手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

二週間ぶりの福祉センター詩吟  教える立場で思うこと

2011-07-05 18:54:58 | 詩吟関係
二週間ぶりの福祉センター。天候は夏日。少し暑すぎるので出席が少ないかと思いながら出かけた。20名参加でした。

 いつものことですが、福祉センターの指導日は、何人参加してくれるかが気になるのです。自由参加の講座です。参加人数が少なくなると、講座を廃止することもありえるのです。

 それでも既に20年になるのですが、講座を継続できているのはうれしいことです。数年前までは、30数名の会員をかぞえることが出来たのですが、今は20数名となっている。新しい受講者が出てこないのです。現在の受講者もかなり高齢者が多く、いつまで継続できるのかわからない人も多いのです。

 それでも皆さんとても熱心で、特別のことをしているわけでないのだけれど、喜んできてくれているのです。私の教室に入った人が二人来てくれることが多く、また私の会のOBが一人最近続けてきている。別の会に所属している北詩連の会員も何人かいらっしゃっている。

 詩吟を楽しいものとして受け止められる指導。特にこのような高齢者を対象とした講座では、審査を受けさせるわけでもないのだから、細かな技術上の問題を押しつれることは必要が無い。時折、強制するのではなくこんなことに気をつけましょうとか、こんなことをやってみましょうかと話してあげる。また、詩文の解説は、わかりやすく話してあげる。時には漢文についての勉強をさせたりもする。

 老人クラブの詩吟のサークルの指導で、まるで教室と同じように、アクセントだとか、余韻の引き方、息継ぎとか熱心に教えている話を聞きますが、そのような会はほとんど長続きしていないようだ。

 結局、指導者の資質の問題だと思う。指導者が、自分が教えられたことしか教えることができなかったり、自分で自分の幅を広げる努力をしていない、勉強不足の指導者であってはならない。

 参考書、参考文献、資料等、どれだけ積極的にそろえていのでしょう。私は新しい教材(詩)を扱うときは、三冊くらいの参考書を参照します。また、関連の歴史的な事項についても出来るだけ勉強することにしています。

 また、その流派の教本を終了した方の処遇がうまく出来ていない会もあるようです。私は、そんな会員に別の教材を用意して対処してきています。

 いろいろ思うこともありますが、とにかく、格調のある、吟調、それは奇をてらうことではない。詩吟の原点を踏まえた吟であることを見つめなおしたい。

 

 

 
コメント
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