じるかといえば……そんなこともありません。まあ乱歩と比べるのもどうかという話ではありますが、ここには根本的な違いがあるように私には思われます。
三島が若き日の美輪明宏に「黒蜥蜴はきみ自身だ」といった話は以前紹介しましたが、それに対して美輪さんは「あなたこそ黒蜥蜴だ」と返したといいます。
たしかに、それは正しいかもしれません。
世界との戦い……そんなふうに考えると、「憂国」というのは案外ある種の方便で、割腹自殺ということそれ自体が目的だったんじゃないかという風にも思えます。そのほうが、仰々しく昭和維新の大義に殉ずるなどという美辞麗句よりもよほどマシなんじゃないかと感じられるのです。