今日は8月9日。
長崎の原爆忌です。
七十七年目……私が小学校の修学旅行で長崎を訪れたのがおよそ三十年前のことですが、そう考えると、もうずいぶん遠い昔の歴史上の出来事というふうになっているのかもしれません。
長崎の平和宣言も、ロシアによるウクライナ侵攻に言及していました。
今年1月、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有5カ国首脳は「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」という共同声明を世界に発信しました。しかし、その翌月にはロシアがウクライナに侵攻。核兵器による威嚇を行い、世界に戦慄(せんりつ)を走らせました。
この出来事は、核兵器の使用が“杞憂(きゆう)”ではなく“今ここにある危機”であることを世界に示しました。世界に核兵器がある限り、人間の誤った判断や、機械の誤作動、テロ行為などによって核兵器が使われてしまうリスクに、私たち人類は常に直面しているという現実を突き付けたのです。
そのうえで、「地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道」として核廃絶を訴えます。
核兵器によって国を守ろうという考え方の下で、核兵器に依存する国が増え、世界はますます危険になっています。持っていても使われることはないだろうというのは、幻想であり期待に過ぎません。「存在する限りは使われる」。核兵器をなくすことが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道だということを、今こそ私たちは認識しなければなりません。
当然といえば当然ではありますが、このあたりは広島の平和宣言とも重なってきます。
そして重なってくるのは、日本政府に対する要求という部分も。
日本政府と国会議員に訴えます。
「戦争をしない」と決意した憲法を持つ国として、国際社会の中で、平時からの平和外交を展開するリーダーシップを発揮してください。
非核三原則を持つ国として、「核共有」など核への依存を強める方向ではなく、「北東アジア非核兵器地帯」構想のように核に頼らない方向へ進む議論をこそ、先導してください。
そして唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に署名、批准し、核兵器のない世界を実現する推進力となることを求めます。
被爆者代表である宮田隆さんの「平和の誓い」も核共有論を批判していましたが、はたしてこの声が日本政府と国会議員に届くでしょうか。“「戦争をしない」と決意した憲法”も危うくなりつつあるいまの日本で……