去年の秋、それも遅くだったように思う。平和教場の福本さんから電話が来て、昨夜具合が悪くなって、脳神経科の病院に入りました。という内容でした。そのとき、とっさに思ったのは、多分脳梗塞だろう、自分で気がついて病院に行ったのなら、完治できるということでした。
その数日後、電話で脳神経科ではきちんと検査が出来ないので、別の病院へ移された。そして、精密検査が必要なので札幌医大の近くの病院で検査することになったという。どういうことか判らないけれど、そのときもそれほど重大な病気にかかっているとは思わなかった。
数日後、判明したのは驚きの結果だった。頭が具合悪かったのは、頭に腫瘍があって、それが血管を圧迫していたということ。しかも、その腫瘍が8個もあり、手術が出来なくて、ガンマーナイフという、放射線治療で腫瘍をつぶしたというのです。6個までつぶしたけれど、2個残って、後日、改めてつぶす、更に、肺と肝臓にも腫瘍がある、それは頭の治療が終ってから改めて手術で取るという話でした。
本人も大変なことだと自覚され、詩吟の関係職も辞退され、長期休暇扱いにすることになったのでした。
お見舞いに行ったときには、少し痩せてはいたけれど、とても元気そうで、頭の放射線治療も順調そうな話し方で、まもなく肺の手術になりそうな感じでした。
でも、病気が癌で、しかも転移しているのだから、大変なことだとは思っていました。年明けから私は詩吟の方、とてもでないくらい忙しくなってしまい、福本さんのこと、気に掛けながらも、病状を尋ねることもしないでいました。
昨日、夜8時半ころに平和教場の小田桐さんから電話があり、福本さんがお亡くなりになったとの連絡でした。
確かに、大変な病気で、お元気になられるかどうかは、難しいとは感じていたものの、こんなに早くお亡くなりになるとはまったく考えていませんでした。
とても仕事熱心で、きめ細かく教室の仕事、北詩連の仕事、きちんとやってくださり、とてもお世話になっていたのですが、本当に残念です。
午前中に弔問してきました。ご本人の枕辺に北詩連の吟題集が置かれていました。心残りは多かったと思いますが、今はもう安らかにお休みください。
ただただ、ご冥福をお祈りするだけしか出来ません。