今自分を見つめて、とても寂しく感じる。夢が、憧れがないのです。
それを手に入れるために、思いを燃やす。そんな対象がなくなっているのです。今、詩吟が私の生きがいだと、それは言い切れるのですが、ただ、自分がコンクールに出ていい成績を上げる、そんな希望は持ちようもありません。ただ、今教えている教室の生徒さんが、少しでも上手に成ってくれることと、人数が減らないでむしろ増えてくれないかと思うくらいです。北詩連の役員などもやらされていますが、出来れば外して欲しいと思うくらいで、今以上の資格も役職も欲しいとは思いません。
手稲文化協会の事務局長として、長い伝統のある手稲文化祭の衰退を見過ごすことが出来なくて、10年ほど前から一昨年くらいまで燃えていました。そして一定の成果を上げてもきました。しかし、ここも一段落で、此れ以上に高めるには、私の年齢、体力も限界のように思えます。
ダンスも少し注目されるくらいに成りたいと思っていたのに、肺気腫がブレーキを掛けてくれました。
飲みに出かけ、盛り上がって楽しむのにも限界が来てしまいました。
なんといっても、人間の身体には、薬ではどうにもならない弱さがあり、歳は気力も体力も奪っていきます。
そんな定めに逆らっていいこともなく、いかに現状を維持するかが課題になるのです。
詩吟の生徒さんから「先生がんばってください、先生がいなくなったら私たち大変なのだから」と励まされることが多くなっているというのは、衰えがにじみ出ているからだと思います。
寂しい話です。