数日前のプログでも書いていたのですが、今日帰ると娘を通して連絡があった。まだ、痛めた腰の調子もよくないし、午前中は休養することとした。そしてひょっとして昼頃に帰ってきたら駅まで迎えに行かなければならないしなどと考えていた。昼頃になっても、何時の飛行機に乗るとか、何時頃着くとかいう電話が無い。カートを引っ張っているのだから、私の在宅の時間帯に帰るはずだと決めていた。
午後は、第一教場、いつもの通り12時45分に家を出る。出かけるまで連絡が無かったから、多分何日か帰るのが遅れることになるのだろうと思って出かけた。15時にり教室を終わらせ、足の悪い、同じ町内会のKさんを家まで送って、戻りがけにトライアルによって、おかず類を買って、最低今晩も覚悟して帰宅した。
迎えに行くことも無いと思ったから、車も車庫に入れて、家に入った。何と家内がいるのだ。え!とおもつた。何で連絡しないのだ、というと先日規子に言わせて置いたでしょうという。驚いた。普段駅までの行き来は私の車を当てにする人が、何の連絡もしないで、駅からハイヤーに乗ってきたというのだ。
とにかく、これで飯作りから開放される。今晩は、外で食べようというのでお言葉に従って、屯田に行き、お寿司を食べてきた。
午前中に、渡辺さんの奥さんから、お礼の電話が来た。泣き声での電話でした。人一倍旦那さんを大切にしていた奥さんです。そして、大手術をし、この後の余生を旦那さんと二人、バリアフリーのマンションで暮らすはずだったのに、旦那さんは、マンションに入ることなく病院で亡くなってしまったのです。
でも、お人柄ですよね。北区に新居を求めたのですが、前の住まいの町内会の方が、今は住人で無いのに、訃報まで回して葬儀の手配をしてくれたのだと言います。私たちもおかげで、渡辺さんを遅らせていただきました。奥さんが、あの弔吟きつとお父さんも喜んでくれたとおもうよ・・・といってくれた。