ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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まん防延長……

2022-02-19 21:08:59 | 時事



まん防が、17の道府県で延長となりました。5県は解除となりますが、わが福岡県は延長のほうに入っています。

第六波はもうピークアウトしたという見方もありますが……いわゆるステルスオミクロンの問題もあり、まだまだ予断を許さない状況というべきでしょう。

今回の決定にいたる過程で「解除の鍵はワクチン接種」というような発言もありました。3回目接種がどれだけ進められるかということが、解除の判断につながるというのです。
しかし、果たしてこれはどうなのか……
最近このブログでは、パンデミックに対するワクチンの効果に対する疑問をちょくちょく書いていますが、私は今のところまだこの疑念をぬぐえていません。
今回のまん防開始時の記事では、ワクチン接種が進んだことによって「マスクの着用」や「社会的距離の確保」といった感染予防の基本が軽視されていることがむしろ感染を拡大させているのではないか――という見方を紹介しましたが、今回はまたちょっと違った角度から思うところを書いてみようと思います。


本論に入る前に一応断っておきますが、以下に書くことはあくまでも素人考えです。
まあ、感染症についてちょっとかじったぐらいの知識はありますが……あくまでも、小説のネタにしようと思って少し調べてみた程度のものにすぎません。
その点を踏まえて、門外漢からするとこういう意見もあるという一つの参考とお考えください。あるいは、専門家のあいだでは普通に可能性として考えられているというようなことなのかもしれませんが……



違った角度からの疑念というのは、簡潔にいえば「ワクチンが感染者の発症を防ぐことによって、むしろ集団全体としては感染を拡大させるのではないか」ということです。

これも、ワクチン接種が開始される前から一つの予測としていわれていたことではあると思いますが……

それは、どういうことか。

たとえば、発熱の症状がありPCR検査の結果新型コロナ陽性となり、療養施設で隔離。あるいは、検査こそ受けなかったものの、体調不良があるために自主隔離……といった感染者のケースを考えてみましょう。
いずれのケースも、発症したから隔離がなされたわけです。そして、隔離されたことによって、その人から先への感染はある程度遮断されるでしょう。「発症」→「隔離」→「その感染者からの感染拡大阻止」というのが、集団におけるひとつの感染防止システムとなっているわけです。
そのシステムは、「発症」からはじまっています。すなわち、「発症」が感染予防システムを起動させるトリガーなのです。「発症」というシグナルによって社会的な感染予防システムが発動し、それがある程度感染拡大を防いだわけです。
では、その「発症」がなければどうなるか。
システムを起動させるトリガーが消失するわけなので、感染予防システムは発動しなくなってしまうでしょう。先に出てきた二つのケースでいえば、療養施設での隔離も自主隔離もなされず、発症していればそこで止められていたであろう感染の連鎖が、途切れることなく続いていってしまうということです。
ということは……ワクチンが発症を防いでしまうことが、むしろ感染予防システムの発動を妨げ、感染を爆発的に拡大させる一助となる、ということになります。
これが「 ワクチンが感染者の発症を防ぐことによって、むしろ集団全体としては感染を拡大させる」という意味です。
ワクチンによって重症化率を下げられるとしても、感染拡大率がそれを上回れば、結局のところ死者は増加するでしょう。簡単にいえば、重症化率が1/3になったとしても、感染者数が4倍になれば死者は増えます。重症化率が低下していても、感染者数も死者数も増加しているのなら、状況は悪化しているといわざるをえません。つまり、このシナリオによれば、ワクチン接種を進めたことによってむしろ感染状況は悪化するということになってしまいます。

もしそういう効果があるとしたら……
仮にそれを、「サブマリン効果」とでも呼ぶことにしましょう。
水面上に姿を現しにくくなったがために、むしろ水面下でこれまで以上に拡散するようになる――これは、ワクチンが「発症は予防するが感染自体はほとんど予防できない」ということから、そうなるわけです。症状の有無にかかわわらずしらみつぶしにPCR検査をやればこの効果は回避できますが、「無症状者への検査」はパンデミック初期からこの国がかたくなにその有用性を否定してきたこと。ゆえに、日本ではとりわけ「サブマリン効果」が強く作用し、異次元の感染爆発につながったというふうにも考えられるでしょう。


繰り返しますが、以上のべたことはもちろん素人考えにすぎません。
それに私は反ワクチンの陰謀論者でもありません。
しかし、現実としてワクチン接種を進めている国の多くで感染拡大は止められていないし、日本に関してはむしろワクチン以降のほうが感染拡大の規模が大きくなっている。これは、数字に示されている事実です。
このワクチンは、本当にそれほど頼りになるものなのか。むしろ逆効果になっている部分さえあるんじゃないか……そろそろ、そういうことを真剣に考えるフェーズにきているんじゃないでしょうか。




坂口安吾『不連続殺人事件』

2022-02-17 16:35:22 | 小説
今日は2月17日。

安吾忌です。

1955年の今日、作家の坂口安吾がこの世を去りました。

…というわけで、今日は坂口安吾について書こうと思います。

最近このブログの小説カテゴリーでは日本の文豪的な作家を扱っていて、前回登場したのは太宰治。安吾は、その太宰とともにいわゆる“無頼派”の双璧をなす作家であり、そこからのつながりということでもあります。

このブログでは、芥川龍之介も太宰治も三島由紀夫もロックだといってきましたが……もちろん坂口安吾もロックです。
安吾なんか、もう誰がどうみてもロックでしょう。
「日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ」などというのは、パンクそのものです。


さて、坂口安吾といえば、まず「堕落論」が有名でしょう。
先に引用したのも、「堕落論」の一節。
その「堕落論」を筆頭に、安吾は小説よりもむしろエッセイや評論のほうが注目されがちな印象もあります。
評論の対象は、文学や時事ばかりでなく、興味を持っていた囲碁など多岐にわたり……その一環としてか、安吾は推理小説に関する論考もいくつか発表しています。
坂口安吾と推理小説というのはあまり結びつかいないかもしれませんが、それらの論考を読むと、相当に内外のミステリーを読み込んでいることがわかります。
アガサ・クリスティを第一にあげ、日本のミステリー作家としては横溝正史を高く評価。横溝の怪奇趣味を批判しているところは私としては賛同しかねますが、しかしそこは、怪奇趣味・草双紙趣味を邪魔なものとみてなお高評価される横溝のすごさということなんでしょう。
怪奇趣味を批判する安吾は、ミステリー作品にしばしばみられるペダントリーにも批判的です。
ゆえに、エラリー・クイーンやヴァン・ダインを一定程度評価しつつも、その部分がマイナス点となり、あまりそういうところがないクリスティがよりすぐれているという評価にもつながっているようです。
まあ、そこはよくわかります。私見ですが、クイーンやヴァン・ダインにみられるペダントリーは、文学コンプレックスの裏返しなんじゃないでしょうか。文学界においては、ミステリーということでどこか一段低くみられるようなところがあるのは否定できず……その劣等感から、やたらと古典文学や美術への造詣といったことを前面に押し出そうとするのではないかと。

そこへいくと、安吾の場合はそういう劣等感とは無縁です。
もともと純文学方面の作家であり、そんな背伸びをする必要がなく、またそういうつまらぬ見栄を張ろうとするような人物でもありません。
なので、余計なウンチクを弄したりすることなく純粋に推理ゲームとしてのミステリーを書くことができるというわけでしょう。
そうして書かれた長編が、『不連続殺人事件』ということになります。



多くのミステリー作家と同様、安吾も自作に登場させる名探偵を創作しました。ドイルにとってのホームズ、クリスティにとってのポワロ……安吾探偵小説においては、巨勢博士という人物がそれにあたります。
先述したように、そこで描かれるのは純粋に推理ゲーム。怪奇趣味も、ペダントリーもまったくありません。推理小説の古式ゆかしい趣向として“読者への挑戦”というのがありますが、この作品では、雑誌連載しながらその読者から犯人あてを募るというような企画もやっていました。結果、ほぼ完全に正解の回答が4件よせられたということです。

で、そのミステリーとしてのできはどうなのか。

人様の作品についてあれだけいったからには自分は相当なものを書いたんだろうな……とちょっと意地悪な目線で読んでしまうんですが、これがなかなか堂に入ったものだと感じました。
江戸川乱歩や松本清張も高く評価したということです。
登場人物が多く関係も複雑なんですが、その人物たちの思考や行動をからませつつ明晰なロジックで謎を解明していく手つきには、素直に感心させられました。犯人あて募集に正解が複数寄せられたのも、論理をつきつめていけばきちんと犯人がわかるようになっているというフェアネスへのこだわりゆえでしょう。ほかならぬ安吾自身がそう評しているのは、決してただの負け惜しみではありません。

そこには、安吾独特の感覚が作用しているように思われます。

ここでちょっと大所高所からの話をすると、文学というのはそのときどきの時代にあった思想を背景としている部分があります。
なにも文学にかぎった話ではないでしょうが……たとえば、リアリズム/自然主義という思潮は、“大衆”の発達と民主主義の普及に沿うかたちで発生したものであり、象徴主義はその反動としての帝政や復古王政に対応しているといった具合に。
その観点でみると、ミステリーは実証主義を思想的土台としている、というのが私の文学史観です。19世紀は、実証主義の時代。ミステリーという形式が19世紀半ばごろから勃興してくるのは、まさに実証主義の隆盛と軌を一にしているのです。かの夢野久作『ドグラ・マグラ』において「近代文学の神経中枢とも見るべき探偵小説を読まない奴はモダンたあ云えないぜ」と書かれているのは、まさにこの意味においてでしょう。

で、その実証主義というあまり文学とは親和性の高くない思想を文学に持ち込むことができる作家となったら……これはもう坂口安吾が第一ということになります。

いや……実証主義を文学に持ち込むというのは正確ではありません。
むしろ、両者をはっきりと分離させた。クイーンやヴァン・ダインの陥った罠にはまることなく……逆説ですが、探偵小説専門の作家でないからこそ、余計な要素を排除した純・探偵小説が書けた。
すなわち、旧来の価値観から自由で、機能美を重視する、そんな安吾だからこそ、“ブンガク”ということにとられることなく思いっきり実証主義の方向に振り切って書くことができたのではないか。そんなふうに思われるのです。
“ブンガク”性とミステリーとを完全に切り離していることは、この『不連続殺人事件』のなかにおいて、主人公・矢代の口から語られます。
作家である矢代は、探偵役の巨勢博士を評してこう言います。

  我々文学者にとって人間は不可決なもの、人間の心理の迷路は永遠に無限の錯雑に終るべきもので、だから文学も在りうるのだが、奴にとっての人間の心は常にハッキリ割り切られる。

巨勢はもともと文士志望で矢代に弟子入りしてきた人物ですが、いっこうに文才がなく「小説がヘタクソだから、犯罪がわかるんでさア」と嘯きます。
矢代にいわせれば、「彼の人間観察は犯罪心理という低い線で停止して、その線から先の無限の迷路へさまようことがないように組み立てられているらしい」。ゆえに巨勢博士は、「探偵の天才だが、全然文学のオンチ」ということになるのです。

かように、ブンガクとミステリーとは、本質的に相いれない。
それは、はっきりと成文化できるものだけを対象とする実証主義と、成文化できない領域を扱う文学との間には超えられない壁があるためです。

その点を踏まえて純粋にミステリーという方向性を追究しているのが、この『不連続殺人事件』の強みでしょう。
それゆえに、本作はミステリー史上に残る一作なのです。



ストーンズの日 カバー特集

2022-02-14 21:27:38 | 日記

今日2月14日は、「ローリング・ストーンズの日」です。

10日前は、ビートルズの日ということで、カバー特集をやりました。

そにれならって、今回はストーンズのカバー特集をやろうと思います。
ここでもやはり、大物が続々登場……



一曲目は、オーティス・レディングによる「サティスファクション」。
ストーンズの代表曲を、オーティスが歌います。

[I Can't Get No] Satisfaction [2008 Remaster]

忌野清志郎にも大きな影響を与えたオーティス・レディング。この音源でもバックをつとめるブッカーT&MG’s のギタリスト、スティーヴ・クロッパーは、清志郎の最後のアルバム『夢助』に参加しました。


Grand Funk による Gimme Shelter。
このブログで何度か名前が出てきた Grand Funk Railroad。あるときから Grand Funk と名義を変えたのでややこしいんですが……

Gimme Shelter (Remastered 2002)

この歌は、歌われている内容がなんだかいまの世界にぴったりのような気もします。


The Who による The Last Time。
1967年、ミック・ジャガーとキース・リチャーズが薬物所持で有罪判決を受けた際にストーンズ支援の目的でカバーしたもの。

The Last Time (UK Single Mix / Mono Version)

このとき同時に、Under My Thumb もカバーしていました。
さらに、ミックとキースが収監されている間は継続的にストーンズの曲をカバーしていくつもりだったといいます。しかし、有罪判決に世間から激しい反発が起こり、二人はすぐに保釈され判決は棄却されたとか……まあ、そういう時代だったんでしょう。


エリック・バードン&アニマルズによる Paint It Black。
「アニマルズ」が「エリック・バードン&アニマルズ」に名義を変えてサイケデリック方面に向かいつつあった時期の作。まさにこの曲は、そこにマッチしているでしょう。

Paint It Black (Mono Version)

アニマルズはイギリスのバンドですが、サイケ路線を進むにあたって、当時サイケデリックの本拠地と目されていた米サンフランシスコに拠点を移します。そしてかのアンディ・サマーズをギターに迎えることになりますが、それはもう少し先の話。この曲は、本格的にサイケデリックにむかう助走といったところでしょうか。


ここから、メタル方面のアーティストによるカバーを二曲。

まずは、モーターヘッドによる「悪魔を憐れむ歌」。
ガンズ&ローゼズのカバーが有名ですが、あえてこちらを。いつか書いたと思いますが、私はあまりガンズのよいリスナーではないので……

Motörhead - Sympathy For The Devil (Bad Magic 2015) - Rolling Stones Cover

そして、スコーピオンズによる Ruby Tuesday。

Scorpions - Ruby Tuesday (Videoclip)

スコーピオンズは、ジャーマンメタルの雄。先に出てきたモーターヘッドのミッキー・ディー(Dr)は、現在このスコーピオンズでドラムを叩いています。(ただし、この動画のドラムは違います)。


最後に、女声ものを二曲。

まずは、リンダ・ロンシュタットによる「ダイスをころがせ」。
恋多き女リンダ……ストーンズの、たしかキース・リチャーズと一時つきあっていたんじゃなかったでしょうか。

Tumbling Dice (2015 Remaster)

次に、ジュディ・コリンズによる Salt of the Earth。
バックミュージシャンがなかなか豪華です。女声のコーラスは、ホイットニー・ヒューストンの母であるシシー・ヒューストン。ベースに、キング・クリムゾンの活動でも知られるトニー・レヴィン、など……

Salt of the Earth

ドラムには Stephen Gadd という名前がクレジットされてるんですが、これはあのスティーヴ・ガッドと同一人物でしょうか。
ググってみると、スティーヴ・ガッドの出生名はスティーヴンで、またトニー・レヴィンとは学生時代からの友人で一緒に活動することも多いとか……となると、やはりそうなのかとも思わされます。ドラムの音だけで同定できるほど自分の耳に自信もなく……誰かご存知の方がいたらご教示ください。




日本遺産「西の都」

2022-02-13 21:43:46 | 日記



2月13日は、「日本遺産の日」だそうです。


日本遺産……これは、世界遺産の国内版といったところでしょうか。
日本各地の有形・無形の文化財を「日本遺産」と認定し、その魅力を発信していくというシステムだそうです。

身近なところで何があるのかと調べてみると、福岡県では大宰府を中心とした「西の都」というものが認定されているんだとか。大宰府は私にとっても縁のある場所で……せっかくなので行ってきました。


まずは、かつての大宰府の町にあった客館の跡。



「西の都」の幟も立っています。


展望台のようなものがあり、そこから撮った画像。


ここは、跡地というだけで何か建物が残っているというようなことはないんですが……3DCGで往時の様子を再現したアプリなんかも用意されているそうです。


客館跡から北上して、かつての大宰府政庁跡。
私の通っていた学校がこの近くにあり、冬はここで持久走なんかさせられてました。



「令和」という元号の典拠となった万葉集の「梅花の宴」もここで催されたということで、このあたりが「令和」の里だと主張しています。


観世音寺。
学校の近くにありながら、これまで行ったことがありませんでした。



ここにある梵鐘は「日本最古」を謳っていますが、現在はとりはずされています。5月から九州国立博物館で展示されるとのこと。


隣接するかたちの戒壇院。
ここも、今回が初の訪問となります。



太宰府天満宮。
ひさびさに来たら、梅の花が咲いていました。奥にみえるのは、いわゆる「飛梅」。



「西の都」に含まれる要素はほかにもいろいろあるんですが……一部佐賀県に入っているようなところもあり、すべてを踏破するのにはそこそこ時間がかかります。というわけで、今回はここまでで。




建国記念の日 2022

2022-02-11 21:40:21 | 時事



新型コロナの死者が、累計で2万人を突破しました。

連日10万人近い感染者が出続けており、感染者数はついに世界のトップ20入りとなっています。

私がコロナの感染状況をみているサイトでは世界各国の感染状況も紹介されていて、累計感染者数の多い順で並べられています。パンデミックがはじまった当初は50番目から60番目ぐらいでしたが、2年ぐらいの間にじわじわと順位をあげて、とうとうトップ20にまで食い込んでしまいました。

おりしも今日は建国記念の日ということですが……

最近のニュースをみていると、いよいよこの国の社会が土から崩れつつあるように感じられます。

コロナに関していえば、検査が追いつかなくなり、“みなし陽性”なる概念が登場し、ますます実態の把握は困難になり、この問題に対応するべき当局者の上層部には本気で取り組む姿勢がみられないという……

直近の数日でいえば、新規感染者数は伸びが鈍化ないしは減少というふうにもみえ、ピークアウトの兆候と見るむきもありますが……しかしこれも、検査のキャパオーバーによってとらえきれなくなっているだけではないかという見方もあります。

そうだとすると、現状をピークアウトとみるのは“願望”と“予測”を混同する大日本帝国しぐさのようでもあります。
実態を客観的に観測、分析するのではなく、自分の見たいものを見たいように見るという……これは、最近よく聞く「歴史戦」という概念とつながるものでしょう。こうした動きをみていると、なにかこう、この国に施されていた戦後民主化のめっきがはがれて、大日本帝国の地金が露出しつつあるように感じられるのです。
もし大日本帝国が復活するとしたら、それはもう破滅のプレリュードであって……建国記念の日、そんなことにならないように願うばかりです。