先日いろいろ考え事をしていて、一瞬「68にもなって、もう少し控えなさい」という言葉が脳裏を走った。次の瞬間「え!68じゃない78だ」と現実に戻った。
自分の歳も忘れるかと笑われそうだが、実際、忘れっぽくなっているし、体力も減少している。
それはそうなのだが、何故、68という言葉が浮かんだりだろうといま振り返っている。
先ず考えられることは、78という歳を認めたくないということだ。78歳・・・私の子供のころには、本当の老人で、こんなに飛び跳ねていることなど想像もつかなかった。だから、自分がそんな歳になっていることを出来るだけ考えないようにしているのではないかということだ。
自分の自覚年齢は68なのかもしれない。未だ70前の人に負けないくらい気力はあると思っている。・・・ 自惚れというやつか?
周りを見渡せば、私が特別じゃなくて、同年輩の元気な人は沢山いるじゃない
でも、良く歳を聞かれ78歳、1930年生まれというと、「若い!!どう見ても60台だ」といわれる。確かに、詩吟で声を出させば、3本は楽に出せるし、4本だってやれないことは無い。頭はてっぺんで禿げているけれど、前から見たら黒い髪が分けられている。腰や肩が痛かったりするが、是は外から見えないし、背筋はぴんと伸びている。
自分をもう老年で駄目だなんて、どの歳になっても考えたくない。でも必ずそのときは来る。それまでは、何につけても、未だ自分には伸び代があるのだと思っていたい。
1930年生まれ、78歳のたわごと・・・。