ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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長崎原爆忌 ペリーからの書簡

2021-08-09 22:57:54 | 時事


今日は8月9日。

長崎の原爆忌です。

この日付にあわせて、アメリカのペリー元国防長官らが日本に公開書簡を送ったことがニュースになっています。
その内容は、「核の先制不使用」に日本が反対しないように求めるというもの。

「核の先制不使用」(NFU=No First Use)とは、言葉どおり、「自分の側から核兵器は使用しない」ということです。核保有は、あくまでも核攻撃を受けた場合に報復する能力がある(だから核攻撃をしかけてくるな)ということであり、自分の側から核攻撃をしかけることはない――という姿勢を意味します。
核保有国の多くはこの立場ですが、アメリカは伝統的に「核攻撃を受けた場合でなくとも核攻撃を辞さない」という立場をとってきました。「核なき世界」を掲げたオバマ政権は「核の先制不使用」への方針変更を検討していましたが、日本などが反対したために断念したという経緯があります。
そのオバマ元大統領のもとで副大統領だったバイデン現大統領も「核の先制不使用」への転換を検討しているということで、再び日本がそれに反対することがないように――というのが、今回の書簡の意図するところとみられています。

まあ、先制不使用というだけでは「核なき世界」はまだ遠いでしょうが、それでも注目すべき一歩ではあります。
しかし、日本がそれに反対しないようにアメリカ側から働きかけなければならないというこの悲しさ……これが、唯一の被爆国の現実なのです。
菅総理は、6日の広島原爆忌でも、平和祈念式典後の記者会見で「核兵器禁止条約に署名するつもりはない」とはっきり言っていましたが、これでは「核なき世界」はなお遠いでしょう。

そもそも「核の傘」という概念自体きわめてあやふやで効果が疑わしいと私は思ってますが……よりによって日本がそれに頼ろうとしている。そこにはなにか、核に対するある種拝火教的な信仰めいたものさえあるように思われます。
ペリーからの要求といったら黒船以来ですが、こんなことも外圧でなければ変れないのか……唯一の被爆国として、じつに情けないかぎりです。



東京オリンピック閉幕

2021-08-08 23:40:45 | 時事


東京オリンピックが終了しました。

まあ、開会式のときにも書いたように、私はもともとあまりスポーツに興味がないのでほとんど見てません。ただ何人かの選手については興味もあって、彼らがどういう結果を出したかということをニュースで確認したぐらいのものでしょうか。

最近リアルタイム解析を見ていると、このブログでブルース・スプリングスティーンについて書いた記事が読まれていて、これはもしかすると、ブルース・スプリングスティーンの娘ジェシカさんが馬術競技の選手としてオリンピックに出ていた関係かもしれないとか……そんなこともありました。

このタイミングで、朝日新聞が世論調査の結果を出しているんですが……それによると、菅内閣の支持率は発足以降最低で、同紙の調査においてはじめて3割を切ったということです。
まあ、そりゃそうでしょう。
これで五輪効果で内閣支持率がV字回復なんてことになっていたらさすがに絶望しかないところでしたが、多くの人はそれとこれとは話が別と考えているようです。五輪については「開催してよかった」という人が圧倒的多数でしたが、それは政権に対する評価につながっていないものと思われます。



しかしながら、五輪を開催してよかったという人たちも、いずれその見方を変えるときがくるかもしれません。
オリンピックは閉幕……パラリンピックのほうも開催されそうですが、それも終わってしまえば、感染爆発の現実に向き合わなければならないときが必ずやってきます。

ここで、名曲を一曲。

ブルース・スプリングスティーンの名前が出てきたので、彼の曲を。
Lucky Town から、The Big Muddy です。

Bruce Springsteen - The Big Muddy (from In Concert/MTV Plugged)

  俺の友人にこんなことをいった奴がいた
  “行動には気をつけなよ
  毒蛇にかまれれば お前自身も毒になるんだ”

  腰まで泥まみれ
  腰まで泥まみれ
  はじめは高いところにいても
  最後は地面を這い回ることになるのさ

その筋に詳しい方はお気づきのとおり、この曲にはピート・シーガーの「腰まで泥まみれ」が引用されています。(原詞ではwaist deep in the big muddyで、曲のタイトルもここからとられている)
「腰まで泥まみれ」は、中川五郎さんの日本語訳バージョンを、以前このブログで紹介しました。
破局が待ち受けていることがうすうす予感されているにもかかわらず渡河訓練をやめずに死者を出した部隊の歌……
思えば、インパール作戦にまでなぞらえられた今回の東京五輪。腰まで、いや、首まで泥まみれになりながら最後まで渡河作戦が中止されることはなかったわけですが、果たしてその先にはなにが待っているのか……ラムダ株流入も発覚し、懸念は募るばかりです。

死んだ女の子

2021-08-06 21:25:39 | 日記


今日は8月6日。
広島原爆忌です。

それに合わせて、今回は「死んだ女の子」という歌を紹介しようと思います。



もとは、トルコの詩人ナジム・̞̞ヒクメットが広島の原爆を題材にして書いた詩。
その日本語訳に曲をつけたのが「死んだ女の子」で、高石ともやさんなんかも歌っていました。
また、比較的新しいところでは元ちとせさんも歌っています。
元ちとせさんといえば、以前、中川五郎「腰まで泥まみれ」のカバーを紹介しましたが、あれと同じアルバム『平和元年』に収録されています。
そのばバージョンを、BEBEさんという方がカバーした動画をリンクさせておきましょう。

元ちとせ「死んだ女の子」Cover by BEBE

日本語バージョンだけでもいくつかるあるようですが、世界各国で翻訳され、歌われているそうです。
たとえば、このブログで何度か登場したバーズが歌った英語詞バージョン。

The Byrds - I Come And Stand At Every Door (Audio)

被爆国日本との違いということなのか、原爆の悲惨さというよりもむしろ平和への祈りをメインに据えているように私には聴こえました。ただ、その根底にあるメッセージは変わらないでしょう。
その最後の部分の歌詞を、拙訳で引用しておきます。

  私は 果物もお米もいらない
  お菓子も パンだっていらない
  私は自分のためにはなにも望まない
  だって私は死んでしまったから
  
  私が望むのはただ
  平和な世界のために いまあなたたちが立ち上がること
  世界中の子どもたちが
  生きて、大きくなって、笑い、遊べるように






4周年

2021-08-04 21:25:32 | 『ホテル・カリフォルニアの殺人』


本日で、4周年となります。

今年もまた、懲りずに宣伝を。

 
3DCG。
前に、ホテル・カリフォルニアの中央ドームというのを載せましたが、今回はさらに、そこに併設されている塔も作ってみました。



ブログのトップ画像もこれにしました。



お祭り・まん防

2021-08-02 21:32:25 | 時事


今日から、新たに4府県に緊急事態宣言、5府県にまん延防止等重点措置が適用されます。

まん防の対象には、わが福岡県も。

7月11日に解除されてから一か月も経たないうちに……まあ、いまの感染爆発をみれば、やむをえないところでしょうが。

いっぽう新聞なんかでは、連日オリンピックにおける日本の“戦果”が大々的に報じられています。
私はテレビをほとんど見ないのでわからないんですが、テレビも同様のようです。

かたやオリンピック、かたや緊急事態にまん坊――この異様な状況を、どう呑み込めばいいのか。そう考えているうちに、私は美空ひばりの「お祭りマンボ」を思い出しました。

美空ひばりの代表曲の一つといっていいでしょう。
ソ~レソレソレお祭りだ~という陽気に聞こえる歌ですが……実はあれ、よくよく聞いてみると悲しい歌なのです。

隣のおじさんと、そのまた隣のおばさんが祭りに興じている間に、おじさんの家は火事で焼け、おばさんの家は空き巣にはいられるという……
曲の最後は、こんな感じになります。

  お祭りすんで 日が暮れて
  冷たい風が吹く夜は 
  家を焼かれたおじさんと
  へそくりとられたおばさんの
  ほんに切ないため息ばかり
  いくら泣いてもかえらない
  いくら泣いてもあとの祭りよ……


知らないうちにそうなってしまっていたというのではなくて、祭りの最中に、その危険について警告はなされています。
しかし、おじさんもおばさんも、祭りに浮かれて聞く耳を持ちません。なにをいってもワッショイショイ、なにをいってもピーヒャララ……という具合です。

これは、まさに日本の現状じゃないでしょうか。

五輪と感染拡大の関係ということに関してはあちこちで議論になっていますが……この「お祭りマンボ」で考えると、五輪開催によるいわゆる間接的影響がすっきり理解できると思うのです。
つまり、五輪という“お祭り”騒ぎによって、なにをいってもピーヒャララという状態になってしまっている人が多数いるのではないか。
だとしたらその先に待っているのは……おそろしい状況かもしれません。
あとの祭りとならないことを願うばかりです。