年末になるとこの句が思い出される。「こぞことしつらぬくぼうのごときもの」
そんなに多くの句や歌を知っているわけではないけれど、幾つか心に刻みつけているものがある。その一つがこの句なのです。
今年を漢字一字であらわすと「生」になると取りざたされている。私も賛成したい。今年は、むごい死を見せ付けられただけに、対極の生が浮き彫りになっていました。それはそれとして、今年も間もなく暮れて新年になるのです。新年ということで、改めて自分の生を見直すことは多いのですが、そのとき「貫く棒のごときもの」と、虚子は年が変わろうと自分の生き方はかわらないと言い切るっているのです。今までの行き方に自信を持ち、その生き方を貫く信念の人が見えています。
俳句に掛けた思いで、芭蕉の「才無ければこの一筋につながる」という言葉と同じなのだと思います。
今年の年賀状に漢詩を書くことにしました。その中で「一意愛吟」と書いたのですが、書くだけまだ徹底していない、自分の詩吟に対する思いの浅さをみつめ、恥ずかしい思いをしています。その一筋に掛けきれない凡人の、せめてもの思いと理解してもらえるでしょうか。